エントリーの編集
![loading...](https://b.st-hatena.com/0c3a38c41aeb08c713c990efb1b369be703ea86c/images/v4/public/common/loading@2x.gif)
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント1件
- 注目コメント
- 新着コメント
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
![アプリのスクリーンショット](https://b.st-hatena.com/0c3a38c41aeb08c713c990efb1b369be703ea86c/images/v4/public/entry/app-screenshot.png)
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
個人の問題ではないということ - hituziのブログ 無料体験コース
確信が ゆらぐときにこそ、不安定ななかで なにかをつかまないと いけない。 こわだかに なにかを批判す... 確信が ゆらぐときにこそ、不安定ななかで なにかをつかまないと いけない。 こわだかに なにかを批判するのは、ある意味では楽だ。精神的にも興奮状態にあり、なにかを確信できているからだ。しかし、ふと われに かえったとき、ふと疑問をもったとき、心が しずまったとき、あるものに気づかされる。はたして、自分は正義だったのかと。ただしかったのかと。 社会が わるい、政治家が わるい。ごもっともだ。だけれども、わたしや あなた ひとりひとりは、一体なんなんだろう。全体のなかの一部には、一部としての役割があり、責任がある。だれひとりとして、外部には いないのだ。問題の内側にいる。象徴的なものだけを攻撃する前に、それが自分のすがたが投影されたものだということを、かみしめる必要がある。 「問題を個人的なものに還元するな」。しごく ごもっとも。しかし、個人的とされるものは、なべて社会的だ。社会の縮図なのだ。
2009/10/25 リンク