ブックマーク / hituzinosanpo.hatenablog.com (260)

  • システムとしての肉食を こえて。 - hituziのブログじゃがー

    シチメンチョウ(七面鳥)は すごかった - hituziのブログ 無料体験コース いったい、肉で腹をみたすために、どれほど ゼータクなことをしているのでしょうか。肉の値段は、もっと たかくて いいはずです。それこそ、金もちだけが たべてれば いいんです。なんで肉がファーストフードに なりえるんですか。 肉が いまのように やすいのは、ほとんどアメリカのおかげだと いっていい。アメリカが家畜のエサを 大量に つくってくれているからこそ、肉が やすくなるわけだ。アメリカは効率よく合理的にトウモロコシや大豆を 大量に つくっている。それを 日は輸入している。 何度も指摘してきたように、肉はコストが かかる。それにもかかわらず、肉は やすい! おどろくほどだ。だから、肉を よく たべているひとは、一度くらいはアメリカにお礼を いってほしい。感謝してほしい。それがスジではないだろうか。 わたしは

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    hituzinosanpo 2009/01/26
    アナーキズムと ベジタリアニズムが であうとき。
  • 工業的な農業と ゆったりした農業の共存。そして、飢餓を うみださない国際社会へ。 - hituziのブログじゃがー

    有機栽培を 支持するのは、消費者の「の安全」などというもののためではなく、なによりも「生産者の生活環境の保全」のためであるべきだ。消費者の「の安全」のために農薬を つかうことを 批判するのは おかしい。もちろん、農薬を つかいすぎることは よくないことだろう。けれどもそれは、農業に たずさわる ひとたちの生活環境だけが悪化してしまうのを さけるためであるべきだ。の安全はその結果でいい。有機農業は たいへんなことだ。それを わかっておく必要があるし、農薬も、いま容認されている基準値さえ まもっていれば、じゅうぶんに安全であるということを 理解する必要がある。山下惣一(やました・そういち)は「農業というのは有機だけでも無機だけでもない」という。おっしゃるとおりだと おもう(山下「私が有機農業をやらない理由(わけ)-「世直し装置」としての役割を期待して」『季刊あっと』2008年 12号、8

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    hituzinosanpo 2009/01/24
    率直な ご意見を おまちしています。
  • 遺伝子組み換え作物、知的所有権、そして農薬。 - hituziのブログじゃがー

    遺伝子組み換え作物と知的所有権(生産者を 支配するもの)。 - hituziのブログじゃがー うえの記事の つづきです。 エリック・ミルストーン/ティム・ラング『料の世界地図』丸善という すばらしいがあります。こので、「遺伝子組み換え作物」の問題が、つぎのように解説されています。 バイオテクノロジー企業は、遺伝子組換え料の研究による遺伝子と遺伝子組換え作物の利用を制限することによって、投資への見返りを確保しようとしている。企業は、利用の制限を次の二つの方法で行っている。 まず、企業は自社で発見した遺伝子と自社で栽培する遺伝子組換え作物と種子の特許を取得する。これによって、企業は20年間、“発明”への商業開発を独占することができ、使用者に特許使用料や許可料金を請求することができる。特許を受けた種子から作物を栽培している農家は再び種をまくために、種子を購入するにしても、種子を保存するに

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    hituzinosanpo 2009/01/22
    まだまだ つづきます。/記事を よまずにブクマコメントだけ よむひとも いるので ことわっておきますが、医薬品などの分野のことは なにも かいていないし、批判もしていません。
  • 飼料米の可能性(コメを 家畜の えさにする)。 - hituziのブログじゃがー

    では糧自給率について、おおきく誤解されている。それは、先進国は料を 輸入する側で、第三世界は料を 輸出する側だというものだ。じっさいのところは、佐久間智子(さくま・さとこ)「糧自給と自由貿易」『オルタ』2008年 7・8号で つぎのように説明されている。 実際、世界の糧輸出国上位10ヶ国のうち、9ヶ国までが先進国である。特に穀物に関しては、輸出全体の7割以上を先進国が占めている。逆に、糧純輸入国である先進国は、日韓国台湾、イスラエル、スイス、ノルウェーなど数ヶ国に過ぎず、先進国の中では少数派だ。途上国と言われる地域でも、南米のブラジルやアルゼンチン、メキシコ、チリ、アジアではタイやベトナムのように、中所得国とされる国々のなかに輸出大国が存在する一方、…中略…最貧国のほぼすべてが純輸入国である。(18ページ) 米を たくさん たべる。 - hituziのブログじゃがー

