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ブックマーク / blog.goo.ne.jp/matsuoka_miki (36)

  • 言及文化は「ブログでTB」の時代からSBMへ - すちゃらかな日常 松岡美樹

    アメリカではネットユーザの約半数が、自分の名前を検索エンジンで調べたことがあるらしい。 Pew InternetおよびAmerican Life Projectによる最新の調査の結果、米国の成人インターネット利用者の47%が、Google等の検索エンジンを使用して「うぬぼれ検索」をした経験があることがわかった。 ●TechCrunch Japanese アーカイブGoogleで「うぬぼれ検索」しているのは、あなただけではない』 「うぬぼれ検索」というのは、自分の名前やハンドルをネットで検索する「エゴサーチ」のことだ。たぶんアメリカでは実名を検索する例が多く、日ではやっぱりハンドルを調べるのが一般的なんだろう。 で、ちょっと「エゴサーチ」を検索してみたのだが、面白かったのは「R25.jp」の記事だ。 “自分の名前を検索すること”は「エゴサーチ」と呼ばれていて、定期的にやった方がいい行為な

    言及文化は「ブログでTB」の時代からSBMへ - すちゃらかな日常 松岡美樹
  • あなたの「好き」を見つけてくれる個人ニュースサイトを探せ - すちゃらかな日常 松岡美樹

    あなたは自分が読みたくなる記事をどうやって探しているだろうか? 私はけっこうソーシャルブックマーク(SBM)頼りだった。だけど最近では、個人のニュースサイトを見返し始めた。『ゴリラブーツ』を知ってからだ。 『ゴリラブーツ』に出ている記事は、どれを読んでもおもしろい。たぶん管理人さんの物の見方やユーモアのセンスが、私の感性に近いのだろう。 同じことは、『駄文にゅうす』や『まなめはうす』を読んでるときにも感じる。 この自分にジャストフィット感というか、どれを読んでもおもしろいぞ。不思議だなあって感覚は、自分の嗜好に合うニュースサイトが見つかったときに独特のものだ。一方、SBMにはそんな感覚はない。 ■ニュースサイトの管理人さんは「私小説作家」だ この両者のちがいは、どこから生まれてくるのか? ニュースサイトの場合、管理人さん1人が記事を選ぶからだ。ゆえに管理人さんの趣味が私に近ければ、そのサイ

    あなたの「好き」を見つけてくれる個人ニュースサイトを探せ - すちゃらかな日常 松岡美樹
  • 「過去ログ読め」がない時代の新・文章術 - すちゃらかな日常 松岡美樹

    エントリ単位で読むブログがポピュラーになってからというもの、ネットユーザの常套句だった「過去ログ読め」って言葉はすっかり鳴りを潜めた。 なぜならブログは、各エントリが独立して存在しているからだ。時系列に関係なく、目についたエントリからバラバラに読まれる。過去にさかのぼり、順番に目を通すなんて系統だった読み方はあまりされない。 しかもたまたまリンクでたどりつき、1エントリだけ読んだら「ハイ、さようなら」ってケースもふつうにある。 てことは以前のネットマナーや、ネットの常識はもう通用しないってことだ。「当然、過去ログはひと通り読んでるはずだ」とか、「そうするのが当たり前だ」なんて概念は過去の遺物である。 これを書く側から見ればどうなるか? あれは前に1回説明したからもういいやと思っても、「そのエントリ」を読んでる人は初めての人かもしれないのだ。しかもどの最新エントリに対しても、常にそれがいえる

    「過去ログ読め」がない時代の新・文章術 - すちゃらかな日常 松岡美樹
  • 「SBMでは異論・反論しない」なんて私は言ってないよ - すちゃらかな日常 松岡美樹

    「SBMではいっさい異論・反論しない」なんて私は言ってないよ。 ブクマ・コメントで異論を唱えるときは、私は相手を無用に挑発するような表現はしない──。たとえば過去の数エントリで書いた論旨のひとつはこうだ。 なんか「松岡さんがネガコメしない宣言をしたぞ」とか言ってる人もいて(※1)、一部誤解があるようだから論点を整理しておきたい。 ※1:参考「私の記事(12/12付)に対する、はてブ・ページ」 で、確認エントリを書くことにした。それが今回の記事である。 ■「ネガティブ・コメント」の定義とは? まず何度も例にあげるが、ここでいう「ネガティブ・コメント」とは便宜上、ekkenさんのカテゴライズに準じる。定義は以下の通りだ。 ------------------------------------------------- 【ネガティブ・コメントの4分類】 1. 事実確認 2. 異論・反論・批判

