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指導要領、異例の修正 「愛国心」など追加 http://www.asahi.com/politics/update/0328/TKY200803270419.html 皆さんは右翼でしょうか左翼でしょうか? 自己判断に迷ったときに手軽なリトマス試験紙があります。愛国教育に賛成するか反対するかということです。 もし反対するのであれば、右翼です。現に鈴木邦男がこう書いています。 ミッションスクールだったから、日の丸、君が代はなかった。国旗・国歌の強制はないが、「キリストの愛」の強制があった。だから反発した。もし、国旗・国歌が強制されていたら、それに反発しただろう。講堂の壇上に駆け上がって、掲げられている日の丸を破っていたかもしれない。そうしたら僕は新左翼にでもなって、国旗・国歌を強制する連中に爆弾を投げてたかもしれない。いま、学校で「君が代」を歌うことを強制し、「本当に歌っているかどうか」を調
英語, 言語無性に書きたくなったから勝手に書くシリーズ第二弾。id:t-hirosakaさんから「英語帝国主義」関連で質問を受けた関係で日頃の思い(の一部)をまとめてみたくなった。 ★ 私は「英語帝国主義」というコトバ自体が気に入らない、むしろ「言語帝国主義」のほうがいい「英語帝国主義」というコトバは、なんでなのか知らないけれど、独特のコノテーションを持っている。たとえば...「英会話に精をだしてる子女はみっともない」「英米カブレってダサい」「不必要に英語つかいまくって、ルー大柴みたいwww」このあたりは「英語崇拝」に関するウィキペディアの記事を見ればわかるだろう。こうした「英語帝国主義」批判の根底には、結局のところ、「感情的にキモい」という程度の根拠しかない。私は端的に「ほっとけ!」と思う。「お前、他人様のことばづかいに指図できるなんて、どんだけ偉いんだよ!」とも思う。「英語帝国主義」を
「言語帝国主義とは なにか。たなか『ことばと国家』を批判する。」という文章を当直あけのテンションで かいたわけだが、いろいろと反響をいただいた。 Pravda の日記「言語帝国主義と近代国家」では、最初、わたしが ましこ・ひでのりさんではないかと かかれていた。もちろん、わたしは ましこ・ひでのりさんではない。 このブログでは、社会言語学研究者としての わたしの問題関心は、ほとんど かかずに やってきた。たまに ふれるようなことはあっても、全面的に とりあげるようなことは なかった。最近では、障害学であるとか社会言語学の問題意識を披露しているので、読者の かたに すぐわかるように、わたしの なまえをかいておこうと おもう。 わたしは、あべ・やすしと いいます。社会言語学、識字研究、障害学などをやっています。 さて、タカマサのきまぐれ時評からトラックバックをいただいた。言語学者の「さが」=「
■hituzi氏の最近の問題提起「言語帝国主義とは なにか。たなか『ことばと国家』を批判する。」をよんだコメントをかきつらねていく。 ■この提起の特異な点は、通常の「言語帝国主義」の定義である、「ある地域で特定の外国語が、その政治・経済・文化の力により圧倒的な影響力をもつこと」といった方向性での議論自体を「言語至上主義」だと、批判しているところだ。そういった問題のたてかた自体が「人間はすべて、なんらかの「言語」という制度のなかで いきていると、信じて うたがわない」発想にねざしており、「言語帝国主義は、けしからん」という批判的視座自体が「言語が だいすきでたまらない ひとたちによる、帝国の言語の批判で……「言語という体制」「言語という制度」をといなおすことはせず、 「言語の ぬるま湯」に つかって、権力を批判する」たちばだというのだ。■hituzi氏など、知的障碍者の施設につとめるスタッフ
ポスト言語中心主義の言語研究。これが与えられたテーマである。言語を中心におかない言語研究と聞けば、そもそもそれ自体が矛盾であるか、瑣事にこだわる周辺的な研究と思われるかもしれない。言語を自律的なシステムと見なすのは、十九世紀の歴史言語学から、前世紀のソシュールの構造主義、アメリカ構造主義言語学、そしてチョムスキーの生成理論に至るまで近代の言語学の底流にある言語観であり、言語学はそれから逸脱するものを捨象することで科学たらんとしてきた。 その一方で前世紀の半ばから自律的な言語観に対するアンチテーゼという性格を持ちながら、言語以外のものとの関わりにおいて言語現象を捉えようとする試みがなされてきた。社会言語学、言語人類学、認知言語学(註)などの非自律的な言語学、あるいは「開放系の言語学」(唐須2000)の研究群が近年急速な進展を見せている。これらもそれぞれに異なった思想的背景をもって発展してきた
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