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    hituzinosanpo 2009/01/21
    "輸入の飼料にたよりつづけるかぎり、生産者は、飼料の値あがりで廃業を せまられる危険を かかえている。"/「飼料米」で検索を!
  • 食料危機は なぜおきるか。 - hituziのブログじゃがー

    その地域での主は、その地域で つくるのが重要なことです(ここでいう「地域」は、国家などの規模だと かんがえてください)。なぜか。 そして、この世界では主である穀物を 輸入に 依存している地域がある。それは なぜなのか。 ここに、南北問題がある。 日でも、コメ騒動がおきた。1993年のことだ(1993年米騒動 - ウィキペディア)。タイ米が おいしくないという、たいへん失礼な声が でてきたのを、よく おぼえている。 ひとつ、しらなかったことがある。それは、あのとき、タイ米の輸入に せりまけた地域があったということだ。日が 突然 輸入した あの米たちは、いつもは どこに とどいていたのか。佐久間智子(さくま・さとこ)「糧自給と自由貿易」『オルタ』2008年 7・8号を みてみよう。 冷夏によってコメ不足に陥った日は国際市場からコメを買い漁り、挙句の果てにタイ米などを大量廃棄していた

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    hituzinosanpo 2009/01/20
    ぜひ よんでください。/「主食は自給」が原則だということです。
  • 屠場(とじょう)労働者は、はたして笑顔で いられるのか。社会全体の問題だ。 - hituziのブログじゃがー

    いつも屠場(とじょう)労働者の みなさんが 笑顔で いられますように。 - hituziのブログじゃがー うえの記事は、たくさんの好意的な反応を いただきました。それは、はてなブックマーク - いつも屠場(とじょう)労働者の みなさんが 笑顔で いられますように。を みても、おわかりいただけるかと おもいます。 うえの記事のように、ストレートに表現すれば、屠場で しごとを している ひとを 差別するということが、いかに「天に つばを はく」行為(自分自身に はねかえってくること)であるか、わかっていただけるということでしょう。うえの文章に かいたとおり、「この社会で 肉を たべている たくさんの ひとたちがいる。そこにニーズがあり、屠場という空間が あ」るのですから。 さて。屠場労働者の笑顔のために、必要なことは なにか。リストに あげてみましょう。 屠場がタブーでなくなること。差別がなく

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    hituzinosanpo 2009/01/18
    もちろん!といえる社会へ。
  • 肉を たべたいというのは、動物を ころしてでも たべたいということだ。 - hituziのブログじゃがー

    動物園や水族館で「いってはいけない」ことばがあるそうだ。それは、「おいしそう」だという。なぜそれが、いってはいけない ことばなのか、わたしには理解できない。 ここに単純な事実がある。肉を たべるということは、動物を ころすということだ。肉が たべたいということは、動物を ころしてでも たべたいということだ。ころしたくはないけど たべたいということは、それこそ「いってはいけない」わがままであるはずだ。動物を ころして たべる。それが、肉者の日常なのだ。 わたしも消極的にだが、肉を たべている。だから わたしは動物を ころしていることを わすれるつもりはない。動物の死体を 加工したものが 肉料理である。それを おもいだしたり想像するのが いやならば、肉を たべなければ いいことだ。平気で動物を ころすことができるから、肉を たべているのだ。平気で ころせないなら、なれるまで、平気で ころせる

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    hituzinosanpo 2009/01/17
    ものすごく あたりまえなこと。/テレビが つくられるのも、動物が ころされるのも、ニーズが あるからですよね。肉を たべるのは、動物を ころすことに、「直接的に」 つながっている。他人まかせであろうとも。
  • 「じゃんけんのユニバーサルデザイン」実写版。 - hituziのブログじゃがー