    「SBMでは異論・反論しない」なんて私は言ってないよ - すちゃらかな日常 松岡美樹
  • 自分で自分の文章を解説するなんてイタイよねえ - すちゃらかな日常 松岡美樹

    文章とは、読んだ人が自由に解釈できるところがすばらしい。筆者がどんな意図で書いていようが、読み手が思うままにイメージの翼を広げられる。それが読むことの醍醐味である。 まあ別に作文に限らず、芸術とはそういうものだ。だから自分の文章を自分で解説するなんてヤボだし、非常にみっともない行為である。 だけどたまたまブログ「北の大地から送る物欲日記」さんから、私が書いたコラム『初心者ブロガーが「ブログ青春時代」を卒業するとき』(ASCII.jp)に以下のような問いかけをいただいた。 ブロガーとして立派な社会人ってのが何を指すのかは分からないけれど、 ●北の大地から送る物欲日記『ブロガーとしての成長に卒業はない』 なるほど。あの原稿は比喩を多用したから、読んだ人に意味が通じてない箇所も多いのかも? そう気づいた。とても貴重なご意見をいただいたと感じた。こういうのは実際に読んだ人から言われてみないと、自分

    自分で自分の文章を解説するなんてイタイよねえ - すちゃらかな日常 松岡美樹
  • 「仲のよさ」じゃなく「記事の内容」で繋がるSBMのコミュニケーション - すちゃらかな日常 松岡美樹

    以前、mixiに代表されるSNSは「好き」、「同じ」で繋がるファンクラブ志向だと書いた。 ●『ファンクラブ志向と議論志向──SNSとブログにみるコミュニケーション・ギャップの原理』(2005年-9/21) また同じ上記のエントリで、 (1)自分とAさんの意見がちがうこと(事実の提示) (2)そのちがいはどこからくるのか?(理由の分析) (3)Aさんとのちがいは自分にどんな意味があるか?(自己分析) これらを記事にし、意見が異なるAさんにトラックバックするブログというメディアは、議論志向であると書いた。 で、この両者のちがいを「人か?」「記事か?」の切り口で、うまく説明しているエントリを見つけた。ブログ「パソコンはおもちゃ箱」の『はてなブックマークコメントについて』という記事である。 ■「記事で繋がる」に初めて気づく人たち そのエントリで筆者のMarumamekoさんは、はてなユーザ以外のネ

    「仲のよさ」じゃなく「記事の内容」で繋がるSBMのコミュニケーション - すちゃらかな日常 松岡美樹
  • SBMのネガコメは「言わせてもらうが反論するな」メソッドだ - すちゃらかな日常 松岡美樹

    前回のエントリが「モラル」とか「平等」の話と混同されそうなんで、補足記事を書くことにした。まず前回エントリを要約しておく。 ソーシャルブックマーク(以下、SBM)には、字数制限やレスをしにくい特性がある。自由で制約のない双方向の議論がしにくい。だったら私はその仕様に合う使い方をする。ゆえにSBM上では、私はネガティブ・コメントを書かない。 ●『私がソーシャルブックマークにネガコメを書かない4つの理由』 ここで言う「ネガティブ・コメント」の定義は、前回に引き続きekkenさんのカテゴライズに準じる。誹謗中傷だけじゃなく、相手に対する異論・反論も含んでいる。つまり相手から見て「自分に否定的なコメント」って意味だ。 で、これらのうち、異論・反論は正当で有意義なコメントだと私は考えている。ああ、「正当」って言葉を使うと、またモラルの話とカン違いする人がいそうだ。表現を変えよう。 相手に異論を言うこ

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  • 私がソーシャルブックマークにネガコメを書かない4つの理由 - すちゃらかな日常 松岡美樹

    私は議論が大好きな人間だ。だけど個人的信条として、相手の反論権が担保されない場では相手に対して否定的なことはあまり書かない。いや別にモラルがどうたらの話じゃない。反論がこない状況では、議論にならないから気が乗らないのである。 ソーシャルブックマークのコメント欄は文字数制限があることと、レスを返せないという2点がブログ体のコメント欄より劣っており、それがブロガー自身に悪印象を与えるようなコメントに結びつくことも多いのではないだろうか。 ●北の大地から送る物欲日記『ブックマークコメントを見る視点での違い』 文中で筆者のhejihoguさんは、ネガティブ・コメントを4つに分類した上でこう分析している。おおむね同意できるご意見だ。ソーシャルブックマーク(以下、SBM)は機能上、自由に相手と往復書簡を送り合い議論する仕様になってない。 だからブクマ・コメントで異論・反論を述べられると、批判された側

