ブックマーク / blog.goo.ne.jp/hituzinosanpo (82)

  • 羊の話 - hituziのブログ 無料体験コース

    2004年12月13日「書評というメディア」という記事でkantiさんの書評を紹介した。そのなかで今井紀明(いまい・のりあき)『ぼくがイラクへ行った理由』の書評に印象的な部分があった。引用しよう。「自己責任」に対抗する言葉を, 2004/09/05 書を読んでふと羊の話を思い出した。出典は忘れてしまったが、こんなような話である。「あるところに柵で囲われた牧場があり、たくさんの羊が用に飼われていた。人間は羊を出荷するたびに『この柵から出たら君たちは自由になれるのだよ』と羊たちを言いくるめていたので、彼らはみな喜んで柵から出してもらう日を待っていた。ところが、ある日のこと一匹の羊が言った。『人間が僕たちを育てているのは、なんだかべるためのような気がするなあ』。それを聞いた羊たちは、みな自分がべられたくないと思った。そこで、彼らはそのうるさい羊を殺してしまった。」…以下省略…ほかの人の書

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    hituzinosanpo
    hituzinosanpo 2008/10/20
    "そういえば、わたしのIDってhituzinosanpoですけど、べつにヒツジがすきなわけでも なんでも ありません。ヘボン式ローマ字が きらいなだけで(笑)。"
  • 食文化とタブー、文化って なんだ - hituziのブログ 無料体験コース

    韓国で かったおもしろいがある。『犬肉をくおうが くわまいが?-相対主義のまちがい』イム・ジョンシク、2002、ロデムナム。 クジラをたべるのを「外国人」に批判されると、たちまち愛国精神を発揮する ひと、けっこう いますよね。韓国人でも おんなじことがあるわけです。ワールドカップ韓国が注目されて、犬も注目・非難のマトになったようで。とあるフランス人に「犬をたべるなんて!!」と批判されて、韓国では「文化相対主義を理解しない、一方的な非難である」という反論が でてたようです。まぁ、ありがちですよね。犬問題で注目すべき点は、犬の処理の仕方が かなり残虐であること。わたしの友だちも「ひどい ころされかたをしているのをしっているから犬は たべない」と いってました。韓国人なら だれでも たべるわけじゃないですからね。 はてさて、「かなり残虐」と かきましたけども、これは あくまで「主観

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    hituzinosanpo
    hituzinosanpo 2008/10/05
    "いろんな文化圏についての知識があれば たよれる武器になるのに、表面的な知識しかないのが ほとんど"、"だから文化を固定的に とらえてしまって、「日本人はこうだ」、「インド人はこうだ」なんて話になっちゃう。"
  • こぼれおちる - hituziのブログ 無料体験コース

    わはははは。最高に たのしい毎日ですよ! こころから そう いえるとしても。人間はイチかゼロかで できちゃいない。しあわせだと公言すればするほど、ちょっとした不満が すこしずつ おおきくなってくる。こぼれおちた しずくが、こころの底をうずかせるのだ。それが ほんのすこしの、なんでもない水滴であっても。 たのしい、たのしいと さわいでいるのが いまならば、いつか頂点に達して、そこから おちていくのは あきらかだ。 とはいっても。 どうせ しずむんだから船をこぎなさんなとは いえないものよ。そんなはなしが とおるなら、いきていく意味さえ うしなってしまうのですから。どうせ死ぬんですからね。 けれど。いいきかせるように、ごまかすように「しあわせ」になってはいけないものよ。 だからといって。きまぐれで ふざけた自分の ゆーうつに、つきあっても いけないものよ。こうべをたれて、石をけって あるいて。

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    hituzinosanpo
    hituzinosanpo 2008/10/03
    こーゆーことだろな。
  • 「人間がわるい」という共犯化 - hituziのブログ 無料体験コース

