この前、全体主義(ファシズム)のことを、わかりやすく〈反個人主義〉などと書いたが、学問的には〈主体の消去〉と重々しく規定したほうがいいらしい(笑)。するとそれは戦後平和ニッポンの企業兵士・サラリーマンたちの集団主義的性格により近くなる。〈戦前〉と〈戦後〉=〈全体主義〉と〈集団主義〉、この近似性、連続性はどこから出てきたのか!? そこで今回は少しく学問をしよう=評論家・柄谷行人の講義を受ける。これは1997年『宮澤賢治殺人事件』を出版したとき、『批評空間』(1997、11-14)で共同討議「宮澤賢治をめぐって」というのが行われたのだが、その時、柄谷に教えてもらった、わたしにとって“一番大事な話”だった。 だからちょっと長い文章になるけど、丸ごとここに引用するね。 * 柄谷 宮澤賢治とファシズムの関係にかんして誤解が生じやすいのは、ひとつには、ファシズムに対する誤解があるからだと思う。ファシズ