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  • ソーシャルブックマークで忘れがちな3つのこと - すちゃらかな日常 松岡美樹

    インターネット上では時と場合によって、個室にいる感覚と広場にいる感覚の区別がつきにくい。特にソーシャルブックマークを使っている時にそれが顕著だ。その意味でブクマ・コメントを書くときに、うっかりしがちな3つのケースをあげてみよう。 ケース1. そのコメントは、「ブクマした記事の筆者人も読む」ってことを忘れてる 「あっ、これ人が読むんだな。やべっ」と思って書き直したりするのがこのパターンだ。不特定多数の第3者にコメントが公開されることは意識してるのに、なぜかブックマークした記事の筆者人が目にするんだってことが頭から抜けている。 ブクマ・コメントで記事に批判的なことを書いた人が筆者に直接からまれた時、「ええっ? ブクマくらいでなに怒ってんの? 怒らないでくださいよっ」などと意味不明なことを言ってごまかそうとするのがこのケースだ。 筆者人が読んでることをすっかり忘れているために、いざその筆

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  • 自分に気づくためにブログを書く - すちゃらかな日常 松岡美樹

    人はなぜブログを書くのか? 私の場合、「自分の中の自分に気づけるから」というのが大きい。もちろん理由はそれだけじゃないが、今回はブログによる気づきに絞って話を進めよう。 ブログを書くってことは、自分の考えを文章としてウェブ上に残すってことだけど、それによってより深く考えることになったり、ブログを読んだ人からの反応でより幅広く考えられるようになったりする。コメントやトラックバック、ソーシャルブックマークの反応からは、自分になかった視点の意見がもらえるし、自分が書いたものに反応して、いろんな方向に議論が広がっていくことだってある。 ●北の大地から送る物欲日記『ブログを書くということ』 ブログを書くことで気づかなかった自分を発見するパターンは、とすれば内発的な要因と外発的な要因に大別できそうだ。ではまず内発バージョンから見て行こう。 ■書くことは自分のインナースペースを旅するのと同じだ 人間がモ

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  • ソーシャルブックマークは「自分の領域」なのか? - すちゃらかな日常 松岡美樹

    ソーシャルブックマーク(SBM)はプライベートな空間か? それともオフィシャルな場なのか? あなたはどう思いますか? 人によってはソーシャルブックマークのコメント欄をオープンな場と考えて、人の目に映ることを考慮したコメントをする人もいるけど(私はこっち)、素直に自分の思いをぶちまける人も多い。 ●北の大地から送る物欲日記『ブログとSBMに見るコメント欄の違い』 (以下、次の引用も同エントリから) 筆者のhejihoguさんは、ソーシャルブックマークのコメント欄をオープンな場と考える人のようだ。私もそうである。ただ、そうなんだけど、「そうじゃないような感じ」に囚われる瞬間がよくあるのも事実だ。 ブクマ・コメントを書いてる最中にふと、あたかもそれが自分のプライベートなスペースであるかのような錯覚に陥るのである。 すると、どうなるか? よくソーシャルブックマークのコメント欄は酷いという指摘があっ

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  • SBMのブクマ・コメントはまさに集合知だった(前回エントリのまとめ) - すちゃらかな日常 松岡美樹

    前回のエントリ『SBMはブログのコメント欄を滅ぼす』では、後半の結論部分をネタにしてしまった。今は反省している。 で、今回いただいたブクマ・コメントを読むと、私の言いたかったことをまさにそのブクマ・コメントでうまく言語化されている方がたくさんおられた。とても興味深い体験である。こりゃもったいなくて、とうていスルーなんてできるものか。 なのでそれらのコメントをピックアップし、ここに再掲させていただく(12/6現在)。いずれも私の意をモロに代弁されているものばかりだ。 【いただいたコメント集】 ■「より敷居の低い方へ、人は流れていく。 / 敢えてコメント欄に書いて、空気読めとか挨拶しるとか言われたくないもん」(kana-kana_ceoさん) ■「ブログのコメント欄が元々使いづら過ぎて、SBMが取って代わってるのかも(以下略)」(julajpさん) ■「ネット上でのコミュニケーションは希薄に