    「わるいのは人間だ。人間が いなければ環境破壊なんて ないのだから」。 わたしの学部のときのセンセが授業で いうてたことですが、人類のなかには自然と うまく共存してる人たちも いる。それなのに「人間がわるい」というのは おかしいと。……いきなり余談ですが、「自然と共存」という表現自体が近代的で、環境破壊の思想にたつ表現・発想のような気もする。はたして「自然という他者(というか客体)」が いるのだろうかと。たとえば「風景」のように、われわれは その一部にすぎないんじゃないかと(って、文章かたすぎ)。 共犯化という暴力のしくみは、身勝手な「われわれ」意識によるのだと おもう。「われわれの拡張主義」と いいますか(なんで こんな表現つかってんだろ)。あるいは、「大小ひっくるめて無理やり でっちあげてみました的われわれ」(こういう ふざけたのも どうなんだ…)。 無批判に「わたしたち」「われわれ」

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  • 「元旦」と「嫉妬」―語源の規範と漢字 - hituziのブログ 無料体験コース

    正月に、何度か「元旦」と「元日」のちがいについての解説をみききした。あほらし。 「元旦の旦の字というのは山や水平線に太陽がのぼったさまをあらわしています。ですから、元旦というのは元日の朝ということになります。なので、元旦の朝などと いわないようにしましょう。」はいはい。 さっそくパロディ。 「嫉妬という字をご覧ください。「しつ」も「と」も女へんですね。これは、つまり嫉妬というのは女がするものだということです。なので「男の嫉妬」というのは言語矛盾になります。嫉妬は女がするもの、もとい、女は嫉妬するものなのです。」 努力の「ど」は「女の又に力」と かくとかいう解釈も やめてほしい。 『漢字の過去と未来』岩波新書という名著のある藤堂明保(とうどう・あきやす)さんに『女へんの文字』というがある(1967年、山王書房)。くだらない部分を引用しよう。[女・若・弱という字のオトと意味の共通性を指摘して

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    hituzinosanpo
    hituzinosanpo 2008/09/28
    ところで、漢字研究者として知られた藤堂明保(とうどう・あきやす)なんだけどさ。
  • 激動のさなかにある韓国、そして社会運動 - hituziのブログ 無料体験コース

    激動というのが適切かどうか わからないが、現代の韓国社会は変革のただなかにあるといえる。さまざまな社会運動が展開されており、ハンギョレ新聞やオーマイニュースといった「進歩的」なメディアによる挑戦がさまざまな成果をあげてきた(「進歩」というのは現代韓国のキーワードのひとつだ)。 1988年に民主化したといわれる韓国だが、それまでは軍事独裁の、はげしい管理国家だったわけだ。うがった いいかたをすれば、韓国の選挙運動が日人にとって魅力的にうつるのは、それだけ「最悪な国家体制」であったということでもある。 日で出版されている『たたかう新聞―「ハンギョレ」の12年』、『『オーマイニュース』の挑戦』、『韓国のデジタル・デモクラシー』はまさに熱気あふれた韓国社会のありかたをつたえてくれる。 日でよく いわれているのが、韓国のブロードバンドの普及率であり、それを基盤にしたネチズンの力だろう。しかし、

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    hituzinosanpo
    hituzinosanpo 2008/08/26
    "戸主制も廃止の はこびとなった(2008年から)。" いまが その2008年なのだよね。社会運動の成果だよ。
  • 日本の障害学における、もっとも重要な文献『見えざる左手』 - hituziのブログ 無料体験コース

    1999年に『障害学への招待』という論文集が出版された(明石書店)。このの登場によって、日における障害学研究が促進された。なるほど、それは ただしい認識であるだろう。 だがである、大路直哉(おおじ・なおや)によって1998年に発表された『見えざる左手-ものいわぬ社会制度への提言』三五館が これほどまでに無視されている現実は、なんとも ふがいないとしか、いいようがない。 おおじは、つぎのように のべている。左利きそのものが、障害でも異常でもないと強調すればするほど、社会の関心として後回しにされやすい(213ページ)どうだろうか。これは、トランスジェンダーが性同一性障害と認識されることによって社会の認知と理解が促進されたことと、まったくの対照をなしている。 障害学研究者が、ときとしてジレンマとして あげているのは、「性同一性障害」のように、障害化(病理化)することで社会で権利が保障されるよ

