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ブックマーク / deathhacks.jp (25)

  • 糖質制限ダイエット中

    とは言ってもすぐに環境状況を整えられない。 外で調整するのはとても困難。 コンビニエンスストアで買い揃えようとすると炭水化物商品の多さにあらためて気づく。 当座の折衷案として外ランチメニューの炭水化物だけを半分残すようにする。 全部べないのでもなく、全部べてしまうのでもなく、キッチリ半分べ、半分残す。 2014-02-08 21:00 [amazonjs asin=”4334037666″ locale=”JP” title=”炭水化物が人類を滅ぼす 糖質制限からみた生命の科学 (光文社新書)”]

    糖質制限ダイエット中
    hiroomi
    hiroomi 2014/02/08
    “コンビニエンスストアで買い揃えようとすると炭水化物商品の多さにあらためて気づく。”コンビニは粉でできてるかもしれない。加工する側からすると、お手軽だということなのかも。
  • 時間をゆっくりにする

    仲間内、業界内での私自身の立ち位置をあらためて感じ取ってみようとすると、とても自由である気がしている。 他人や組織にとんでもなく発言権や影響力があるというわけではないのだが、さりとて外部から監視されたり干渉されたりするようなこともない。 そ...

    時間をゆっくりにする
    hiroomi
    hiroomi 2014/01/17
    “時間をゆっくりにする 自分のタイミングに合わせて生きていく”自分で選ぶと
  • 青春18切符で新潟に行ってきた

    初めて青春18切符というものを使った。 行き先は新潟県、越後湯沢駅へ。 5時間弱かけて上野から旅を楽しんだ。 土合駅あたりでトンネルを越えると突然に雪国になった。 まさに「トンネルを抜けるとそこは雪国だった」の世界だ。 手前のトンネルの長さがすごくて当に急に目の前が白くなる感じ。 越後湯沢では少しだけ駅周りを散歩して雪合戦しまた駅構内に戻った。 CoCoLo湯沢というショッピング観光モールが発達していてここだけで満足できてしまう。 それでいいのかとも思ったがそれでもいいのかもしれない。 湯に入り、日酒を試飲し、おみやげを買って、醤油を試飲し、帰路に着いた。 上野駅には8時過ぎに到着。 電車と雪と寒さと日酒を堪能した。 普通にJRで行くと上野駅-越後湯沢駅で3260円、往復で6520円かかるところを青春18切符で2300円の旅だった。 2014-01-05 20:00

    青春18切符で新潟に行ってきた
  • 「私の代わりに言ってやってください」を言わないでください

    世の中、日常でもビジネスでも、「〇〇さんから彼/彼女に言ってやってくださいよ! 私が言っても聞かないんですからー。」という物言いは良くある。 しかし、これは無茶な要求であることがほとんどだ。 無意味といってもいい。 あるいは建設的な提案の偽装をした愚痴なり。 仮に提案を受けた人が、影響力があるとか、〇〇さんなりに指導をする責任があったとしても、実際に行動をとるかどうかは周りから強要することはできない。 それは、「私の代わりに言ってやってください!」という人が、自分のメリット・利益しか考えていない or 見ていない/見えていないからだ。 当然指導的立場の人が、何かの言動を取るときには、その人自身視点でのメリットだけでなく、デメリットも見えてくる。 結局、誰かに影響を与えたい、他人を変えたいという人は、別の人を介して自分の手を汚さないとか、繰り返し同じことを言い続けて、かつ相手が変わらないこと

    「私の代わりに言ってやってください」を言わないでください
    hiroomi
    hiroomi 2013/02/06
  • ある仕事を10年続けるかなんて言えない

