「ゲーミフィケーション(gamification)」という言葉をなんとなくわかったつもりで、バズワード的に使う人が増えてきました。本当にそれを可能するゲームのメカニズム(game mechanics)を理解してますか?ゲーミフィケーションというすばらしいコンセプトが、自分ではゲームをやりもしない人に、ビジネス上の理由だけでバズワードとして使われてしまうのは残念です。 以前、ゲーミフィケーションについてのNOTEを書きました(「進化するゲーミフィケーション」)。ゲーミフィケーションという言葉の意味を詳しく知りたい方はこのNOTEをご覧ください。時間が経ちゲーミフィケーションという言葉を知る人も増えてきましたので、今回はそのゲーミフィケーションを効果的にするゲームのメカニズムについて、こちらの記事を参考にしながらNOTEにとりたいと思います。 [参考:Mashable「HOW TO: Gami
間口は広く、切り方もかなり多彩に成り得るのですが、取り敢えず10作に絞ってみました。……それを名目に好きな小説を並べてみた感もあるのですが、まあセレクションが古臭いは禁句で一つどうぞ。 超人 「理解」(テッド・チャン、『あなたの人生の物語』所有) 『人間以上』(シオドア・スタージョン) 上は拡張された認識による戦闘描写の極地の一つ。ロミオ作品の戦闘描写への物差しとして最適です。 下は超人でありながら人としての出来そこないたちが集合し起こりうる何かを書いています。参考までに。 認識の進化 『果しなき流れの果に』(小松左京) 途端、意識と認知が縦方向に引き延ばされる。 事象は縦割り。 時間は交差する非論理の流れだと知る。 俺はハシゴをよじのぼっていく。 高く、どこまでも高く。 山よりも空よりも高く、宇宙よりも時間よりも上… そこからは、万物が見えた。 (Moon【ミラクル大冒険】より) ……か
2chライトノベル板より 902 イラストに騙された名無しさん [] 2011/03/25(金) 09:35:26.27 ID:dURKEqjh 落ちものにも萌えもあれば非萌えがあるように色々な属性、設定があるもんだな 最近のループ物はひぐらしの影響が強そうだね Fate/hollow ataraxiaやハルヒのエンドレスエイトも後発だし新エヴァも旧エヴァのループ後らしいと聞くしな 903 イラストに騙された名無しさん [sage] 2011/03/25(金) 09:41:07.77 ID:LnJs0sBA それはどうだろ 904 イラストに騙された名無しさん [sage] 2011/03/25(金) 10:07:11.17 ID:Oq5EiTBx ひぐらしからオタになって「ループと言えばひぐらし」と言い出すバカはここ数年絶えないなあ 他にも「ループと言えばクロスチャンネル」 「ループと言
@crow_henmi 次回の #WannaBQ においては、ポストアポカリプスの「大量死/大量生」に対して探偵小説が向き合った困難と克服及びアポカリプス自体をゲーム的想像力の側から書いた作品として「まどマギ」について語ろうとか思ったが、余りにも時勢に流されて大阪なので微妙だ罠。 2011-03-16 19:49:31 @crow_henmi 取り返しの付かないものを取り返そうとしてループすると取り返しの付かないものの個別性が偶有性に後退し、結果として取り返したにもかかわらず価値を失っているという問題は、ゲーム的想像力の中でどのように解決されたかというと、まあひぐらしでありうみねこです。 2011-03-16 19:54:11 @crow_henmi メタ物語レベルでの一回性を構築し、それにより偶有性増大による価値後退を食い止め、むしろその繰り返しによって「取り返しの付かないもの」の価値を
要約 目標を設定して達成する際に、戦略が必要とされる。 目標までのルートがはっきり見えている時には、順序的な戦略が立てられる。ダンジョンを1階ずつ制覇してゆくようなものである。 目標までのルートがよく見えない時の戦略は、累積的な戦略となる。敵のHPと回復力はわからないが、とにかくダメージを与え続けるといった戦略である。 目標の立て方、順序的な戦略、累積的な戦略の三者に、それぞれ様々なジレンマが存在する。 その上で、完璧な戦略、未来予知はありえないが、わかる範囲で努力し続けることは可能である。 いっぺんに何もかもしようとせず、自分の限界を知りながら、努力しつづけることが大切である。 戦略の迷走とは AGSにて、蔵原氏が新しい記事を挙げられました。 戦略の迷走:『空の境界』と『キラーエンジェルズ』の場合: Analog Game Studies タイトルの通り、戦略の迷走について、様々な観点か