    こんばんわ。「りんごちゃん」こと、あべ・やすしです。きょうは、ともだちの しば・やすえさんの おはなしを 撮影しました。「じゃんけんのユニバーサルデザイン」という おもしろーーい はなしです。 YouTube - じゃんけんのユニバーサルデザイン じゃんけんのユニバーサルデザイン - hituziのブログじゃがー うえの記事と あわせて ごらんください。10分弱の動画です。ごゆっくり おたのしみください。 関連記事: マルチメディア - hituziのブログじゃがー コミュニケーションに正解は ありえない。だから、 - hituziのブログじゃがー

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  • 朝鮮文字(チョソングル)。 - hituziのブログじゃがー

    松永正義(まつなが・まさよし)『台湾を考えるむずかしさ』研文出版 うえの屋で ぱらよみしました。そのうち きちんと よみたいと おもいます。なにごとであれ、他者と むきあうということ、ある地域を 研究するということは政治的な いとなみです。朝鮮語を まなぶということも、おなじことです。 屋の語学の棚を みていると、『小学館 日韓辞典』が ありました。「あら?」と おもって みてみると、2008年に だされた辞書でした。小学館といえば『朝鮮語辞典』が有名です。あれは日語話者が朝鮮語を まなぶために つくられた辞書でした。今回の『小学館 日韓辞典』も、おなじ目的で つくられています。つまり、朝鮮語話者が日語を まなぶための辞書ではないということです。 今回は残念ながら「韓日辞典」ということになっています。これは「朝日」や「朝和」でも よいはずです。たとえば『コスモス朝和辞典 第

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    hituzinosanpo 2009/01/13
    ひとと むきあうということ。ことばと むきあうということ。
  • エビを たくさん たべるということ。 - hituziのブログじゃがー

    村井良敬(むらい・よしのり)『エビと日人』岩波新書が でて、21年が たちます。1988年に出版された このは、2007年に読編が でています。村井良敬『エビと日人II ―暮らしのなかのグローバル化』岩波新書です。 『エビと日人』を みてみましょう。 えび業界の「現場」の人びとは、大ていのこと、大ていの問題や矛盾を知っている。しかし、現場の声は、いつの間にかかき消され、最終的に「儲かるか否か」だけが、輸入業者の判断基準になってしまう。 乱獲、くず魚投棄、トロール漁への抗議、マングローブ林の破壊、黒変防止の薬剤投与……、こうした事実を「現場」は知りぬいている。だが私たちには、大事件でも起きないかぎり伝わらない。消費者である私たちは、なるべく多くの情報を得て、消費行動をしたい。消費の背後に不公正や搾取、とりかえしのつかない生態系の破壊、あるいは生活の破壊などがあるのを知ったら、その消費

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  • 「偽装結婚」から 結婚を といなおす(中村うさぎ 再入門)。 - hituziのブログじゃがー

    中村うさぎ入門 - 『私という病』 - hituziのブログ 無料体験コース うえの記事は2年以上まえに かいた記事ですが、つづきを かきます。 反権力を うたっていた雑誌の『噂の真相』が休刊になって、ずいぶんになります。『噂の真相 休刊記念別冊 追悼! 噂の真相』は2004年の4月発行だそうです。5年も たったのですね。『噂の真相』は すばらしい連載が たくさん のっていたので、いつも たのしみに よんでいました。この別冊では、「休刊に寄せて」ということで、いろんな ひとからのメッセージを のせています。そのなかに、中村うさぎ(なかむら・うさぎ)さんも いました。 「「偽装結婚」にカチンときた!」中村うさぎ(作家) ずっと以前、「うわしん」さんに「中村うさぎの夫はゲイ? 偽装結婚との噂」という記事を載せられた時にも、夫がゲイだと言われたことより「偽装結婚」という言葉にカチンときて、「じゃ

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    hituzinosanpo 2009/01/09
    正直なところ、中村さんの夫が うらやましい!
  • 質問に質問で こたえてみる。 - hituziのブログじゃがー