    人間の一生や生命なんて年単位のスパンで話すなんてことは禁止ではないがナンセンスだ。 今の職場、これから手がける仕事などを「10年」続けるなんてことは冗談レベルの話ならともかく真面目な顔して語るのは難しい。 人がガラッと人生や職業を変えることはありえない話ではないが、高技術化されたジョブほど困難だろう。 そこには技術や時間的問題だけでなく、心理的なブロックも生じる。 人間誰でも無駄なこと、非効率的なことはしたくない。 ファイナルファンタジーのキャラだってジョブチェンジするといったんレベルが0になる。 10年今の仕事、環境を続けるか?とか、ということを他人に当に尋ねることはできない。 科学者だって、同じテーマで一生研究するというのには成功の陰に多数の失敗、リビングデッドがあるだろう。 日では特に「〇〇一筋、ウン十年」というものが褒め称えられる傾向がある。 だが、そんなものも人の好き勝手、

    ある仕事を10年続けるかなんて言えない
    hiroomi
    hiroomi 2013/02/02
    何を得意とするか、スキルは…別な見方だとなにに投じるか。もちろん自分にも組織にも。
  • 身近な人の自殺から「見捨てられ」を感じる

    肉親や愛する人が自殺すると、悲しいという気持ちだけでなく、自分が「見捨てられた」のだと感じることがある。 これは物理的に、あるいは現実として離れ離れになるということ以上に、自殺についてとても苦しい意味を持たせてしまう。 単に「離れる」「別れる」ということであれば、人は人生経験から慣れやいたし方の無さを学んでいるかもしれない。 しかし、死を用いた別れは「何もそこまでして離れようとしなくってもいいのに……」とまで考えさせてしまう。 こうした感情体験は、子供であったり、他にポジティブな体験や拠り所のない人ほど強烈な負荷となる。 自責を生むし、うつにもする。 だから、身近な人を自殺で亡くした場合のケアとしては、乏しい情報や記憶の中から「当に『見捨てる』というようなメッセージは存在したのか」を当事者と一緒に確認する。 あくまで比較の上でだが、このケアに比べれば、元気づけも、忘れる対処も、薬の内服も

    身近な人の自殺から「見捨てられ」を感じる
  • 自分を動かしているのは納得したいという気持ちだけ

    優しくはなれないし、なるつもりもない。 デリケートにはなった方がいい。 自分の気持ち、他人の心理に敏感に。 アクション、リアクションは変わらない、変えられないかもしれないけれど。 変化する第一歩は、気づくこと、知ること、触れること、現場から...

    自分を動かしているのは納得したいという気持ちだけ
    hiroomi
    hiroomi 2012/12/16
  • 「うつの入り口」という小手先の物言い

    悩み相談や心理カウンセリングで、明らかにうつの症状が出ていると思っても、カウンセラーはそのまま「あなたはうつかもしれませんよ」とは言いにくいようだ。 これは、判断したことを伝える単なる「見立て」とも言うべきものが「診断」という、医師だけに許されているもの、最終決定のような重みを勝手に持ってしまうことを嫌ってのことだ。 確かに「うつである」あるいは「うつではない」という一つの判断がクライアントに伝わることによって、「うつ(病)ではないのにうつだと言われそれが次の行動に結びついた」または「うつ(病)であるのに『うつではないですよ』というカウンセラーの意見によって医療機関への受診や対応のタイミング・機会を損なった」ということがはっきりとあれば問題になりうる。 だから多くのカウンセリングでは、クライアントから「私はうつ(あるいは病気)なんでしょうか?」と訊かれてもはっきりと答えることがためらわれる

    「うつの入り口」という小手先の物言い
    hiroomi
    hiroomi 2012/12/09
  • メンタル不調で病休や休職を経た人は会社を離れることが多いのではないか

    別に組織と仲違いするからというわけではなく。 その理由には2つ考えられる。 一つには、同じ人間関係の中に身を置きづらくなって。 これは周囲へのカミングアウトの程度にも依るかとは思う。 うつなどからの復帰に際しては可能な限り、その情報や心情、経過などをオープンにしてしまった方が、結局中長期的にはメリットが大きい。 「こういった出来事が別に珍しくもなんともない」、「一般のケガや病気と同じようなものだ」というメッセージにもなる。 しかし、現実にはフルにオープンにすることは難しいから、回復してから数年くらいして、それまでお世話になった組織から離れていくケースが多いような気がする。 もう一つの理由は、メンタル不調とそこからの回復過程経験を通して、人生観が変わるというか、元々無意識化にあったような願望や価値観が現れてくるため。 そうした思想や考え方、人生設計が、その時点で所属している組織のあり方やその