アナログ・ゲーム・スタディーズ(略称:AGS)のサイトです。 “学びが、ゲームをより楽しくする。ゲームが、人生をもっと豊かにする。”を合い言葉に、ゲームとそれ以外の社会的要素を繋ぐべく、現場のクリエイターや研究家・学術者・ファンたちが情報発信と実践をしていくプロジェクトです。 戦略の迷走:『空の境界』と『キラーエンジェルズ』の場合 蔵原大 ――――――――――――――――――――――――――――― 生きるという事はそれ自体にリスクを伴う。人生の目的は個人によって違うかもしれないが、そのリスクを軽減したいという思いは概ね古今東西共通のようだ。この思いが観察⇒確認⇒決断⇒行動とその結果⇒観察…という作業のループを形成するようになった時、人は往々にしてそれを「戦略」と呼ぶ(*1)。本記事が扱うのは、実生活であれゲーム上の仮想生活であれ、この「戦略」がどう機能し、またどう機能不全に陥るのかという問
この項目では、ゲーム理論について説明しています。横山秀夫原作の「囚人のジレンマ」(「第三の時効」所収)については「第三の時効」をご覧ください。 囚人のジレンマ(しゅうじんのジレンマ、英: prisoners' dilemma)とは、ゲーム理論におけるゲームの1つ。お互い協力する方が協力しないよりもよい結果になることが分かっていても、協力しない者が利益を得る状況では互いに協力しなくなる、というジレンマである[1]。各個人が合理的に選択した結果(ナッシュ均衡)が社会全体にとって望ましい結果(パレート最適)にならないので、社会的ジレンマとも呼ばれる[2]。 1950年に数学者のアルバート・タッカーが考案した[3]。ランド研究所のメリル・フラッド(英語版)とメルビン・ドレシャー(英語版)の行った実験をもとに、タッカーがゲームの状況を囚人の黙秘や自白にたとえたため、この名がついている[4]。 囚人の
この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "家族的類似" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL (2023年1月) 家族的類似(かぞくてきるいじ、英: family resemblance、独: Familienähnlichkeit)とは、言語哲学・認知言語学上の概念で、語の意味を部分的な共通性によって結びついた集合体とみなす考え方。 ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインはその著書『哲学探究』のなかで、「ゲーム」(独: Spiel)という語をとりあげ、「ゲーム」と呼ばれている全ての外延(対象)を特徴づけるような共通の内包(意義)は存在せず、実際には「勝敗が定まること」や「
Топ-стратегии для игры с живыми дилерами PowerPlay предлагает игрокам возможность насладиться атмосферой настоящего казино, не выходя из дома, благодаря своим живым покер дилерам. Это уникальное сочетание онлайн-игры и реального крупье создает захватывающий опыт, который привлекает многих игроков. Однако, чтобы добиться успеха в игре с живыми дилерами, необходимо использовать определенные стратеги
