2009年10月25日のブックマーク (13件)

  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    超絶品!死ぬまでに一度はべてほしい煮込み10選 ああ。いかにもインターネット!みたいなタイトルをつけてしまった。 「超絶品!死ぬまでに一度はべてほしい煮込み10選」て。読んでほしすぎて大仰な形容詞をつけて数字を入れて読み手の注意を引くタイトル、もうネット記事まるだしである。 でも、わかってほしい。…

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  • 「つながり、ゆさぶり、ひびきあう」 - hituziのブログ 無料体験コース

    人と議論をしていると つい失敗してしまうことがあるわけですが。 今年に はいってから、「つながり、ゆさぶり、ひびきあう」議論がしたいものだと かんがえるよーになりました。相手と わたしが どこかで つながっているのを確認しながら、なおかつ相手に ゆさぶりをかける。でも、自分だけをただしい位置において、相手だけをゆさぶるのではなくて、ひびきあうものにする。むずかしいことだけども、この姿勢を大事にしたい。 「そーだよね、ごもっとも、ごもっとも」。これでは つまらない。かといって、「なに いってるの、わけ わからない」。これも おもしろくない。議論というのは ことばと論理のゲームなんだと おもう。あえて変なことをいうのも おもしろいし、かんがえてもいないことをいってみるのも いい。たまに、「するための議論」だと いわれたりも するけども。議論をしながら相手の かんがえが確認できるのは もちろんだ

    「つながり、ゆさぶり、ひびきあう」 - hituziのブログ 無料体験コース
    hituzinosanpo
    hituzinosanpo 2009/10/25
    5年まえかー。わかいなー。
  • てさぐりで もがきながら - hituziのブログ 無料体験コース

    どうすれば生産的な議論ができるのだろう。どうすれば おたがいのためになる対話ができるのだろう。わからない。わからないからこそ もがきつづける。ときおり不安になったとしても、それで いい。 だれもが すっきりとした生活をおくってないのだから、すっきりとした主張というのは どこにも ありえない。単純にAとBとに分類できるほど、人間は単純じゃない。でも、ある程度は単純化も必要だ。それぞれの役まわりを演じることも必要だ。相手のはなしをあえて否定することも必要だ。でも、自分を中立な安全地帯におくことでは議論はすすまない。 おたがいが自分をさらけだし、なやんでいることをすべて うちあけるような対話であれば、そこには共感がうまれる。信頼がうまれる。安心がうまれる。そして なにか変化がうまれる。 なにも たしかなことはない。わからないことだらけだ。それでも いきていく。それでも かたりあっていく。もがきつ

    てさぐりで もがきながら - hituziのブログ 無料体験コース
    hituzinosanpo
    hituzinosanpo 2009/10/25
    いいはなしだ…(笑)。
  • 個人の問題ではないということ - hituziのブログ 無料体験コース

    確信が ゆらぐときにこそ、不安定ななかで なにかをつかまないと いけない。 こわだかに なにかを批判するのは、ある意味では楽だ。精神的にも興奮状態にあり、なにかを確信できているからだ。しかし、ふと われに かえったとき、ふと疑問をもったとき、心が しずまったとき、あるものに気づかされる。はたして、自分は正義だったのかと。ただしかったのかと。 社会が わるい、政治家が わるい。ごもっともだ。だけれども、わたしや あなた ひとりひとりは、一体なんなんだろう。全体のなかの一部には、一部としての役割があり、責任がある。だれひとりとして、外部には いないのだ。問題の内側にいる。象徴的なものだけを攻撃する前に、それが自分のすがたが投影されたものだということを、かみしめる必要がある。 「問題を個人的なものに還元するな」。しごく ごもっとも。しかし、個人的とされるものは、なべて社会的だ。社会の縮図なのだ。

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    hituzinosanpo
    hituzinosanpo 2009/10/25
    責任について 4年まえに かいたこと。なるほどなあ、わたし。
  • 対等に議論するということ - hituziのブログ 無料体験コース

    たまにはパターナリズムも必要なのかなぁと、そんなふうに感じるときがある。上の視点から、「おしえてあげますよ」という説明の仕方。あるいは、下から「おしえてください…」という態度。どちらも ありかなと。「おなじ目線」に たつだけが能では ないなと。 対等な関係を維持して議論をするというやりかたは、どうしても途中から無理が生じてしまう。ごくごく一部の人となら、ほんとの意味で対等で、なおかつ おたがいにとって有益な議論になるのだが、なかなか そんな状況には めぐりあえない。議論するときは、「なにかについて」話をするわけで、その話題についての知識や省察の量が対等であるということは ありえない。もちろん、知識のある人が概説をかたり、それをきいた相手が、「それは こうで、ああだね」というふうに考察をくわえるという議論の仕方もありうるし、そうしたカタチであれば対等な議論といえるだろう。けれども、たいがいの

    対等に議論するということ - hituziのブログ 無料体験コース
  • コミュニケーションに「限界がある」ということ - hituziのブログ 無料体験コース

    掲示板、チャット、ブログでのコミュニケーションについて。 「顔のみえない匿名によるコミュニケーションだから」…。限界がある。むずかしい。いきちがいが おこりやすい…。はい、そうですね。だけどもだ。「ちょっと限界がある」ってことに あまえてしまってる部分が けっこう あるんじゃないだろうか。だって、仕方がないじゃないか、みたいにね。 相手の意図や人物像が みえなくとも、その人は どこにでも いる ふつーの人なんだということをわすれてしまうならば、完全にレッテルをはり、攻撃したり、あざわらったりしてしまう。これは相手の問題なんじゃない。自分の問題だ。自分は、他人に どのように接するのかという自分のなかでのルールの問題なのだ。 問題は別に顔のみえないコミュニケーションに とどまるものではない。顔がみえたってだ、わかりあってなんか いないし、みえてくるものは すくない。それでも みえてくる部分をみ

