皆さんこんにちは。広報のFです。 大石天狗堂を取り巻く歴史と当店の成り立ち。 歴史家でも何でもない筆者が、色々調べながら書くのは、凄く大変ですが面白くて為になる今回のブログ。 引き続き始めたいと思います。 さてさて、寛政の改革により、花札が取締りの対象になり、カルタ屋としては大っぴらに仕事が出来ない。 そこで、必殺仕事人のように表の家業と裏の家業の営業をしておりました(!!!_-)-☆ 当時 大石天狗堂も表向きは、『湊屋(みなとや)』という名前で米問屋を営み、奥で花札を作っていました(というより米屋の方はカモフラージュ?) しかし作物が不作なのに米屋が営めるのでしょうか。 しかし、役人の目を欺いていたのですから、米屋は米屋で、上手く経営していたのでしょうね。 そうだとすると当時の天狗堂の頭首は、凄い商才ですよね。 【ザ☆二足のワラジ!!】 今の世で言うと、表向きはオンライン通販をしながら奥