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著作を読んでから読むに関するhinemosu_notariのブックマーク (2)

  • 「労使関係論」とは何だったのか(5) - shinichiroinaba's blog

    技術決定論、あるいは技術変化を外生変数としてカッコにくくる立場から脱却し、「問題の切り分け」を行うためには、「技術選択・技術変化の政治経済学」とでも呼ぶべきものが必要となるが、それは60年代の日においてはまだ望むべくもなかった。 マルクス主義の陣営においては、素朴な技術決定論への批判は、60年代以降の新左翼的ネオマルクス主義の勃興とともに、70年代以降格的に起こってくる。日においては戦後初期の武谷三男、星野芳郎らの技術論を継承しつつ、工場現場での技術者としての実践を踏まえた中岡哲郎らの産業技術論が出現し、熟練の解体についての疎外論的な議論を展開した。合衆国では、工場労働者としての経験を踏まえたハリー・ブレイヴァマンの『労働と独占資』が上梓され、それを受けてラディカル・エコノミストらによる生産過程分析が盛んとなり、スティーヴン・マーグリンやボウルズ&ギンタスらの、技術選択をめぐる階級

    「労使関係論」とは何だったのか(5) - shinichiroinaba's blog
  • 「労使関係論」とは何だったか(4) - shinichiroinaba's blog

    文献全部日においてきた状況で記憶だけを頼りに書くには無理があることなど百も承知。まあいい加減あきらめて大原社研雑誌のサーベイシリーズを読みますよ。 - 政策論的、あえて言えば政治学的かつ知識社会学的な段階論解釈に理があるとは言っても、あくまでも下部構造、生産力に焦点を当てて「段階論」を解釈していくアプローチの方が、もちろん「経済学」というディシプリン全体では主流であり、それは労働問題研究においても例外ではない。更に言えばそうした発想はマルクス経済学独自のものではなく、経営学、経営史学においても、たとえば「見える手」について論じたアルフレッド・チャンドラー流に、19世紀末から20世紀初頭にかけての、株式会社制度による巨大な資集中と、官僚制組織による巨大な労働力集中を可能とした、近代的な会社組織成立という質的な転換を見出す立場が大きな影響力を持っている。 問題は、何がそのような変化をもたら

    「労使関係論」とは何だったか(4) - shinichiroinaba's blog
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