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  • 賛美するひまがあったら… - hituziのブログ 無料体験コース

    議論をしていて、どうも違和感をいだいてしまうことがある。 多数派と少数派の話をしているのに、差別されている少数派は、じつはこんなにも魅力的だとか、おしえられるものがあるとか。そんな賛美はどーでも いいでしょうに。それだって結局は多数派による身勝手でご都合的な消費にすぎないじゃないですか。 フェリシモ左きき友の会/大路直哉(おおじ・なおや)編著『左ききでいこう!』をちょっと よんでみてほしい。「左ききカタログ」のアンケートから一部引用。「左ききの人って器用よね」とよく言ってくださるんですが、あえて声を大にして「器用にならざるを得ないんです」と反論します。(213ページ)この一文を記憶にとどめておくだけでも、だいぶ ちがうと おもうんですよ。 人の生活は美術館の展示品ではない。他人の生活を消費したり賛美するひまがあったら…。 / あったら、なんだ? / 自分の特権というものをみつめろ。 / な

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  • ジェンダーは行為だ、するものなんだ。 - hituziのブログ 無料体験コース

    「人間は、「なるもの」とか「であるもの」なんかじゃないんだ。するものなんだ。」という文章をかいたが、じつはこれ、すごく大事なことをかいている(つもりでした)。 「トリは空をとべていいよなあ」というのをよくきくが、トリは空をとぶために、それなりの代償をはらっている。苦労もしている。マラソン選手をみて、「いいなあ」「うらやましいな」と安易にいってしまえるひとは、それほど いないだろう。けれども、トリの苦労には注意をはらわない。これがトリではなくて、ほかの だれか、人間であれば どうだろう。「こどもは いいよなあ」とか、いってしまってはいないだろうか。 ええと、そういった はなしではない。 ジェンダーについてのはなしをしよう。 「人間は、「なるもの」とか「であるもの」なんかじゃないんだ。するものなんだ。」これを、ジェンダーにおきかえて、かんがえてみてください。 はい、かんがえましたね? 3分クッ

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  • 悪魔の代理人 - hituziのブログ 無料体験コース

    あなたは きれいな手をしているわ。けど、だから なんだって いうのよ。あらまあ、あなたは そんなに こぎれいにいるけど、そんなの なんだってないのよ。 ふみこむってことは、まじわるってことは、意図せぬ暴力をともなうものなの。暴力ってことばが つよすぎるなら、ちょっとした あやまちといっても いいわ。 どれだけ ただしいことをいおうと、しようと、わたしたちは みんな、悪魔の代理人をやとって いきているのよ。やりたくないことをだれかに まかせてしまっているのよ。そうやって、めをそむけていられるだけじゃない? 手をよごさずに すんでいるのよ。悪魔にならずに すんでいるのよ。 こころの平穏もまた、代理人をやとっているから たもっていられるの。 みんな わるいんだとか、そんな一般化をしようってんじゃない。ただしいひとは、ただしいひとほど、なんらかの特権的地位にいるってことをいっているの。 「みんなが

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  • 自己批判なんか するな - hituziのブログ 無料体験コース

