2012年02月23日11:27 カテゴリ経済 モラルハザードと勤勉革命 ちょっとおもしろいブログ記事があったのでメモ。 ゴムホース大學で、ワタミの話を取り上げている。この事件そのものはよくある過労死(過労自殺)だが、それについての渡辺美樹会長のコメントが原因でツイッターで炎上している。過労自殺の起こる原因を、この記事はこう分析する:自分が諸外国の低賃金労働と日本のブラック企業が違う生態系の生物だと考えるのは、労働者使い捨ての部分ではない(使い捨ては途上国も酷い)。それは低賃金、長期労働なのに現場の労働のモラルハザードが起きていない点である。それどころか賃金低下、サービスの価格低下に反比例するかのように神経症的にサービスを特化させている印象すらある。これはわが国外食産業で象徴的だ。このモラルハザードの使い方は正しい。それは「倫理の欠如」ではなく、情報の非対称性を利用した合理的行動である。不
先日、ワタミホールディングスの社長が自社で過労死させた女性の労災認定について『残念』という表現でツイートして炎上していた。月140時間以上の時間外業務を強いる労働環境ではブラック企業と言われても当然だ。ネオンサイン通販状態だ。 ただ、私はわが国の『ブラック企業』は、諸外国(途上国含む)の下請け低賃金労働とは異質な形質で進化したと考えている。 最近、僕も京都駅の前にwifi・電源・コンセントカフェをオープンしたから経営者の気持が、分からないでもない。 その一番の部分を端的に述べるのは難しいが、やはり時代が変わり、デフレ化、顧客のサービス、ニーズも大きく変わっているのに、新しい商品やサービスのフレームを模索するのではなくて、逆にこれでもかというくらいに従来の方法論をマンパワーでゴリ押しする点が共通していると思う。 穴の開いたバケツの穴を塞ぐのではなくて、漏れること覚悟でガバ入れで水を汲むのだ。
アメリカのメディアは「英国のロイヤル・ウェディング」報道一色になっています。結婚式は金曜日ですが、先週から既に報道は過熱気味です。この「ケイトとウィリアムの物語」というのは、ダイアナの悲劇を背負った一族へ「嫁ぐ」決意をしたケイト・ミドルトンの「覚悟」と、そのハートを射止めたウィリアムという「キャラの立った」ストーリーであり、それがアメリカの人々の琴線にも触れたのは事実でしょう。 ですが、ここまで報道が加熱する背景には、この間のニュースが余りにも暗かったことへの反動という面もあるように思います。その暗いニュースというのは日本の東日本大震災、そして大津波による甚大な被害と原発事故のことです。発生以来1カ月半、アメリカは本当に大きくこのニュースを取り上げてきました。エース級のキャスターを日本へ送り、泣いたり怒ったり、臨場感ある報道を続けてきたのです。 日本の悲劇に徹底的につきあったことで、さすが
3月11日に東北沿岸部を襲った巨大地震と津波、それに続く福島原発事故が日本を震撼させている(写真は、宮城県気仙沼市で、瓦礫の中で作業にあたる自衛隊員)〔AFPBB News〕 これは、予想されていた「大地震」でさえなかった。世界最大の大都市である東京は長年、巨大地震に身構えてきた。だが、そのマグニチュードの事象が起きた時、震源地となったのは、東京より人口の少ない東北地方沿岸部の沖合いだった。 今では世界が嫌というほど分かっているように、それは始まりに過ぎなかった。地震に続いて起きたこと(破壊的な9メートルの津波と、近くの原子力発電所で起きかけたメルトダウン)は、日本を芯まで震撼させた。 声も出ない恐怖の中で、人々は人的被害の大きさ(死者は1万人を超え、50万人が避難民となる可能性が高い)が次第に明らかになるのを見つめてきた。菅直人首相は、地震、津波、原発事故という3重の惨事を、日本の戦後最
これは、MIT SloanのCusumano先生が本でも授業でもよく言ってる話。 面白いから忘れないうちに書き記しておく。 Cusumano先生は、Microsoft SecretやPlatform Leadershipで有名なソフトウェアビジネスの研究者。 日本の企業研究も色々されているし、一橋大学のビジネススクールで何年か教えてらしたりした日本通でもある。 そのCusumano先生が、ソフトウェア産業への取り組み方を比較して、こんなことを言っていた。 Europe: Software as a science -ヨーロッパにとってソフトウェアは「科学」 Japan: Software as production -日本のソフトウェアは「製造業」 India: Software as a service -インドのソフトウェア産業は「(プロフェッショナル)サービス」 U.S.: Soft
