春の思いでの、Pansy押花、Viola押花の作品と、twitter.のお友達、天野行雄さん、斎藤秀雄さん、白島真さん、鳥見 徒躬於さんと「花と短詩・俳句」のコラボレーションをしました。お立寄りください。 高原より ●スミレ熱強の狂熱のスミレ咲く小径を スミレの名を呼びながら 独り歩いて来た ●高原の湖の岸辺にはハルリンドウが咲いていた 水面に鳥影の行方を映す 水鏡の人のペルソナ ●ビオラソロリア アロエの鉢に混ざって発芽して雪の日も咲き続けた あなたが此の場所に居たので 憎しみと悲しみの純愛の愛の変容を知った 最後の春だったBlue.と名乗った人よ ●押花の作品とコラボレーションしました。 規定は、百文字程度。4行程度で。 個展会場が見つかれば、テキストも飾りたいので、短めの詩、俳句をお願いしました。 1番の押花赤い部屋のヤマドリ。 2番桃色と黄色の部屋のヤマドリ。 3番
逆転写酵素が発見された1970年以降、いわゆるセントラルドグマの書き換えを迫るような発見が相次いだ。DNAとRNAを主従関係でとらえる認識ーーすべての設計図を備えた神=王であるDNAに対し、あくまでも補佐的で従属的なRNA、という認識ーーの変更が迫られたのである。これと同様に、21世紀前半には、細胞とウイルスの主従関係ーーウイルスは、主たる宿主細胞がなければ増殖できないのだから、あくまでも「外からやってくる異物」であって、従属的である、という認識ーーもまた、変更を迫られ、逆転させられる、そうした発見が相次ぐことだろう。 地球上の海水1リットルには平均30億個のウイルスが存在する(地球上の海水には4×10の30乗個。1個のウイルスを10兆分の2ミリグラムと仮定すると総量2億トン)(山内一也[2018: 134])。むろん地球上の全生物(細菌など、細胞をもつものすべて)の個体数を桁違いに上回る
Unknown (ifuri36) 2021-02-07 08:50:43 知青さま 返信場所間違えました ごめんなさい Unknown (知青) 2021-02-07 09:56:43 >ifuri36 さんへ コメントの削除はなんだか忍びないのですが 貴ブログに書いた拙コメントへの返信だったというわけですね。わかりました。 それにしても、 熊本とご縁のあるお方だったとは! 『たかざれき』のご購入ありがとうございました。 >怨の黒旗には東京の集会でよく出会いました。 そういう現場に立ち会われていたんですね~。 石牟礼さんは、近代文明の闇に果敢に斬り込んでいった人で私も尊敬します。
『現代詩手帖』のふたつのアンソロジー特集を読んだ。8月号が「現代詩アンソロジー2000-2009」、同じく9月号は「現代詩アンソロジー2010-2019」であった。所収作品は、アンソロジーの常として偏りがあるのかもしれないし、不足もあるのかもしれないが、おおむね楽しく読むことができた。のではあるが、同時に掲載されている、選者4名――瀬尾育生・野村喜和夫・小池昌代・蜂飼耳――によるふたつの「討議」、すなわち「二〇〇〇年代、詩に何が起こったのか」(8月号)、「10年代から現在へ――いま、詩は」(9月号)を読むあいだ、幾度となく、あの馴れ親しんだ「嫌な気分」に襲われることにもなった。ひとことでいうなら「何度これが繰り返されるのか」という脱力感・徒労感、すべてのひとびとが記憶喪失に陥っているのではないかという感覚、である――こういった体験には俳壇であれ歌壇であれTwitterのタイムラインであれ、
かわうそが絶滅していない「ニホンオオカミの 身体、」博物館に並んでいる。鹿が動く木「水玉の鹿が木蔭から覗いていた、」鹿は金魚のようにフルートだ、青い。青い金魚みずいろの金魚「」の中は田中さとみ新詩集『ノトーリアス グリン ピース』からの引用、引用「黄色く逃げる チャウチャウ犬 (ミートボール) ぶよぶよの石」石を食べる犬を食べる犬が石の色である。犬が、石が 、ドジョウの、色である色が鮮やかなドジョウが多いんだ「舌切雀がくずおれて砂浜になる」砂浜は貝殻になるだろう砂浜は貝殻の音を出すだろう。耳はゾウのような貝殻だ、灰色のナマズは犬になるゾウになる「ヒラメの首が切られる」ああ、魚が、犬だ!人間は眠っていると魚を見ているテレビ。「「冷えに冷えにけり」/犬歯のあいだから嚙むと水とミカヅキモが滴る」水を見る顕微鏡はとても 清潔な水だ、黒と銀色と、例えば緑色である。顕微鏡写真生物図鑑、なまこの中を泳
鹿を見た『このような、室内楽の、音楽が、あるのですよ』『室内楽の、曲には、このような、曲が、あるのです』のような題名の、本が、あるのか、どうか、よく、わからないが、室内楽に、ついての、本を、読んでいた鹿は楽器だ。鹿は、乾いている。鹿は、木の、色である。鹿は、金魚の、色ではない……鹿は、金魚ではないが、鹿も金魚もキノコのように動物だ。鹿という、硬い、楽器を、 使った、演奏する、室内楽。数匹の鹿が並んでいた。四匹の鹿による弦楽四重奏曲とか、ホルンを、使った、室内楽……ピアノは、くじらである。山で、いろいろな、音楽が、流れている。弦楽四重奏曲を、いろいろな、作曲家が、作曲しているし、楽器は、鹿のように、乾いている。古い、ヴァイオリンは、とても、よい。乾燥して、鹿の、骨の、ように、粉に、なる、という、ことが、ない。鹿の 、骨が、笛だ。フルートを使った室内楽。それは、灰色の、骨を、使った……細長い、
