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2017年7月10日のブックマーク (4件)

  • ファシズムとイタリア合理主義<前編>

    20世紀のマリネッティと未来派宣言 建築およびインダストリアルデザインの世界は、常に人々の生活とともにあります。 建築とは人が住む場所を作ることであり、家具をはじめとするインダストリアルデザインは人々が日常のなかで使うものですから、それも当然のことといえるでしょう。 しかし、20世紀に入るまでその「人々」とは、一般大衆ではなく、一部の限られた富裕層を指していました。 たとえば現代でも知られているロマネスク(11世紀後半~)、ゴシック(12世紀~)、ルネサンス(15世紀~)、バロック(17世紀~)、ロココ(18世紀~)といった美術様式(あるいは美術運動)は、時の権力者の庇護を受けた美術家たちが、その権力者たちのために作品を作り上げるケースが多かったからです。 古来より洋の東西を問わず宗教が人々の生活と結び付いており、権力者はいわば芸術家のスポンサーとなり、自らの権力を人々に誇示するため豪華絢

    ファシズムとイタリア合理主義<前編>
    hharunaga
    hharunaga 2017/07/10
    “(モダニズム建築運動の中心となった建築家のグループ)グルッポ7の「伝統を受け継ぎ、新しいものを生みだす」という思想は、まさにムッソリーニの「結束」という意味でのファシズムと同じでした”
  • 『カストロの尻』 金井美恵子著 評・安藤宏(国文学者・東京大教授) : ライフ : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

    hharunaga
    hharunaga 2017/07/10
    “そもそも題名はスタンダールの名作「カストロの尼」の題名を、「カストロの尻」と勘違いしてしまう男に由来する” ←「スカトロの尻」という勘違いではないですね?w
  • 「哲学のない時代は不幸だが、哲学を必要とする時代はもっと不幸だ」――哲学者・國分功一郎インタビュー #2 | 文春オンライン

    ――哲学は1人で考えるというイメージもある一方、例えばプラトンが『対話編』で残しているように、対話の中で考えるということもあると思います。哲学の学会発表では、話芸も重要で、ドゥルーズも人に伝えるという点をかなり意識している、レクチャーとパフォーマンスは切り離せないんだというお話も前編でありました。哲学は1人でやるのか否か。この点についてはいかがですか。 國分 僕は哲学は根的には1人でやるものだと思っています。最近強い関心を持っているのが、ハンナ・アーレントというドイツ出身でアメリカで活躍した女性の哲学者なんですが、彼女は、ものを考えるとは「私が私自身と対話することだ」と言っています。「ツー・イン・ワン」って言ってるんですが、ものを考えるというのは、1者の中での2者を経験することである、と。またアーレントは、私が私自身と一緒にいることを「孤独(ソリチュード)」と呼び、これを、私が私自身と一

    「哲学のない時代は不幸だが、哲学を必要とする時代はもっと不幸だ」――哲学者・國分功一郎インタビュー #2 | 文春オンライン
    hharunaga
    hharunaga 2017/07/10
    “最近は「徳」とか「勇気」について考えていまして。…今の時代に必要なのはこの2つかもしれないって本気で考えています”
  • 『もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら』本好きにしか判らないこの楽しさとおかしさ - HONZ

    もしあなたが軽度の活字中毒を自任しているとしたら、おススメの一冊だ。 内容はじつに他愛もない。カップ焼きそばの作り方、すなわちお湯をいれて3分待って湯切りし、ソースを混ぜて完成させるまでのことを書き起こしたものだ。 それをもし村上春樹や太宰治、ドストエフスキーやコナン・ドイルが書いたらどうなるかというパロディである。 登場するのは人物ばかりではない。『暮らしの手帖』や『週刊プレイボーイ』の記事風や、もし村上龍と坂龍一が対談したらどうなるかという企画ものまで100ほどの文章で構成されている。 もともとは著者の一人である菊池良氏が1年ほど前、ツイッターに「もしも村上春樹がカップ焼きそばの容器にある『作り方』を書いたら」という記事を投稿したことがきっかけだった。 それ以来、ツイッター上では定番のネタとなり、数多くのパロディが投稿されつづけている。中には新約聖書風や尾崎豊の歌詞風まで登場してお

    『もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら』本好きにしか判らないこの楽しさとおかしさ - HONZ
    hharunaga
    hharunaga 2017/07/10
    北方謙三だったら、「スープに行け!」かな(違)。