元木昌彦氏の「週刊誌は死なず」 元週刊現代編集長で、ついでに言えば元オーマイニュース編集長でもある元木昌彦氏の週刊誌は死なず (朝日新書)という新刊を読んだ。この中に、「ネットの影響を受けているのは新聞も同じである」として次のようなくだりがある。すこし長いが引用しよう。 しばらく前に、朝比奈豊毎日新聞社長と若宮啓文朝日新聞元論説主幹と話す機会があった。私は、こうした人たちと会う時、必ず聞いてみることがある。それは「どの新聞社もネットを充実させればさせるほど紙の部数が落ち込んでいることで悩んでいる。ここら辺で、新聞社が”談合”して、情報(ニュース)はタダという風潮を断ち切り、有料化に踏み切ってはどうか」ということである。 談合という言葉は刺激的すぎるが、要は、日本語という狭いマーケットの中で、バラバラに情報を垂れ流し合っていても、広告収入で採算をとるのは不可能に近い。「Yahoo!」など巨大
"The debt situation is irrecoverable," says Carl Weinberg of High Frequency Economics, referring to Japan. "I don't see any orderly way out of this. They will not be able to fund their deficit. There will be a fiscal shutdown, a pension haircut and bank failures that will rock the world. It is criminally negligent that rating agencies are not blowing the whistle on this." Japan, at the moment, loo
経営者にとって、情報システムは頭痛の種になりがちだ。業務に必須だが投資に見合った効果が出るとは限らない。ほかの設備投資に比べて専門的で難解でもある。 野村総合研究所で約20年間勤務した後に、人材派遣大手スタッフサービスのCIO(最高情報責任者)を務め急成長を支えた著者が、ベンダーとユーザー両方の視点から、“システム屋”の思考回路と、上手な付き合い方を説く。 前回(第27回)で登場したインド人の“システム屋”経営者の言葉をもう1つ紹介したいと思います。彼から「日本企業向けの仕事はもうやりたくない」と言われたことがあります。英語力の問題ではなく、日本人はそもそもシステム開発に向いていないというのが彼の主張です。 これを聞いた私は、その場では苦笑するほかありませんでしたが、日本人の“システム屋”として悔しいという感情が残りました。しかし今ようやく、この意見には反論が可能だという思いに至りました。
日本、大人になる 先週、民主党が、半世紀近くもずっと政権を握っていた自民党を政権から追いやったとき、一部報道機関は革命であると評した。 古い人たちはいなくなり、新鮮な風が吹き込んだ。 でもどうして人々は嬉しそうに見えないのか? どんな政府あっても彼らの問題を解決してくれないことを、日本人は認識しつつあるからだ。 しかし、これはいいことである。日本はついに成長しているのだ。 メディアは街頭にレポーターを派遣して、新しい政権に何を期待するか聞いている。 人々はマイクに近づき、「景気をよくしてほしい」「社会保障を充実させてほしい」「失業問題を解決して欲しい」などと率直に述べる。 しかし彼らの表情は憂鬱そうで、これらの意見にどこか偽りがあるような感じがする。 昔は、政府が私たちの問題を解決することができた。戦後、日本の成長の大部分は政府主導であった。 国民は、政府が道路や病院を作り、商売を守り雇用
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