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  • ウェブで議論する - hituziのブログ 無料体験コース

    「ウェブに「他者」は現われるのか?」(kanjinaiさん、G★RDIASより) 私が道を歩いていたときに、私の前で倒れていたホームレスの人は、そのとき私にとって都合の悪い「他者」であった(これは私の事実体験であるということは前にも書いた)。私はその「他者」からの問いかけから逃げた(と私は思った)。私はこの生身の体でその人を助け起こしたり、救急車を呼ぶことはできた。が、しなかった。そのことが私をいままで追いかけてくるという意味でも、それは「他者」であったと思う。ここでいう「他者」と、ウェブの掲示板やブログでの粘着的なコメント屋さんは ちがっていて、粘着コメントさんを、kanjinaiさんは「他者」とは みなさないんだ、「そこにあるのは、粘着的な自己確認の応酬でしかない。」というはなし。 さらに勝手に要約すると、ウェブで議論するのは、なかなか むずかしいことで、そんなに期待していない。また、

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  • サービス終了のお知らせ

    サービス終了のお知らせ いつもYahoo! JAPANのサービスをご利用いただき誠にありがとうございます。 お客様がアクセスされたサービスは日までにサービスを終了いたしました。 今後ともYahoo! JAPANのサービスをご愛顧くださいますよう、よろしくお願いいたします。

    hituzinosanpo
    hituzinosanpo 2009/10/25
    なつかしい。というか、こっぱずかしいなー。4年まえの文章。
  • http://ww6.tiki.ne.jp/~wa-on/zenkoku-shitsugosho-mie.html

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    hituzinosanpo 2009/10/25
    失語症者へのコミュニケーション支援。
  • 明石書店【検索入力画面】

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    hituzinosanpo 2009/10/25
    よさげ。
  • 11/8(日)新自由主義と戦争に抵抗するデモ - 反戦と生活のための表現解放行動

    新自由主義と戦争に抵抗するデモ ★日時:11月8日(日) 14:00集会→15:00デモ出発→16:30デモ到着 ★場所:三条大橋西側、鴨川河川敷 ★デモコース:集会場所→三条河原町→四条河原町折り返し→三条河原町→集会場所 ○炊き出しあり 主催 反戦と生活のための表現解放行動 ○スローガン ・最低賃金2000円、労基法を改正して労働者の権利を認めろ! ・自立支援法廃止、介護労働者の賃金を上げろ! ・更新料をなくせ、家賃を0円にしろ! ・学費をタダに、奨学金をみんなに配れ! ・普天間基地閉鎖、沖縄辺野古に基地を作るな! ・ソマリア派兵をやめろ、アフガニスタンから軍隊を引け! ・6兆円の税金を使うミサイル防衛をやめろ! ・日米安保廃止、軍隊をなくせ! ・外国からの移住労働者を追放するな、入管法廃止! ・死刑制度を廃止しろ! ・天皇即位20周年を祝うな、20周年に税金使うな! ・法人税、資産に

    11/8(日)新自由主義と戦争に抵抗するデモ - 反戦と生活のための表現解放行動
    hituzinosanpo
    hituzinosanpo 2009/10/25
    いいスローガンですね!
  • 「身分証明」の問題 - heuristic ways

    昨日図書館に行ったとき、ジョン・トーピー『パスポートの発明――監視・シティズンシップ・国家』(2008年、原著2000年)があったので借りてきた。以前書店で見かけて、読みたいと思っていたである。 パスポートの問題については前から興味を持っていたのだが、それは、たとえばテッサ・モーリス=スズキ氏が、「多くの先進工業国で管理が強化され始めたのは、ようやく第一次大戦頃になってからであり、(例えば)旅行書類としてパスポートの使用が標準として広く普及した。一九三〇年代になってもまだ、日中国のあいだをパスポートなしで旅行することが可能だった」と指摘していたことなどが印象に残っていたからである(2007-10-13 「国境線、国家主権、自己決定権」)。 とりあえず、『パスポートの発明』の第1章「往来――国家による合法的な「移動手段」の独占化について」を読んだところだが、ここではパスポート(身分証明

    hituzinosanpo
    hituzinosanpo 2009/10/25
    『パスポートの発明』、「「身分証明」の問題」について。すばらしい。
  • 社会的排除について。 - hituziのブログじゃがー

    まえから かこうと おもって かいていなかったのが、「社会的排除」とは どういうことかということです。何度も このブログで社会的排除を 批判してきたのですが、ちゃんと説明していなかった。 岩田正美(いわた・まさみ)『社会的排除─参加の欠如・不確かな帰属』有斐閣(ゆうひかく) いいです。おすすめします。 岩田さんは「まず、社会的排除という言葉は、それが行われることが普通であるとか望ましいと考えられるような社会の諸活動への参加の「欠如」を、ストレートに表現したもの」としています(22ページ)。具体的には、つぎのように「空間的排除」と制度からの排除/制度による排除を あげています(28-32ページ)。 その一つは空間的な側面である。すなわち、社会的排除は、しばしば特定の集団を特定の場所から排除し、その結果排除される人々が特定の場所に集められる。また、その結果として、特定の場所それ自体が、排除さ

    社会的排除について。 - hituziのブログじゃがー
    hituzinosanpo
    hituzinosanpo 2009/10/25
    つぎに「脱施設(地域移行)と 地域づくり」、「刑務所から みた社会的排除」、「地域づくりとしての野宿者支援」という記事を かきます。