    はてサの皆様に質問がございます。 - はてな匿名ダイアリー 楽しく拝見させていただき、非常に勉強となっています。 日ははてサの皆様に質問がございます。 よく、ネット右翼の皆様は弱者救済を自己責任論で完結させようとしていらっしゃいます。 この辺の理屈は非常に単純明快でわかりやすいものがございます。 おそらく、私が愚考いたしますに、「俺ら頑張ってきたんだから楽するなんて許さないよ」という心境がございますのでしょう。 皆様は大変努力なされてきたのでしょう。一学生の私はただただ敬服するばかりです。 私にはその考えはとても理解しやすいものです。 対するはてサの皆様は弱者救済を声高に叫んでいらっしゃいます。 慈愛の心に満ち溢れる、自然と出てきた主張でありましょう。 人なのですから、助け合いの心は大切ですよね。 しかし、どのような行動にも「理由」はあるものだと私は考えております。 皆様なりの思うところ

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    hituzinosanpo 2009/01/09
    がらにもなく議論に参加してしまった。おかしいな。ま、いいや。/id:terracaoせんせー、idなど修正しました!
  • 社会運動に資格は いらない。 - hituziのブログじゃがー

    だれかを 非難したいなら、相手の矛盾を 指摘するのが てっとりばやいようです。「おまえは えらそうに倫理を かたるけれども、おまえは こんなに わるいじゃないか。」「だから おまえには倫理を かたる資格などない。」「社会問題を 論じる資格がない。」 ほんとうに、あちこちで みられる非難です。 ですが、まってください。 あなたは一体、なにものですか? そうやって非難してみせる あなたは、どこで なにを しているのですか? あなたは、だれのために そういってみせるのですか? 相手のため? それならいいでしょう。 でも、もしそれが 相手を 非難することで自分の立場や責任を といなおすことなく 安心するためだったら? 自分から 問題を きりはなすためだったら? そのとき わたしは、はっきりと いいます。いいかげんにしてくれ。そうやって安易に安心するのは うごいてからにしてくれ。 そうです! 社会運

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    hituzinosanpo 2009/01/08
    やっと かけた。
  • 「やめろ!」と いえる社会へ。 - hituziのブログじゃがー

    このブログは、ものすごくマイペースに おもいつくまま かいています。つぎつぎと ちがうテーマを とりあげますし、それは日語についてだったり、たべものについてだったり、障害や福祉についてだったりします。 いまガザで おこっていることを おもえば、ブログを かいているものとして、イスラエルに抗議する記事を くりかえし かいていく必要があるかと おもいます。それが できていない わたし自身のことを ふりかえるにつれて、もうしわけなく感じています。 このブログを 定期的に よんでくださっている かたは、もし よろしければ、はてなブックマーク - hituzinosanpoのメモ帳なのだも あわせて ごらんくだされば さいわいです。 日では、抗議するということ、いかりのこえを あげるということを、ほとんど経験していないという ひとが、多数を しめるように おもいます。それは自分が しいたげられて

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    hituzinosanpo 2009/01/07
    "自分のことであっても、他人のことであっても、いやなことは、「いやだ!」「やめろ!」と主張しましょう。"
  • エスペーロ おかやま。 - hituziのブログじゃがー

    能力を わけあう(ただで料理しますぜ) - hituziのブログじゃがー おかやまに ご招待。 - hituziのブログじゃがー なつかしいですね。「ただで料理しますぜ」というのは、よんでくだされば どこでも でむいて出張料理人を やりますという おはなしでした。まだ いけてないですね。 「おかやまに ご招待。」というのは おかやまに あそびに きてください!という おはなしでした。おひとり きてくださいました。ですが、まだ おうちには ご招待できていません。 そこで! 日、「エスペーロ おかやま」を おひろめします! なまえは なんでも いいのですが、「おかやま 社会問題研究室」とか「おかやま障害学研究センター」、「おかやま 識字学習室」、「おかやま エスペラント学習会」、「おかやま 朝鮮語教室」ということでも かまいません。きてくださった かたが、部屋の なまえを その都度きめてくだ

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    hituzinosanpo 2009/01/06
    希望は、つくるものです!!!!
  • わたしたちは、世界のことに責任がある。 - hituziのブログじゃがー

