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『子どもクライシス』第1回「貧困・追いつめられる母子」で母子家庭の子どもたちの現状をお伝えしました。みなさん、どうご覧になりましたか? 今回、母子家庭の子どもたちにしぼって取材したのは、子どもがいる世帯の中で貧困のリスクが圧倒的に高いからです。 放送後、番組には『子どもたちに罪はない。なぜ親はもっとしっかりしないのか』という声も寄せられました。 番組でもご紹介したのですが、こちらのデータをご覧下さい。 シングルマザーの貧困 母子家庭の貧困率は5割を越え、就労による収入は平均181万円です。これは子どもがいる他の世帯に比べて400万円低く、その5割以上が非正規雇用。仕事を掛け持ちして暮らしている人も少なくありません。 本人の努力が足りない、そんなの自己責任だと言われる方もいるかもしれません。しかし次のデータをご覧下さい。 ひとり親世帯の貧困率・親が働いていない場合 これは母子世帯、父子世帯の
自動車の販売台数で、今や、世界4位のブラジル。日本メーカーも競って、シェア拡大に力を入れている。この流れに乗ろうと、打って出た日本企業がある。 大手繊維メーカーのクラボウ。自動車用シートのクッション材を製造している。日本の同業他社に先行して、2年前に進出した。 社員70人のうち10人は日本で働いたことのある日系ブラジル人。日本とほぼ同じ製造ラインで、各現場のリーダーを担っている。その中心となっているのが、コオロ・ジュリアーノさん(32)。日本人幹部の指示をポルトガル語で伝える。13年間大阪の自動車部品メーカーなどで働いていたコオロさん。日本での経験を生かし、トラブルにも素早く対処する。 この日ふだんより多く、不良品が出ていた。すぐに、金型の温度にムラがあることを突き止め、徹底的に清掃するよう指示した。コオロさんの部下は「彼のプロ意識はすごいので、一緒に働いていると、日本企業の色んな技術を覚
年齢や障害の有無、言語の違いによらず、誰もがテレビ放送の情報を享受できるようにするにはどうすべきか。 講演を通じて、メディアのアクセシビリティ実現へ向けた指針を探ります。
岡山放送局記者の黒瀬総一郎です。 相次いで発覚する原発説明会のやらせ問題。 やらせを思いついた主催者の心の中には、原子力に否定的な意見をどう封じ込めるか、いかに争いを起こさないようにするか、焦りがあったのかもしれません。 原子力をめぐる合意形成は、日本の原子力事業の入り口とも言える、ウラン採掘の後処理の段階から難航していました。 福島原発の事故から3ヶ月半が経った6月30日、岡山県と鳥取県の県境に位置する人形峠で、23年にもおよぶ事業者と住民側との争いが一つの節目を迎えました。 ウラン残土問題 ~解決に23年 長期化の背景は~ 鉱山を管理していた当時の動力炉・核燃料開発事業団(動燃)は現場への立ち入りを制限すれば問題ないという立場を崩しませんでしたが、不信感を募らせた住民は撤去を求め続け、3年後の平成2年、動燃は撤去を約束する協定を住民と結びました。 動燃は残土を岡山県側にある事業所に持ち
NHK大阪府のニュース 大阪放送局 車椅子拒否でバス会社指導 滋賀県草津市のバス会社が多くのバス停で、車いすの人の乗車を認めていないとして、近畿運輸局は会社に改善を求めました。 このバス会社は、草津市などで路線バスを運行する帝産湖南交通です。 近畿運輸局によりますと帝産湖南交通は、車いすの人も利用可能なタイプのバスを導入していますが、約160か所のバス停の多くで、「道幅が狭く安全が確保できない」として、車いすの乗車を認めていないということです。 国の運輸規則では、バスなどの公共交通機関に多くの人が公平に利用できるよう定めていて、近畿運輸局は、「対応が不適切だ」として、きょう帝産湖南交通に対し、バス停などを調査した上で改善するよう行政指導しました。 また、近畿運輸局は、帝産湖南交通が去年、車いすの男性の乗車を拒否した際、男性への対応にも問題があったとして、文書で警告しました。 車い
<シリーズ 飽くなき真実の追求> 無実の自白 ~えん罪はなぜ起きたのか~ 前編 2011年7月18日 月曜深夜[火曜午前 0:00~0:50] 1997年にアメリカ・バージニア州で強姦殺人事件が起きた。逮捕されたのは新婚11日目のダニエル・ウィリアム。身に覚えの無い罪で逮捕されたダニエルは、「だいじょうぶ。すぐに帰ってくるから」と新妻に告げて警察に向かった。 しかしダニエルは“自白”してしまう。「狭い尋問室に閉じこめられ、“嘘つき”と大声でなじられる。そんな尋問が何日も続いた」とダニエルは言う。そして「証拠が出てくれば無罪は証明できる」と思い、警察の説を認めてしまう。 ダニエルの思惑通り、現場の状況はダニエルの自白と矛盾するものばかりだった。DNA鑑定でもダニエルは不適合。すると警察は複数犯人説を唱え始め、ダニエルの友人を逮捕。同じような尋問で自白を迫り、またしてもウソの自白を得る。結局、
