<アポロン的なもの>とその対立物である<ディオニュソス的なもの>を、「芸術家という人間」を媒介とせずに、自然そのものから直接ほとばしり出る芸術的な力として考察してきた。 人間はもはや芸術家ではなく、芸術作品そのものとなっている。祭りにみられるディオニュソス的なものの魔力によって、人間と人間との絆が復活するだけではない。人間に疎外され、人間と敵対していた自然、息子に踏みつけられていた母なる自然が、人間という放蕩息子と和解の宴をひらくのだ。 そこには、もう奴隷はいない。その時々の気まぐれな事情や「おしつけがましい慣行」で人間同士を引きはなしてきた、あの厳しく憎悪にみちた境界線はいまや完全に消滅する。ついに世界調和の福音がおとずれ、だれもが隣人とむすばれ、和解し、溶けあったと感じるだけでなく、文字通り<ひとつ>になったと感じるのだ。 ニーチェ『悲劇の誕生』 <アポロン的なもの>と<ディオニュソス