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ブックマーク / www.takamiya.com (6)

  • パソコンの売り方の教育

    パソコンの売り方の教育 マイツールの開発が進んでいる頃、「長谷川さんに、セールスに対してパソコンの売り方を教育してもらおう」 というような話も出ました。 特定業種に売り込む方法 特定業種にパソコン(SP200)を売ろうというような方針で、担当セールスを何名か作ったりしていたのですが、実績は殆ど出ていない状況でした。 彼らに長谷川さんの話を聞かせたわけです。 リコーのセールスのレベルはどうなのかを知りたかったので、これは我々にも役に立ちました。 彼らは先ず、特定業種に売り込む為にはどうしたら良いかを質問してきました。 「特定業種を知るにはどうしたら良いでしょうか。」 「各業種はだいたいなんとか協会とか連合会とかいうような団体を作っている。 そこに行って彼らの問題点とか聞いてみれば、ヒントが得られる。そういうところに いる人はだいたい暇なので教えてくれるよ。」 「そういう団体は何処にあるのです

    hiroomi
    hiroomi 2010/12/18
    「どこかで嗅ぎ付けて、『うちの車買って下さい。お願いします。買って下さい。』 と」この嗅ぎ付けは大事。火のないところに煙は立たないのかも。違うか。
  • 英語版マイツール

    英語版マイツール ついでにマイツールの特殊ものを紹介すると、マイツール英語版というのも作りました。 これを持って87年に私は2週間アメリカに出張できたんですけどね。 Ninjya 83年にマイツール採用を決定した当時の販売部長がアメリカのリコーコーポレーションの会長になっており、アメリカでマイツールやろうじゃないか、名前もNinjyaというのでどうだ、と言ってきていたのです。 当時アメリカで日の忍者映画がはやっていて、マイツールという名前はまずいので、それが良いと決めていたのです。 丁度アメリカでリコーの25周年のフェアを主要都市で開くので、その時マイツールを紹介しようとなりました。 LXを持って私が出かけ、アメリカの担当者とデモのシナリオなど作り、説明員の女性に教えたりしてニューヨークからフェアはスタートしました。 お客の反応はソフトよりLXのほうにあり、「この機械はいくらなのだ、売

    hiroomi
    hiroomi 2010/12/15
    「アメリカでソフト売るのはディーラーも弱いし、ロータス123が標準になっていて、ちょっと無理だというリコーの結論になったのですけど」なぜにこんなに弱気だったんだろう。
  • 愛に育まれたソフト・マイツールの育児録

    お話下さった飯塚さん、 桑名マイツールユーザー会パティオ運営者兼会長 となり道さん、 写真の提供を下さったMUG全国事務局とリコーさん、 その写真をスキャンして下さった MUG彩の会の じごぼうさん、 HomePage 転載に辺り、皆様からご快諾を戴きました事、厚く御礼申し上げます。 また、貴重な資料を収録なさったMUG彩の会の皆様。 そのご苦労へのねぎらいと共に、感謝を捧げます。 更に、色々相談にのって下さった NIFTY FMSINFO の皆様、暖かい声援を有り難うございました。 マイツールは。。。愛されて育ったのですよね。 だから、周りに優しさを発散する。。。 ビバ!!マイツール!! マイツールワールドに戻る HOME

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    hiroomi 2010/12/15
    読み物と、ポイントまとめ
  • 他機種への移植 IBM

    他機種への移植 IBM マイツールをリコー以外の機械でも利用できるようオープンにしろという声は、ずっと続いていたわけですが、我々がマイツールの販売促進の戦略を考えていた最初からクローズでいくなどという方針は、決して立てていませんでした。 PIPSがマイナーであるのはSORDが自社機のみで展開したからである。 マイツールの普及拡販を狙うために他社機移植を積極的に進める。ということは昔の販売政策の資料にもはっきり書いてあることです。 1985年 始めての移植 他社機へのマイツールの移植が最初に行われたのは、IBM5550用に85年の6月からでした。 これは安田火災海上へ大手担当の部署がマイツールをデモしたことから始まりました。 安田火災のIBM機に 安田火災では全社の事務改善のため統一したソフトを考えており、そのころ色々出ていた簡易言語を評価していたところでした。 そして適当なものが見つからな

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    hiroomi 2010/12/15
    「各地の営業所などではホストで統一してやるには効率が悪い業務が結構あって、毎月手作業でやらなくてはならなかったのです。」
  • 戦略・サプライ

    戦略・サプライ 開発が少ない人員でそれなりに進んで行く一方、同時進行でマイツールの販売戦略作成も青山近辺の会議室をいろいろ借りて行われて行きました。 リコーだけに、出来る事 長谷川さんがリコーに提案した時、言っていた事は、 「パソコンは今一部のマニアにしか使われていない。これではいけない。 こんな便利な道具を皆に、又我々の次の世代にまで使ってもらうようにしなくてはいけない。マニアだけが使えるような状況ではダメだ。 パソコンを使うにはサプライも必要だ。ところが館山で印刷しようとして紙がなくなったとすると秋葉原まで行かなくてはならない。こんな状況では安心して使えない。 館山にはNECの営業所も無い。 リコーなら館山にもあるし、全国各地に販売店がある。おまけにコピー用紙100枚でも届けてくれる。 こういうメーカーがパソコンやらなくては世の中に広まらない。 リコーだけに、これが出来る。」 というよ

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    hiroomi 2010/12/15
    「リコーなら館山にもあるし、全国各地に販売店がある。おまけにコピー用紙100枚でも届けてくれる。 こういうメーカーがパソコンやらなくては世の中に広まらない。 リコーだけに、これが出来る。」
  • PIPS

    PIPSとマイツール PIPSとマイツールは、最初からソフトとして目的が違うように作られているので当然両者は違います。 話が長くなるかもしれないけど、過去に戻って、その辺のことを徐々に紹介して行きましょうかね。 15年以上も前になるから、別に問題になることもないでしょう。 かえってマイツールの素晴らしさを再認識する材料になるかも知れませんし。 PIPS? PIPSなんて何のことだかわからない人もいるでしょうから、はじめに説明しておきましょう。 リコーがパソコン事業に参入したのは1983年からです。 以前からオフコンはやっていましたが、事業的にはあまりうまく行ってない状況でした。 その少し前に電卓事業からも撤退していましたから、「我社はキーボードのついているものは駄目だ」 という雰囲気が社内に漂っていました。 リコーがパソコンを始めた時、既に20数社が参入していましたから、最後発というところ

    hiroomi
    hiroomi 2010/12/15
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