<< 前の記事 | トップページ | 2011年01月13日 (木)スタジオパーク 「発達障害者に広がった大学の門」 (近田キャスター) あさって(15日)から行われる大学入試センター試験で、コミュニケーションの苦手な発達障害の受験生を対象に、その障害に配慮した試験が初めて行われることになりました。早川信夫解説委員に話を聞きます。 Q1.一口に発達障害と言ってもわかりにくいのですが、どんな障害を対象にしているのでしょうか? A1.今回特例が認められたのは、自閉症、アスペルガー症候群、広汎性発達障害、学習障害(LD)、注意欠陥多動性障害(ADHD)の5つです。これらの障害のある人の中には、受験期にさしかかって、受験生が大勢いる中では力が発揮できないとか、ほかの人と同じように長時間じっとしていられないといったことのために、進学をあきらめざるを得ないといったことがありました。このため、障害に
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自立生活(じりつせいかつ)って これでいいの? 〜筋(きん)ジストロフィー・宮城秀明(みやぎ ひであき)さん〜 【念願(ねんがん)の自立生活(じりつせいかつ)を始(はじ)めた宮城秀明(みやぎ ひであき)さん】 沖縄県(おきなわけん)にお住(す)まいの宮城秀明(みやぎ ひであき)さん、29歳(さい)。筋(きん)ジストロフィーです。 筋ジストロフィーは、筋肉(きんにく)が徐々(じょじょ)に衰(おとろ)えていく進行性(しんこうせい)の病気(びょうき)です。 宮城(みやぎ)さんは去年(きょねん)、16年間(ねんかん)生活(せいかつ)した病院(びょういん)を出(で)て、念願(ねんがん)だった一人暮(ひとりぐ)らしを始(はじ)めました。 でも、支援者(しえんしゃ)からはこんな声(こえ)が―― <支援者> あれがしたい、これがしたいっていう熱(ねつ)が、やらないうちに冷(さ)めちゃったみたい。
NHK京都府のニュース 京都放送局 朝鮮学校に抗議活動4人起訴 在日朝鮮人に対する抗議活動を続けている団体の幹部4人が去年12月、京都の朝鮮学校の前で大音量で街宣活動を行ったとして京都地方検察庁は4人を威力業務妨害などの罪で起訴しました。 起訴されたのは「在日特権を許さない市民の会」幹部の西村斉被告(41)ら4人です。 起訴状によりますと、西村被告らは去年12月、京都市南区の京都朝鮮第一初級学校の前で拡声機を使って大音量で抗議活動を行ったり、近くにある公園に設置されていた学校の拡声機のコードを切ったりした威力業務妨害や器物損壊などの罪に問われています。 検察庁によりますと、4人は起訴内容を認めているということです。また検察庁は、4人と一緒に抗議活動に参加したとして書類送検された他の7人について関与の度合いが低いとして起訴猶予としました。 一方、検察庁は、朝鮮第一初級学校の53歳の前
1967年、兵庫県生まれ。大学卒業後、出版社に就職、高校国語教科書や漢和辞典などの編集を担当する。2005年、『大人のための漢字力養成講座』(ベスト新書)を処女出版して、ライターとしても活動を開始。2008年、17年弱の会社員生活に終止符を打ち、フリーの編集者兼ライターとして活動中。漢字にまつわる「事件」を扱った著作に、『人名用漢字の戦後史』(岩波新書 2005)、『昭和を騒がせた漢字たち』(吉川弘文館歴史文化ライブラリー 2007)、その他の著書に『心にしみる四字熟語』(光文社新書 2007)、『漢和辞典に訊け!』(ちくま新書 2008)、『太宰治の四字熟語辞典』(三省堂 2009)がある。 本格的な漢字制限政策が行われたのは、戦後まもなくの昭和21年11月のことだった。漢字の使用を1850字に制限した「当用漢字表」である。この背景には、戦時中のスローガンに漢字が多く用いられていたことが
写真・左:戦時中の「点字毎日」に掲載されたスローガン 写真・右:番組収録の様子 左から吉田裕(一橋大学大学院教授)、岸博実(京都府立盲学校教諭)、木塚泰弘(日本ライトハウス理事長) 太平洋戦争の最中、日本は障害者たちを軍属、あるいは工場労働者として動員に踏み切っていた。視覚障害者は、敵機を見分ける「防空監視員」として、あるいはパイロットの身体をほぐす「技療手」として、そして軍需工場の労働者として・・。聴覚障害も工場労働者として動員された。戦前、差別に苦しんできた障害者の側も「国の役に立ちたい」と、政府や軍に協力を申し出た。障害者団体、障害者学校は軍に「嘆願書」を出し、戦地に赴いた。戻らぬ人もいた。 障害者が太平洋戦争をどう闘ったのか、戦後は体験した障害者もどちらかと言えば口を閉ざし、語られることが多くはなかった。 しかし、最近、筑波大学附属視覚特別支援学校の教員・卒業生たちが中心となって、
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