    いやだなあと おもいながら、「わたしは悪魔であり、不平等を再生産している。」だなんて かいてしまった(「批判の対象は、「人間のありかた」であり、そこには自己批判もふくまれる。」)。とんだコメディーだ。わらわせるな。 なにが自己批判だ。「だいじなのは、どれだけ世の中をよりよくしていくことに貢献できるか」ということなのだ。 もう一度、坂口安吾(さかぐち・あんご)の名言をひいておく。私は悪人です、と言うのは、私は善人です、と言うことよりもずるい。「私は海をだきしめていたい」より自分を悪人だと いったところで、なんにも ならない。「社会につつまれた人間において、どこにも「外部」などはなく、安全地帯というものは存在しない」(「問題意識の温度差」)。それなら、善人など いるはずがないのだ。 それはつまり、「だれにも特権的ただしさなんて ありはしない」(「悪魔の代理人」)ということだ。だれもが犯罪をおか

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  • 信じることから希望は うまれる - hituziのブログ 無料体験コース

    かたりかたと、ラクになりかた (タカマサ) 2005-03-26 16:40:31 ■ただしいことを、ただ、どんどんかたるって、たしかに、つたわりづらい。でも、かたらないと、どうにもならないこともある。■いずれにせよ、わかりやすくかたるしかないし、きいてもらいやすい かたちをとらないと、やるだけムダになることは、たしか。 ■みんながラクになる、「コロンブスのタマゴ」をうちだす。たしかに、みんなにとって、しあわせがやってきそう。でも、なかなか それがみつからない(わらい)。 ■いつも、なやむとこですね。 ■ゆったりと いきてみたいのですが、これもなかなか しづらい。■こころのもちよう、なんでしょうが(わらい)。 シーソーゲーム (ひつじ) 2005-03-27 20:58:07 6年前の文章というのは、あとでメールで おしらせしますけど、『解放』に のってたものです。90年以降の既刊号のもく

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    hituzinosanpo
    hituzinosanpo 2008/07/28
    うちやま・かずお(内山一雄) 1999 「『非識字者』の視点にたった運動を-識字運動の原点と方向性を考える」『部落解放』8月号、30-43 だったはずです。識字運動論のなかでは すぐれた内容でした。みくびっていただけに。
  • 主体的が そんなに えらいか - hituziのブログ 無料体験コース

    主体的って、どういうことでしょう。自主性の尊重とか いいますけれど、積極的とか、自主的、主体的。いつも肯定的に とらえられているけど、その逆の状態は、よくないこと、あまり肯定できないことなのでしょうか。 ここにかくことは、わたし自身が あまりに自主性を評価してしまっている点を反省し、主体的とは どういうことかをとらえなおす作業です。そのため、ひとりづもうを披露することになります。ですが、こうして それを公開する以上は、みなさんにも うけとめていただきたいという ねがいが こめられています。そういうことで、よろしく おねがいします。 このブログで「アイデンティティなんか」という文章をかいたことが あります。「アイデンティティなんか どうでもいい」という内容です。アイデンティティというのは、自分がどのような環境、集団のなかに おかれるかによって、外から おのずと いやがおうにも規定されてしまう

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    hituzinosanpo
    hituzinosanpo 2008/07/28
    これ、ブクマされなくて残念でした(笑)。
  • 韓国の本が翻訳でよめる - hituziのブログ 無料体験コース

    ハン・ホングさんの『大韓民国史2』の翻訳がでていた(『韓洪九の韓国現代史 (2)』)。2は翻訳されないのかと おもったよー。1の翻訳が2003年の12月でしたからね。 さきほど、尊敬するムン・ブシクさんのの翻訳がでたことをしった『失われた記憶を求めて―狂気の時代を考える』。翻訳された板垣竜太(いたがき・りゅうた)さん、今後ともご活躍を期待しております。板垣さんは、韓国の『当代批評』の客員編集委員。ムンさんや 先日紹介したピョン・ジョンスさんも編集委員なのです。『当代批評』とおなじく、社会問題についてのをすばらしい水準で出版しつづけているのが図書出版サミン。メンツは ほとんど いっしょなんですけどね。ともかく、『当代批評』とかサミンのをどんどん翻訳してほしい。韓国の意欲的な言論人をしるには、チ・スンホさんのインタビュー集が いい。ねがわくば、このリストのあれやこれやが日語で よめたら

