editor's profile Kanako Tsukahara 塚原加奈子 つかはら・かなこ●エディター/ライター。茨城県鹿嶋市、北浦のほとりでのんびり育つ。幼少のころ嗜んだ「鹿島かるた」はメダル級の強さです。 「山を読む」とは? 山形県の肘折温泉では今年も7月27日〜9月16日まで「ひじおりの灯」が行われた。 「ひじおりの灯」とは、7年前から肘折温泉で開催されている、 東北芸術工科大学(以下、東北芸工大)の学生たちによる滞在アートプログラム。 学生たちは、春に肘折温泉やってきて、滞在制作を行う。 自分の担当となった旅館や商店のおじちゃんやおばちゃんたちに話を聞いたり、 肘折の空気を感じ取ったりして、思い思いの灯籠絵を月山和紙に色づけしていく。 灯籠の骨組みは、立ち上げ当初にみかんぐみの竹内昌義さんが設計。 それに、毎年灯籠絵が張り替えられてきた。 学生たちが手がけた灯籠が、夏の肘折温
Takayuki Fukatsu's tiltshift miniature faking experiments. contact Also check my iPhone app TiltShiftGen2.Takayuki Fukatsu's tiltshift miniature faking experiments. contact Also check my iPhone app TiltShiftGen2. Takayuki Fukatsu's tiltshift miniature faking experiments. contact Also check my iPhone app TiltShiftGen2.
いわいとしお×東京都写真美術館 光と動きの100かいだてのいえ ―19世紀の映像装置とメディアアートをつなぐ B1F 展示室 2024.7.30 ( 火 ) — 2024.11.3 ( 日・祝 )
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45 46 47 48 49 50 51 52 53 54 55 56 57 58 59 60 61 62 63 64 65 66 67 68 69 70 71 72 73 74 75 76 77 78 79 80 81 82 83 84 85 86 87 88 89 90 91 92 93 ·····························································································
時は流れない、のか。鈴木理策は神妙に紀伊半島の故郷で写想します。 「半島」 私の生まれた和歌山県新宮市は紀伊半島の南部に位置する。標高1500~1900メートル程の尾根が連なる紀伊半島では古くから山岳信仰が盛んで、「神が隠る所」「死者の霊魂が隠る所」等を意味するという「クマ(=こもる)」から派生して「熊野」と呼ばれてきた。 半島の周囲にはわずかにひらけた平地が続く。私はこの平野部で山々の姿と太平洋の広がりを眺めながら育った。18歳で故郷を離れ、東京で生活するようになってから、自分の生まれ育った場所の特異さ、面白さにあらためて気付き、その風景を主題として制作してきた。めまぐるしく変わる人為的な時代変化とは別の時間軸の中で、熊野の風景は変わらずに存在し続けると思っていた。自然に向かってシャッターを切ることは、大きな時の流れに自身の知覚を差し出す行為であった。 しかし2011年9月に紀伊半島を襲
(文 中島良平 / 写真 阿部健 / 動画 TOTAL TIME 00:57 記事最下段 ) アフリカ縦断やアジア横断といった旅行の移動を膨大な写真に収めた作品集や、石油を運ぶために設置された管路(パイプライン)をアラスカで撮影した『PIPELINE ALASKA』などで知られる写真家の石塚元太良。旅を繰り返しながらレンズでとらえる被写体を探し続ける彼は、カヤックでアラスカの氷河にアプローチして氷壁のクライミングを行うなど、撮影のために移動と行動領域の拡張を続けています。過酷な地への旅に必要な道具と撮影機材とのバランスをどのように調整しているのでしょうか。そんな話を聞いていくうちに、彼の写真表現そのものの背景にあるless is moreの考えが浮かび上がってきました。 ターニングポイントはパイプラインとの出会い 写真を志そうと決めてからアフリカ縦断やアジア横断などをして、そのころは、ただ
暑さも少しは和らいだ9月。 連休を利用して泊まりで行きたかったけど、生憎の雨。 次の連休こそはと、時間を捻出してなんとか日帰りで。ソロで。 この日はいつも行くタケ谷を飛び越えて、もう一つ峠を越えて、上谷尻谷(かみたんじりたに)へ。 行きで通るには敬遠しがちな急登の続く中峠をひと登り。ススキが靡き心地よい風が通り抜ける。 神崎川に出るには最短ルート。出合は大瀞(おおとろ)。 神崎川左岸を進み、お金明神に向けてひと登り。 神聖な場所らしく、なかなか凛とした空気感。お賽銭を置き柏手を打った。 そこから更にお金峠まで詰める。 お金峠からは、ガレた谷筋を滑り落ちるように一気に駆け下りる。 沢音が聞こえだすと、地味ながら美しい上谷尻谷に到着。 ひっそりとした雰囲気で人の気配はない。静かにテン泊するにはぴったり。 事実「静かにテン泊したかったので」という男性に会った。 結局この日はこの男性に会ったのみ、
Art Portfolio of Fishes by Bakufu Ohno 大野麥風展 「大日本魚類画集」と博物画にみる魚たち 会期:2013年7月27日(土)~9月23日(月祝) 大野麥風《フグ》 (『大日本魚類画集』より) 1940年1月 版画 姫路市立美術館蔵 大野麥風《メバル》 (『大日本魚類画集』より) 1938年2月 版画 姫路市立美術館蔵 大野麥風《飛魚》 (『大日本魚類画集』より) 1938年1月 版画 姫路市立美術館蔵 大野麥風《ハマチ》 (『大日本魚類画集』より) 1939年12月 版画 姫路市立美術館蔵 大野麥風《秋晴(もず)》 絹本彩色 個人蔵 高木春山《くろあんこう》 (『本草図説』より) 写本彩色 西尾市岩瀬文庫蔵 杉浦千里《ゴシキエビ》 1997年 ケント紙・アクリル 杉浦千里の作品保存会蔵 大野麥風(1888-1976、本名:要蔵)は、東京で生まれ、初めは
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く