しるけし、そのほか 海へだて引き合ふ島か風すさぶ午後をしるけし二つながらに 蒔田さくら子 「歌壇」三月号掲載のこの一首に注意したのは、「しるけし」という言葉が使われていたからである。この「しるけし」は、今は一般の国語辞典や古語辞典には、この形では出ていない。 戦前の大言海や戦後でも上代語辞典(昭42、上山林平)は、この「しるけし」を形容詞として取り上げ万葉集の「神名火の浅小竹原(あさしのはら)のうつくしみわが思ふ君が声のしるけく」(2774)を用例に挙げていた。しかし現在はこの「しるけく」を形容詞(とすれば連用形)とは見なさない。たとえば岩波古語辞典は「しるけく」のままを見出し語として「《著シのク語法》」はっきりしていること。顕著なこと。」として右の万葉歌を引く。つまり「しるし」の古い未然形の「しるけ」に「こと」を意味する「く」がついた形で、「はっきりしていること」の意であり形容詞で
今日はいろいろな動物に出会えるのではないか出会えないのではないかと思って歩いた。道の、暗い影になっている場所でハトがいました。あれは……どのような……動物なのだろうかと思って歩いていると、すると、ハトであることがわかってきた。ハトなのではないだろうか灰色の。遠くにいる動物は全て灰色であるネコだ。シマウマである。それからゾウだ。ゾウは、灰色である。ゾウは近くに いても、遠くにいる。ゾウはハトのような灰色だ。青いハトがいる。緑色のハトがいて、アオバトである。アオバトは〜海水を〜飲むために〜海岸に〜来るだろう。私はアオバトを見たことがない。すると、灰色のハトが、影になっている場所で歩いていた。ハトなのだろうか、他の動物なのではないだろうかと思って歩いていたのだが、しかし、ハトであることがわかってきた。大きさがハトであり 、それから、形がハトであり、色がハトであることが、わかってくる。それは虫を食
葛――叙事詩 藤井貞和 ① (哀吾の生まれは)かげに、葛の葉のかげに、 哀吾は見るかげもない。もう時代が、 うつろいゆくいまの季と知れ。きみは、 まんがを愛し、朔太郎か折口かの落とし子で、 中学にさすらい、高校と、兵役としての大学に、 参考文献の戦争と、韻律の賭けとで疲れ果てて眠る。 やんれーのうたをうたえ、やんれー(河内音頭さ)、 百年花咲き襤褸をまとい、主人公終わるこの路上。 路上生活者、ことし五百五十五歳、きみの生涯、 地下生活者のうたをうたおう、花咲きのうた。 ② (物語詩の)ことばを喪う切れ切れのこころ、 ふるさとはひらさかにあった、遠いひらさか。 うたこそ流れ、やんれー。塩の山あいに節回しが、 聴かれた盆踊り。ねえさんの伝説によると、 散った日からの日めくりによって「うらひるがえる、 やんれー。哀吾よ、三歳のおまえが、 たずねて行こうとしたとき、数日のさかいを、 越えられな
人魚軍上陸戦 斎藤秀雄 人魚の一個師団が沖に沸き立つ青空 うつ伏せのヴァイオリン焦げ遠景の木霊 鏡の花束抱へて砂に刺さる農夫 孔雀が哄ふ薄墨の島 筆おろしの童貞ら鱗に千切れ紡ぎ歌 左手にバクーニン右手にチーズかまぼこの人魚スナイパーだ いにしへの空中体操いきいき家族 視線が売られ尾びれが壊すマーケット 産卵人魚なめらかな産道をバスがくる 鉄の橋も肉の橋もやつれて水の誕生日 斎藤秀雄 1974年生まれ。第6回詩歌トライアスロン野村喜和夫個人賞。 論文に「形式の観察/観察の形式――批評理論のルーマン」(『誌』vol.2、2019年)。プネウマ句会主催。ネプリ「きりんねこ短歌合評会」発行人。 タグ: 斎藤秀雄
暗い闇になっている場所に鹿がいたし、川にカモがいた。私は暗い闇になっている場所の近くを歩いていた。暗い闇は緑色で、暗い古い映像・写真で見たようなものだった。川にはカモがいて、石や木ではなかった。鹿は数匹いた。古い百科事典の「熱帯魚」のページで、斜めに傾いて泳ぐ(頭が下)魚の写真を見ていた。あれは古い印刷の写真だった……暗い水中から魚は現れる。魚は暗い場所にい るので、私は釣りをすることが、おそろしい。私は魚を釣りに行ったことがない……明るい魚がいて、後ろに、暗い魚がいた。輪郭がはっきりしていなかった暗い魚。魚は光る金属である。闇に鹿がいた……鹿は陸上にいて、それから、とても安全で、安心であった。魚は銅の色だった、それから魚には黒い線がある。川にはカモがいて、動かないこともあった。川で泳いでいるカモがいて、砂の上で 動かないカモがいた。あれは木の彫刻のような物体だった、あれは、木の、彫刻、の
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