    SBMのブクマ・コメントはまさに集合知だった(前回エントリのまとめ) - すちゃらかな日常 松岡美樹
  • SBMはブログのコメント欄を滅ぼす - すちゃらかな日常 松岡美樹

    ソーシャルブックマーク(SBM)を使っていると、「おもしろいな」と思うエントリを見つけても、そのブログのコメント欄に何か書こうって気にならない。たいていはブックマークしたときに、ブクマコメントを書いて終わりだ。 わざわざコメント欄に書くのはよほど親しい相手くらい。あるいは荒らし(笑)とか。 で、いちいち相手ブログのコメント欄へ書きに行かない分、その時間と手間をより大量のブログを読むことに費やすようになる。するとだんだんコミュニケーションはブログを通じてじゃなく、ブクマコメントを使ってのみ行われるようになる。 だからSBM上ではよくコメントしたりされたりしてる関係なのに、その相手と直接コミュニケーションしたことが全くない、という奇妙なシチュエーションが生まれる。コミュニケーションのよそ行き化である。 さて、この話の結論はどこへ持って行くのか? パターン1. インターネットの闇(笑) SBMの

    SBMはブログのコメント欄を滅ぼす - すちゃらかな日常 松岡美樹
  • エントリ単位で読み捨てられるブロガーの悲哀 - すちゃらかな日常 松岡美樹

    「トップページ以外にリンクするな」というサイト管理人さんの主張のひとつに、自分のサイトがコンテンツ単位で読み捨てられてしまうからだ、てな物言いがある。しかしこれってどうなんだろうか? たとえば私が読み手だった場合を考えてみる。 さあ、私はいきなりどこかのサイトのトップページ以外に降り立った。それがどこだかわからない。ここはいったいどこなんだ? まあとりあえず読んでみるか。 てな感じで、着地点いったいを読み進む。で、「おお。この人のものの見方はユニークだな」と思ったら、すぐさまトップページへ移動して、サイト全体の品定めをする。 しかるのちに価値アリと判断したら、RSSリーダ、または(ブログ以外ならば)お気に入りに登録する。反対に「つまらない」と思ったら、もちろんトップページになんぞ移動せず読み捨てる。 結局、少なくとも私の場合は、トップページにリンクされていたかどうかと、コンテンツ単位で読み

  • 安全地帯から2chに遠吠えするライブドアPJの「相変わらず」 - すちゃらかな日常 松岡美樹

    ライブドアの「パブリック・ジャーナリスト PJニュース 取材班」なるものが、2ちゃんねるを糾弾する記事を連発している。 『言論へのテロ!ブログ炎上の恐怖と悪質性』 『2ちゃんねるの「良識」』 『「デスノート」と化す、2ちゃんねる』 内容は言い尽くされてる話ばかりで新味はない。が、笑ってしまうのは文末である。引用しよう。 ※この記事は、PJ個人の文責によるもので、法人としてのライブドアの見解・意向を示すものではありません。また、PJニュースはライブドアのニュース部門、ライブドア・ニュースとは無関係です。 パブリック・ジャーナリスト PJニュース 取材班【東京都】    ※文字の強調表現は松岡が加工した 「文責はPJ個人にある」という。じゃあ、この記事を書いた「PJ個人」てのはいったいだれなの? そう思ってさらに先を見ると、個人ではなく「PJニュース 取材班」なる組織が書いたことになっている。

  • すちゃらかな日常:ファンクラブ志向と議論志向

    SNSとブログのちがいは何か? mixiに代表されるSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)は、「あいづちコミュニケーション」の世界だ。趣味や職業、価値観が同じ人たちがコミュニティに集い、「うんうん、そうだよね」と他人にあいづちを打つ。一方、ブログの性格はトラックバックが象徴している。ブログは自分の意見を表明し、トラバを使って「あなたはどう思いますか?」と問いかけるのに向いている。つまり議論志向である。 まずmixiとブログを機能のちがいで分析してみよう。 mixiでは「プロフィール」がとても重要な意味をもつ。プロフィール欄には「趣味」、「職業」、「自己紹介」、「好きな映画」、「好きなスポーツ」、「好きな音楽」などの細かいカテゴリーがある。で、ユーザはそれぞれのカテゴリーに自分の嗜好をくわしく書き込む。 ユーザはプロフィール欄で「自分はこんな人間です」とキャラクターを明かし、自分の

    すちゃらかな日常:ファンクラブ志向と議論志向