昨日夕方首相官邸にいながら、安倍総理は翁長知事の米軍ヘリ落下物での抗議のため官邸を訪問した翁長沖縄県知事に面会せず、自分はその後芸能人と会食に出た。総理といえるか。
トップ > Chunichi/Tokyo Bookweb > 書評 > 記事一覧 > 記事 【書評】 日本人の朝鮮観はいかにして形成されたか 池内敏 著 Tweet 2017年12月17日 ◆憧憬と衝突を繰り返して [評者]四方田犬彦=比較文学者 かつて中野重治は、友人が「朝鮮の人」という表現をつい口にしたとき、それを叱責(しっせき)して、朝鮮人はきちんと「朝鮮人」と呼ぶべきであると語った。ところが『広辞苑』は一九七〇年まで「鮮人」という見出し項目を立てていた。日本人は朝鮮人・韓国人に対し、自分たちが蔑称を用いていることに、長い間あまりにも無自覚であった。 竹島、従軍慰安婦、強制連行…。今日、日韓関係はあまりにも多くの困難を抱えている。巷(ちまた)にはヘイトスピーチが氾濫し、「嫌韓本」が書店に平積みにされている。どうしてこのような不幸な事態が起きたのか。根底に日本人の長年にわたる朝鮮人蔑視
※歌詞を全文掲載していたのを訂正しました。 言葉のセンスが無い人は“正しい日本語”から離れることができず、説明的な作文を書いてしまう。 メッセージが一義的な表現で一から十まで説明されているため、受け手が解釈を試みる余地が無い。 どちらも下手な歌詞だと思うが、ミスチルのほうは切実な本音を綴っている誠実さが感じられるので、 悪く言うのは野暮かもしれない。酷いのは、ひたすら空疎な秋元康だろう。 秋元康については、『ヘビーローテーション』の「ポップコーンが弾けるように好きという文字が踊る」 というフレーズに、彼の歌詞の特徴がよく表れていると思う。 まず、直喩の多用や「が弾ける」「という文字」のように、表現がやたら説明的で言葉の省略が無い。 ここまで言葉を費やして明示的に語るなら、もはや比喩を用いる意味が無いと思うのだが……。 また、表現に意外性や固有性が無い。ポップコーン→弾けるというのはごくあり
(新潮選書・1512円) 「苦」を克服する道とは ブッダと初期仏教に迫る、迫真の対談。タイトルからして挑戦的だ。ブッダが悟り教えたものは何かを、仏教が言う三宝、すなわち仏=ブッダその人、法=「縁起」から説くこの世の真理、僧=悟りを目指す僧侶の集団、の順で取り上げてゆく。「私もまた死にゆくものである」と語った人間・ブッダが等身大に語られるのも、気持がよい。 ブッダは悟ることで深い幸福を得たが、「ほかの人には難しすぎる」と布教を断った話。ブッダは基本的にエゴイストだし悟りは難しいと、佐々木は言う。だが布教しようと決めてからは、ブッダは実に真剣にその方法を考えた。ブッダは「輪廻(りんね)」を信じていたか? 当時のインドでは輪廻は普通の概念だったが、いまどき輪廻と言われても困るだろう。いや、そのとおりですね。悟りの根っこを成す「縁起」や「無常」などが、ど…
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く