協和語(きょうわご)は、満洲国の建国初期に用いられた日本語と中国語のピジン言語である。興亜語(こうあご)、日満語(にちまんご)、大東亜語(だいとうあご)などとも呼ばれた。 「協和」とは、満洲国のスローガンである「五族協和」に由来する。主に日本語を母語としない漢民族や満洲民族といった中国人が用いていた[1]。そのため、中国語の単語も混じっており、さらに用言の語尾変化と助詞の一部を省略したものだった。これは、英語に対するピジンイングリッシュのような言語とも言える[2]。あるいは、一種のクレオール言語とみなすこともできる。 日露戦争後、新都市地域においてロシア語に代わって日本語が勉強されるようになっていた[3]。ただし、日露戦争の時に日本兵によって「カイロカイロ(帰らう帰らう。帰る場合にも行く場合にも使われる)」や「メシメシ(飯飯。召し上がれの意で使われる)」などの畳語が日満混合語として残された