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    hituzinosanpo
    hituzinosanpo 2008/07/27
    ムン・ブシクさんについて。
  • ぞく(族)と よびつづけるかぎり - hituziのブログ 無料体験コース

    『ホテル・ルワンダ』のDVDをかった。映画館では結局みれなかったので、やっとこさ みれました。すばらしい。で、ひとつだけ気になることを。映画の制作者には関係のないことで、日の関係者の問題ということで。 字幕しかり、「豪華ブックレット」での説明しかり。フツ族、ツチ族……。これ、なんでなん? なんでさ、フツとツチのひとらの会話で「族」がつくんよ。おたがいをよびあらわすときに。なにをかんがえてますの? ブックレットをみると、おことわり……「〜族」という呼称は、差別を連想させるものとして、現在公式の場では使用されておりませんが、作では話をわかりやすくするためにあえて使用しております。ご理解いただきますようお願い申し上げます。(4ページ)「族」は、差別的な表現だから さける必要のある呼称だという認識のようにみえる。「差別を連想させる」表現だという根拠は、どこにおいているのでしょう? 差別語リスト

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    hituzinosanpo 2008/07/27
    "にほんじん(日本人)、あいぬみんぞく(アイヌ民族)、つちぞく(ツチ族)…。ごらんなさい。ここには、あきらかに序列が もうけられている。その序列を設定しているのは、じん(人)=多数派日本人"だ。
  • 「当事者」の定義 - hituziのブログ 無料体験コース

    ある夫婦の会話。よく おぼえてないが、記憶をたよりに復元。「不登校の当事者の親なんです」 「親も当事者でしょう」まぁ、こんな話。当事者って だれだ? せまく定義するのか、ひろく定義するのか。「被害者」をさすのか、「おまえこそ当事者だ!」というのか。当事者が、自分をまもるための表現であるなら、自分をおびやかす可能性のある人は、みんな当事者ではない。あるいは、問題の原因や要因をさすのなら、当事者は「たったひとり」では ありえない。 『不登校は終わらない』というをめぐる議論が一部で もりあがっている。あれやこれや議論の参考になるので、Freezing Pointというブログの2005-05-26 レポート 『不登校は終わらない』(3)のリンクをあれこれ ご覧あれ。 豊田正弘(とよだ・まさひろ)さんの「当事者幻想論」も必読。わたしなんかは、究極Q太郎(きゅうきょく・きゅうたろう)さんの「なぜか、

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    hituzinosanpo 2008/07/27
    "当事者が、自分をまもるための表現であるなら、自分をおびやかす可能性のある人は、みんな当事者ではない。あるいは、問題の原因や要因をさすのなら、当事者は「たったひとり」では ありえない。"
  • 学校生活と その後の生活 - hituziのブログ 無料体験コース

    今年でたでは、やっぱり『不登校、選んだわけじゃないんだぜ!』が すこぶる いい(貴戸理恵=きど・りえ/常野雄次郎=つねの・ゆうじろう、理論社)。 貴戸さんは去年『不登校は終わらない』ってもだしてたけど、あれは修士論文をもとにしてた。今回のは、だれにでも わかりやすい文章で、「自分」を全面にだした感じかな。もくじだけでも感動できる(感動するな!笑)。(1)理由なんて、どうでもいい! (2)矛盾してても、ぜんぜんいい! (3)選んだなんて、言わなくていい! (4)ハッピーエンドは、もういい! (5)わからなくて、いい!いいでしょ、これ。他人が、否定されがちな だれかを肯定するということ。その むずかしさ。肯定された人の もどかしさ。他人に自分のことをことばにされ、ことばにさせされる。いつの間にやら ひとりあるきする「わたし」。社会的弱者、少数派のことをかんがえるなら、このは よんでおい