2009年 1月30日 高橋志行(godandgolem.inc*at*gmail.com) スパム対策のために@を *at* と表記しています。メール送信時には、ここを半角 @ に直して宛先として下さい。 1.はじめに――ルドロジーとは何か 本論稿の目的は、読者諸氏に「ルドロジー」と呼ばれる新たな学問の潮流を紹介しつつ、ゲームを語ることばについての一定の視座を提供することである。 まずは「ルドロジー」について説明したい。これは、フィンランドの研究者であるゴンザロ・フラスカ(Frasca 1999)が提唱した、遊びやゲームを専門に取り扱う学問の潮流を指す。20世紀末まで、遊びやゲームをめぐる人文学的な考察の多くは、主に文芸批評、つまり物語論(ナラトロジー)的な立場から行われることが多かった。それに対してフラスカは、あくまでゲーム「それ自体独立したもの」として研究するアプローチ(Lu
[CEDEC 2010]「スーパーマリオ」の上ボタンはなぜ押される? ゲームプレイの記録からゲームの本質に迫る,立命館大学上村研究室の研究報告 編集部:touge CEDEC 2010では,ややアカデミックよりの発表も多数行われている。その中から「テレビゲームとはなにか ―ゲームプレイの記録と分析を通じて」と題されたセッションを紹介しよう。 「CEDEC 2010」公式サイト 立命館大学 衣笠総合研究機構 研究員/講師 尾鼻 崇氏 この講演の主旨は,ゲームそのものではなく,ゲームを遊ぶ人間にの側に焦点をあてることで,ゲームの本質(遊技性)に迫ろうというもの。セッションでは,立命館大学 上村研究室でこの研究を行う上村雅之教授と,同研究室の研究員である尾鼻 崇氏が登壇し,本研究の現状と展望についての報告が行われた。 セッションは,まず尾鼻氏による上村研究室の紹介から幕を開けた。立命館大学では上
[CEDEC 2010]現役の社会科学系研究者3人がゲームとその周辺を考える。「実はこんな研究やってます――社会科学編」レポート ライター:米田 聡 国際大学GLOCOM 研究員 助教 井上明人氏 ゲームが社会に与える影響や,ゲームビジネスの方向性といったことが折に触れて語られることはあっても,系統立てて研究されている例が紹介されることは多くない。そうした中でCEDEC 2010において,現役の社会科学系研究者3名による「実はこんな研究やってます――社会科学編」というセッションが開催された。なるほどと思わせる部分もあり,また少し厳しいことを言いたくなる部分もありで,なかなか興味深い内容だったのでレポートしてみよう。 セッションは,国際大学GLOCOM 研究員 助教 井上明人氏が,社会科学研究とゲームの関連性について概論を述べ,芝浦工業大学 システム理工学部 准教授 小山友介氏と,東京工業大
東浩紀「メタリアル・フィクションの誕生」は「ファウスト」に数回にわたって連載されたものだが、彼は議論を半ばで打ち切り、連載をいったん終わらせた。そのため、この連載の内容は現在は「文学環境論集 東浩紀コレクションL」にのみ収められている。しかし連載で提示された「ゲーム的リアリズム」というリアリズムに関する新たな試みは継続され、より発展させられたものとして「ゲーム的リアリズムの誕生~動物化するポストモダン2」という優れた著作に結実した。 僕はこの「ゲーム的リアリズムの誕生」という著作ないしは「ゲーム的リアリズム」という彼の定義を、現代のフィクションに対する批評の方向性のあり方として、また時代を語るための寄る辺として、諸手を挙げて支持する。だが、連載「メタリアル・フィクションの誕生」には彼が「ゲーム的リアリズム」を見出すに至った動機に類する内容が多く含まれており、そして今ここにそれを参照する意味
http://d.hatena.ne.jp/tek_koc/20071202/1196550751 なんだか巷でいろいろ論争されているみたいです。ゲームも文学たりうるのか、ゲームはゲームであり、それはそれとして楽しめばいいではないか、などといった議論です。 結論から言えば、自分はどちらかといえばなんでも文学だ、と言い張る傾向がありますね。今のオタク系サブカルチャーはやはり文学に端を発していることが多く、「純文学」ではないにせよ、「文化」であり文字媒体なら文学だ、と大まかに言い張っても問題はないのではないでしょうか。 日本の純文学は欧米の自然主義文学を輸入した形でしたが(だいたい大正期かな?)、その際に日本の純文学に取り入れられなかった自然主義の一部分が探偵小説として継承されました。探偵小説も当時は文学の一部でしたが、江戸川乱歩が探偵小説を大衆雑誌に掲載し始めたころから、サブカルチャーの様相
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く