    メンタル不調で病休や休職を経た人は会社を離れることが多いのではないか
    hiroomi
    hiroomi 2012/10/20
    「その情報や心情、経過などをオープンにしてしまった方が、結局中長期的にはメリットが大きい」まじめ系うつの場合、回復傾向に見られても、オープンになるのが、難しいみたい。そういう価値観に気づけない。
  • バランスよりも覚悟を取る

    エデュケイションでもカウンセリングでも、対象を広げたり、深めたりしようとすると、途端に現場にそぐわないように見えてしまう。 やれ「私の職場ではそれは当てはまらない」とか「そんなに基準を難しくしたらマンパワーが増えない」などのように。 バランスを取るという方針はよいけれども、現実には難しく、時間がかかる。 大事なのはバランスよりもむしろ、覚悟を決めて、メリットとデメリットを一緒くたに飲み込んで、覚悟して行動し、責任を負うということだ。 2012-10-13 08:00

    バランスよりも覚悟を取る
  • 自分の仕事を説明する

    昨日あまりに簡単に書いてしまったが、自分自身がやっていることや属性などを、まったく知らない人にゼロから説明し、うまく理解してもらうのは難しいことだ。 自己紹介は難しい | deathhacks それこそ単純に「コミュニケーション能力」(もしくは〜技術とか〜スキル)が高いかどうかというふうに言ってしまってもいいのだが。 職業名を言うのか、持っている資格を話すのか、勤めている会社名を言うのかなど、バリエーションはいくつもあるし、これが正解というものもないだろう。 全部とりあえず羅列してみるというわけにもいかない。時間は有限だからだ。 自分一人の自己紹介を延々と続けていてもしかたない。 私が「医者です」と言っても、「何科ですか?」「どこ病院の?」とかいう追加の質問が待っている。 これは当然だし、その過程を通じてコミュニケーションが進むのだから無駄ではないが、ちょっとわずらわしく感じる場合もある。

    自分の仕事を説明する
    hiroomi
    hiroomi 2012/10/04
    「経験と準備と工夫で、色々と試していく価値はある。」
  • 学習スピードはグループ内で一番遅い人が律速する

    グループ学習は果たして効率的なのだろうか。 その時々で見る角度や焦点を意識しながら判断する必要がある。 経験的に、グループでの学習スピードは、どうやっても一番遅い人に合わせることになる。 もしも、進行を早めようとしても、ある程度まではできるだろうが、結局配慮や質疑応答などによってブレーキがかかる。 これはデメリットだけではないし、社会全体としても同じことが言えるから、「小さな社会」でもある「グループ」でも許容しなくてはいけない面がある。 逆に許容してはいけない場合もある。 例えば、グループやチームがプロ契約として、活動しサービスを提供している場合。このときには、チーム内に未熟な者がいたとしてそこにレベルを落として合わせることは、期待された最高の成果を上げる妨害となる。 また、学習が一番遅い人、能力が他の人に比して著しく低い状態の人がいることによって、所属組織そのものの存在が危うい場合。そう

    学習スピードはグループ内で一番遅い人が律速する
    hiroomi
    hiroomi 2012/10/02
  • 管理されなくてはならないゲーム

    ゲーム」は正しく管理されなくては長期的には成立しなくなる。 ここで「ゲーム」と呼ぶのは、アクションに対して何らかのリアクションが返ってくるシステムであり、そのルールまたは環境のすべてを人間が決めるか構築したものである。 今書いたことも含め、ゲームの定義としては、 ルールがあること ルールが守られること 「成功」が存在し、それを達成する可能性が十分にあること 3番目については、人間が能的に欲する「驚き」や「期待」の要素を含む必要があるということだ。 「ワクワク」が要るといってもいい。 プレイヤーに、どうせ成功する、というイージーな感覚を持たせてもいけないし、どうせ失敗する、と諦めさせてもいけない。 この感覚とそのバランスを取ることは、ときにゲームの成功報酬が豪華だったり高価だったりすることよりも重要である。 そして報酬、あるいは結果は素早いタイミングでプレイヤーに返される必要もある。 こ

