こんにちは、西友の富永です。 2013年2月20日、飯野賢治さんが42歳の若さで亡くなりました。 読者の方々のなかには飯野さんとの対談を読んでくださった方も多いと思いますが、私は幸運にも何度か飯野さんと一緒に仕事をする機会に恵まれ、その類いまれな創造性に触れることができました。 飯野さんはゲーム分野での実績があまりに大きいことから「ゲームクリエーター」という肩書きで紹介されることがほとんどです。しかし、私が彼とともにしてきた仕事は、基本的にゲームとは異なったフィールドが大半でした。 今回は飯野さんへの追悼を込め、私が初めて飯野さんに会ったときの話を紹介することで、飯野さんのゲーム以外の才能を知っていただきたいと思います。 出会いのきっかけは「Cmode」の開発 2002年に日本コカ・コーラ、NTTドコモ、伊藤忠商事が開始した「Cmode(シーモード)」というサービスがありました。「自動販売
![飯野賢治はゲームクリエーターではなかった!? - 日経トレンディネット](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/25bb0b6f2369969ff34f4914fe0ae0c1e914a111/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Ftrendy.nikkeibp.co.jp%2Farticle%2Fcolumn%2F20130314%2F1048118%2F02_px200.jpg)