「道義的責任」のインチキ - Apeman’s diary 性暴力被害者に金を渡したあとで「お前は同意しただろ」とか「お前もまんざらじゃなかっただろ」*2と言い放つなら、それって「道義的責任をとった」と言えるのでしょうか? いや、むしろ「金で口封じをしようとした」と言われるに違いありません。 *2:驚くべきことに、いまやフェミニストと呼ばれる人びとがこのような主張を含む書籍を激賞していますが。 よく批判されているように、朴裕河氏は朝鮮人慰安婦を日本軍の「同志的関係」と位置づけ、そこには兵士を愛する記憶もあったと主張している。 「慰安婦」問題をめぐる報道を再検証する会: 『帝国の慰安婦』における「性奴隷」概念について 何よりも、「性奴隷」とは、性的酷使以外の経験と記憶を隠蔽してしまう言葉である。慰安婦たちが総体的な被害者であることは確かでも、そのような側面にのみ注目して、「被害者」としての記