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    hituzinosanpo 2008/07/27
    "他人が、否定されがちな だれかを肯定するということ。その むずかしさ。肯定された本人の もどかしさ。他人に自分のことをことばにされ、ことばにさせされる。いつの間にやら ひとりあるきする「わたし」。"
  • 「ふつう」に あぐらをかかない - hituziのブログ 無料体験コース

    I don’t wanna walk around with youというブログをみつけた。「あなたと散歩したくない」って意味かな。わかんないや。このブログの紹介文のような文章が おもしろい。「普通の人間に興味はありません。この中にハゲ・デブ・チビ・メガネ・毛モジャ・早漏・副乳・痔持ち・やたら兄弟が多い・倦怠期の夫婦・岐阜出身・放送作家・実家が乾物屋・歌舞伎役者がいたら私のところへきなさい! 以上。」最近の記事に「いわゆる「オタク」、この存在を国が障害者認定せよ」というのがある。おもしろいので よんでほしい。 さらりと よんだだけなので、つっこみどころがあるかどうかは しらない。興味ない。ただ、「彼らオタクが「自分はまとも」だと主張するのはあまり賢くない方法といえるだろう。逆にはっきりと「異常者」であることを宣言すべき」というのは、納得がいくのである。まあ、他人に「すべき」だなんて いわれ

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    hituzinosanpo
    hituzinosanpo 2008/07/25
    "「ふつう」の外に足をふみいれている自分のすがたをみつけること。それは、既存のワクをこわし、社会をかきみだす動力になるのではないだろうか。"
  • しっくり こないぶんだけ - hituziのブログ 無料体験コース

    いつも いいかげんで、一方的で一面的なことをかいてばかりいて ごめんなさいですが、こうみえても わたしは、いつもバランスをとろうと意識しているのです。いちお。 おおきな円があります。もひとつ おおきな円があります。よくみると、ちょっと ちいさな円もあります。あらまあ、たくさん円があります。 円と円が ほとんど完全に かさなりあっていたり、完全に はなれていたり、部分的に かぶさっているのも あるようです。円のなかに ちいさな円があったりもするようです。ちょっと とおくからみてみると、もっと でっかい円も ありました。じゃあ顕微鏡(けんびきょう)で みてみましょうか。わあ、すごいよ これ。うじゃうじゃあるけど、これ全部マルのかたちをしているよ。 なんの はなしでしょうか。 一度いいかえてみて、もう一回、もとの いいかたに もどしてみよう。そうしてまた、ちがう いいかたをしてみよう。 そのうち

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    hituzinosanpo
    hituzinosanpo 2008/07/25
    "しっくり こないところに、わたしたちの生活があり、いまがあり、これからがある。 しっくり こないぶんだけ、わたしたちは ひらかれている。しっくり させないぶんだけ、わたしたちは、ひらかれたままでいる。"
  • 「統一」と「脱分断」 - hituziのブログ 無料体験コース

    韓国にいたとき、『シルミド』と『ブラザーフッド』(太極旗をひるがえして)が まさに大ヒットしていた。『シルミド』は宣伝ポスターが あまりにマッチョなので みる気がしなかった。まだ みてない。『太極旗』のほうは、すごい よかったと すすめられたりもした。みたら みたで ないちゃうのかもな。 『JSA』は わりと すきだ。仲よくなれば、わかりあえるってところがね。軍事境界線をのりこえていく勇気。その勇気さえ あれば、どうにか なるかも しれないということ。カン・サンジュンさんと森達也(もり・たつや)さんも そんな話をしている(『戦争の世紀を超えて』講談社、191-194ページ)。 韓国にピョン・ジョンスという評論家がいる。韓国の言論人で、わたしが もっとも敬愛する人だ。一回メールをおくったくらい(笑)。ピョンさんの『満場一致は無効だ』ってで、『JSA』の小説書評がある。それが印象的だったの

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    hituzinosanpo
    hituzinosanpo 2008/07/20
    すてきな曲を おしえてくださって、ありがとうございます。 / ↓半角の > がURLに くっついちゃってるので、スペースをば。