    管理されなくてはならないゲーム
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    hiroomi 2012/07/25
  • うつで、ほんの少しだけ、今よりも楽になることを目標にする

    うつは治るし、長期的な目標はもちろんそこなのだけれども。 短期間、あるいは単回のセッションでの目標やゴールを決めるのはなかなか難しい。 ゴールを決めないとクライアントとカウンセラーの間で血管を共有するできない。 かと言って、突き詰めて、ああでもないこうでもないとやっていると、思考や感情、行動について扱う時間がほとんどなくなってしまう。 カウンセリングなどについての、こうした部分のコストを最小限にするために、ひとつには目標をカウンセラーが決め打ちしてしまうのも良い。 それが「ほんの少し状態や状況を良くする」というものだ。 イメージとしては「-2%(負担の2%減)」だ。 仮に、クライアントの日常で101%の負担が続いていたとして、そのままではいつか負債が限界を超えて潰れてしまうだろう。 101%というのは、放っておいたら回復が望めない状況のうち一番軽いものということになる。 101%から2%負

    うつで、ほんの少しだけ、今よりも楽になることを目標にする
    hiroomi
    hiroomi 2012/07/16
  • うつの疲労感表現の例

    うつ症状の重要なものの一つに疲労感がある。 疲労を感じたことがない人はいないだろう。 疲労を回復するには、基的には休まなくてはならないし、時間もかかるということには納得してもらえるのではないか。 しかし、それが死にたいという気持ちにつながったり、それほどの苦しさに直結するということになると途端にイメージしにくくなるようだ。 それは、結局は疲労が目には見えず、痛みとかと同じく当事者主観でしか測れなかったりと、明確に共有できる尺度がないからだ。 だが、その表現には遺書などの上に、驚くほど共通性が見られることはすでにわかっている。 例えば、自殺したマラソン選手の円谷幸吉の遺書にも「幸吉は、もうすっかり疲れ切ってしまって走れません」というように書かれている。 これは半分は比喩としての疲れであり、当たり前だが決して運動の直後に書いたからというわけではないのではないか。 ただし、人には休めばある程

    うつの疲労感表現の例
    hiroomi
    hiroomi 2012/07/10
  • うつの人は死にたい理由すらも忘れてしまう

    《2007-10-12 FRI 0921》 病気による影響もあって、「忘れんぼさん」になる。 死にたい気持ちだけが残る、エネルギー枯渇という状態だけ、結果だけが残る。 その後に何かいわゆるライフイベントがあったとしたら、 《死にたくなる → そのライフイベントで死にたくなったのだ》と、勘違いしてしまう、勘違いされてし まう。 さらに弱るとライフイベントでなくても単なる「イベント」出来事で死にたいと感じることもあり得る。 (関連エントリ) うつの人の日常は惨事である | deathhacks 2012-06-29 07:00 Posted from DPad on my iPad

    うつの人は死にたい理由すらも忘れてしまう
    hiroomi
    hiroomi 2012/06/29
    「死にたい気持ちだけが残る、エネルギー枯渇という状態だけ、結果だけが残る。」能動、受動問わず結果だけ残るが、何もしな結果が残すと。
  • 自殺対策は、救急的対応に向かえば向かうほど、介入としては妥当になるが、費用対効果は悪くなる

