ブックマーク / agora-web.jp (6)

  • 三浦瑠麗氏は成長戦略会議に「事業者」として要望を出していた

    三浦瑠麗氏は、夫の再エネファンド「トライベイキャピタル」が家宅捜索を受けてから1週間、毎日ツイッターのトレンドのトップを独走しているが、きょうになって夫が業務上横領の容疑で捜査を受けていることがわかった。 三浦氏は「私としてはまったく夫の会社経営には関与しておらず、一切知り得ないことではございますが、捜査に全面的に協力する所存です」というコメントを出したが、これは当だろうか。 急に再エネにくわしくなった「国際政治学者」 私が最初におかしいと思ったのは、2018年3月の「朝まで生テレビ」だった。 三浦瑠麗さん ときどき必死になるのはそういうことなのかって ..#三浦瑠麗氏pic.twitter.com/uUuKxh2Kug — github (@github44) January 25, 2023 このときの番組テーマは「再エネの可能性と課題」。城南信金の吉原理事長は「メガソーラーの発電単

    三浦瑠麗氏は成長戦略会議に「事業者」として要望を出していた
  • 在野の歴史研究家に望むこと

    週刊ポスト(3月15日号)誌上での井沢元彦氏の公開質問状に対して、私が今週発売の29日号で反論した。これに対して評論家の八幡和郎氏がまたまた感想をアゴラに寄せている。 呉座 VS 井沢:歴史学者だけが歴史家なのか? 上記記事で八幡氏は私の反論文について「素晴らしい出来である」と述べている。お褒めいただいて恐縮だが、八幡氏は以前にアゴラ上で発表した記事で そして、井沢氏は「安土宗論八百長説」、つまり、信長の前で浄土宗と法華宗の間で行われた宗論について信長が最初から法華宗を負けさせるつもりだったという通説が自分の問題提起をきっかけに学説も修正されたことを指摘しているが、これには一理あるだろう。(「週刊ポスト」で井沢元彦氏が呉座氏に公開質問状) と述べている。井沢氏の主張を鵜呑みにして学界の通説が一蹴されたと八幡氏は思い込んでいたわけだが、一蹴されていないことは私が週刊ポストで指摘した通りである

    在野の歴史研究家に望むこと
  • 追悼岡留安則さん 私が『噂の眞相』読者だったころ

    元『噂の眞相』の編集長の岡留安則さんが1月31日に亡くなった。享年71歳。右上葉肺がんだった。突然のことで驚いている。合掌。 親子3代に渡り自民党に一度も入れたことのない家庭で育った私が、大学時代に愛読していたのは『世界』『週刊金曜日』『宝島30』『ホットドッグ・プレス』『ポパイ』そして『噂の眞相』だった。まるで、全共闘世代の学生の愛読書が『朝日ジャーナル』と『平凡パンチ』だったように、なかなかナイスな振れ幅だった。 私は『噂の眞相』を、大学に入学した1993年から読み始め、2004年春の休刊まで読み続けた。世は混迷を極めていたし、97年からは社畜ライフが始まったわけだが、『噂の眞相』は私にとって生きがいの一つだった。 扉の著名人男女のヌードイラストには正直ひいたが、誌面は反権力的な過激なスキャンダリズムに満ちており、エネルギーを感じた。政治・経済から芸能まで、さらには皇室や宗教関連まで、

    追悼岡留安則さん 私が『噂の眞相』読者だったころ
  • 所沢市「第2子出産で保育園退園」問題 --- 後藤 和也 : アゴラ - ライブドアブログ

    埼玉県所沢市で、第1子を保育園に通わせている親が、第2子を出産し育児休業を取得した場合、第1子が0~2歳児の場合は原則として退園となる、という制度が導入されたという。ネット上では「少子化対策に逆行している」「女性活用を無視した時代錯誤の施策」と数多くの非難がなされている。働く母親にとって深刻な問題である。 ■今回の制度の趣旨とは-所沢市役所HPから- そもそも制度はどのような趣旨で実施されたのだろうか。所沢市役所のHPを抜粋しながら検証してみたい。なお部分部分は中略していること、抜粋が長文となることについては、ご容赦願いたい。 育児休業中の保育の継続は、保護者の申出(育児休業中における保育実施の継続申立書の提出)により、国の通知(「育児休業に伴う入所の取扱いについて」)の事由に該当するか否かを各施設長が判断し、保育の必要が認められた場合に継続して在園とさせていただいておりました。

    所沢市「第2子出産で保育園退園」問題 --- 後藤 和也 : アゴラ - ライブドアブログ
  • 死者に優しく、弱者に厳しい日本-『日本軍と日本兵』

    2011年春、東北の被災地に行ってきたことがある。 GW後ならば、私のような非力な人間でも需要があるだろうと思い、友人プロジェクトに参加させてもらう形で、規制線内に物資などの支援に行ってきた。 語弊があるかもしれないが、そこで見たのは、死者に優しく、弱者に厳しい世界だった。自衛隊員が絶望的な表情で、膨大な人力と重機で遺体捜索する一方、道路が寸断された向こう側では、眼鏡、スリッパ、毛布、サインボール等が散乱する海岸近くの砂地で被災者たちがテント生活を送り(公共施設からはみ出る形)、そこには水道もガスもトイレもなく、風呂はサウナ、電気は発電機で若干しかない状態だった。他方、上空では、海自のヘリがしきりに遺体捜索で飛んでいた。 元自衛官の友人は、「自衛隊は遺体捜索より、さっさと道路等のインフラを修復し、被災者の生活再建と向上に注力するべき」ではないかと呟いたが、私も同感だった。既に亡くなった方

  • 小泉の時代:マクロ経済の難問 --- ノア・スミス(Noah Smith)

    ポール・クルーグマンは、2000年~2007年という言わば「小泉純一郎の時代」における日の経済成長は、世間が考えているよりもよっぽど強固なものであり、実際には米国の成長をも凌いでいた点を的確に指摘している。 以下の表は、日と米国の国民一人当たりのGDP(トータル・エコノミー・データベースより引用)の比率と、日と米国の15~64歳の成人のGDPの比率を比較したものである。 そこに示されるのは、一度も回復しない大きな景気後退ではなく、大いに回復する小さな景気後退である。米国レベルに収束をし続けた日は、もっと頑張るべきだったと考えられるだろう。ただし、人口統計学を考慮しない場合に見えてくる表面上の惨憺たる失敗は、どうにも明らかではない。 その通りである。日が失ったのは20年ではなく、10年だ。 さて、ここが難問だ。日の2000~2007年までの成長を加速化させた要因は何か? この期間

    小泉の時代:マクロ経済の難問 --- ノア・スミス(Noah Smith)
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