    対象人数が減るし、個々に要するリソースやコストは増える。 自殺対策だってサービスの一種だから、利用する人や場面、回数が多いほど金銭コストをかけられるし、早く、より高い確率で利益を回収できる。 一方、自殺対策につながる形でのうつ対処を試みるとする。 一般層の、平常のストレスコントロールに目を向ければ、対象範囲が増え、個別に費やすコストは下がる。 ただし、こうした生活や気持ちなどに関わるサービスは、個人の生き方や好み、人生そのものに踏み込まざるをえなくなってくる。 プライバシーや自由、権利などへの配慮も必要になる。 これが過剰に危惧されると、社会や一部の人間からの抵抗が大きくなることが予想される。 このように、目標はほぼ同じであっても、実際にアクションや方策につなげるためには、介入するレイヤーをどう見極め、どう定めるかが難しい。 また、この「レイヤー」というものは、一点として決まるものではなく

    自殺対策は、救急的対応に向かえば向かうほど、介入としては妥当になるが、費用対効果は悪くなる
  • 次の変化・混乱・実践の時代でサバイバルするための準備運動

    このに書いてあるようなことに、そのまま賛成するにも、反論するにも、自分には現状難しいし時間がかかる。 だが、大局的に物事、時代や世界の流れを見つめ直してみるという行為は興味深い。 例えば、私の浅い知識と理解でみてもやはり、「時代」というものは似たような内容を大きな波として繰り返しているように思える。 その視点は二極論だが、「安定・情報統制」と「変化・既存のものが役に立たない実力と実践の世界」の二者だ。 静でなければ動、動でなければ静、という0か1かの考え方だから当たり前なのだが、この2つの性質を主にした時代が繰り返されている。 原始時代、古代 → 生きるか死ぬか、生死が隣り合わせ、弱肉強 王家、公家の時代 → 根拠のない(それ自体は悪ではない)伝統的支配、階級の固定、集団・種としては繁栄 戦国、戦乱、戦争の時代 → チャンスとリスク両者が豊富な世界、実力や実践が重視される 工業・商業・

    次の変化・混乱・実践の時代でサバイバルするための準備運動
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    hiroomi 2012/05/22
  • 自社製品にお金を払えるか

    製品にしてもサービスにしても、自分や自分が勤める組織がつくるものを、果たして自分でも市場と同じ金額やコストを払って利用しようと思えるだろうか。 これができないようだと、自己矛盾を抱えていることになる。 とは言ってみたものの、現実には複雑で難しい問題になる。 医者が病気になったときに、自分が勤務する病院にかかるか否か。 同僚に診てもらいたいと思えるかどうか。手術を安心してまかせられるかどうか。 マクドナルドなどの外産業などの経営者や管理職であっても、毎を自社商品で済ませるわけにもいくまい。 しかし、まったくべていないということであったならば、消費者ら対外的にはどう映るだろう。 ビールやケータイキャリア、車メーカーなどのCMに出ているタレントが、競合他社の製品やサービスを愛用しているようなことがあってはイメージ的にもかなり具合が悪い。 日産自動車の社長兼CEOのカルロス・ゴーン氏が事故を

    自社製品にお金を払えるか
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    hiroomi 2012/04/23
  • 「何もしない」勇気を持つ

    昨日のエントリ(そのカウンセリングに直面化は必要ですか? | deathhacks)につけ加えておきたい。 カウンセリングに限らないのだが、「何もしない」という選択肢があることを忘れてはいけない。 人は「何もしない」ことを、サボっているとか、手をこまねいているとか、時間を無駄にしているとかいうように見なすことが多い。 現代のように何事においても、選ぶ余地が増え、変化のスピードが速くなっていることが、こうした傾向をさらに強めている。 しかし例えば、医学の基精神は「(そうなることを知りながら)害を為してはならない」というものだ。 医療の多くには、デメリットがある。 注射ひとつするのにも、痛みがあり、過誤の可能性があり、お金がかかり、副作用のリスクがある。 これが、より複雑な検査や手術、治療ともなれば、そのメリットが大きくなるとともに、デメリットやそれが起こる確率も大きくなっていく。 カウンセ

    「何もしない」勇気を持つ
    hiroomi
    hiroomi 2012/04/22
    「こう考えると「何もしない」」意図した何もしない。