    あたえることには 意識的。うばいとることには 無自覚。 - hituziのブログじゃがー 責任ということ。それは、わたしは、いま いきているということ。この世界を、みんなで わけあっているということです。だれもが、かぎりある いまを いきています。はかなく、あやうい世界を ともに あゆんでいます。いのるように、それでも あせって からまわりしないように、すこしずつ、そして 革命的に かんがえていくしかないはずです。 緒方正人(おがた・まさと)『チッソは私であった』 - hituziのブログじゃがー 「人間の責任」を ひきうけるということ。それは、社会の ありかたに 責任を もつということでしょう。だれもが、社会を かたちづくる 主体として 存在するのですから。かぎりあるものを、わけあって いきているのですから。 ▼「もうどんなことをしてもいいと思ってる、気が狂いかけてる」 - イルコモンズ

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    hituzinosanpo 2009/01/05
    また かきます。
  • ウェブの常識、ヤスクニの非常識。 - hituziのブログじゃがー

    リンクは自由。これはウェブの常識です。 ところが、どうだろう。靖国神社(やすくに じんじゃ)のウェブサイトは。 転載・リンク条件 リンクの設定について リンクをご希望の際は、内容に同意の上、貴サイトの内容・URL・氏名・連絡先・リンクの趣旨を靖国神社広報課まで、文書若しくはFAXにてご連絡下さい。なお、当社からの回答があるまでリンクの設定はご遠慮願います。 設定はホームページのトップ頁「http://www.yasukuni.or.jp/」となります。 リンクは貴サイトからの片側のみを原則とします。相互リンクについては現在、神社関係団体に限らせていただいております。 以下に該当するサイトからのリンクは一切お断り致します。 靖国神社または第三者を誹謗中傷、名誉毀損、また財産、名誉、人格権、プライバシーの侵害をしている、またはそのおそれがあると当社が判断したもの 靖国神社の評判・信用を損なう

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    hituzinosanpo 2009/01/05
    あたりまえのこと。
  • ひとは、社会で そだつもの。 - hituziのブログじゃがー

    坂口安吾(さかぐち・あんご)は、「戦争論」という評論で つぎのように のべています。 家も、又、垣の一つだ。何千年の人間の歴史が、この家の制度を今日まで伝承してきたからと云って、それだから、家の制度が合理であるとは云えない。 …中略… 家の制度があるために、人間は非常にバカになり、時には蒙昧な動物にすらなり、しかもそれを人倫と称し、能の美とよんでいる。自分の子供のためには犠牲になるが、人の子供のためには犠牲にならない。それを人情と称している。かかる能や、人情が、果して真実のものであろうか。 …中略… 家の制度というものが、今日の社会の秩序を保たしめているが、又、そのために、今日の社会の秩序には、多くの不合理があり、蒙昧があり、正しい向上をはばむものがあるのではないか。私はそれを疑るのだ。家は人間をゆがめていると私は思う。誰の子でもない、人間の子供。その正しさ、ひろさ、あたたかさは、家の

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    hituzinosanpo 2009/01/04
    いきるということ。そだつということ。
  • ウェブでの議論やコミュニケーションについて。 - hituziのブログじゃがー

    いろいろと かんがえさせられることがあり、hituziのブログ 無料体験コースの 議論カテゴリーの記事を よみかえしてみた。なかなか おもしろかった。身につまされる。 したに あげる記事は、すべて「hituziのブログ 無料体験コース」のものです。 「「つながり、ゆさぶり、ひびきあう」」 「信じることから希望は うまれる」 「てさぐりで もがきながら」 「個人の問題ではないということ」 「コミュニケーションに「限界がある」ということ」 「「荒らし」とは、なにか」 「自分をまもるのが苦手な ぼくたちは」 「相手の話を理解するということ」 「「厨房」とのコミュニケーション」 「断言しても仕方がない。だけども、それでも とりあえず。」 「問題意識の温度差」 「立場と主張と」 「批判に ふくまれた前提」 「ウェブで議論する」 「いらぬ心配ごと」 「むしろ矛盾しろ」 「つっこみを歓迎したい」 「自己

    ウェブでの議論やコミュニケーションについて。 - hituziのブログじゃがー
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    hituzinosanpo 2009/01/03
    過去の わたしからのメッセージ集。わたしへ。あなたへ。
  • コミュニケーションに正解は ありえない。だから、 - hituziのブログじゃがー

    自閉者と自分勝手なコミュニケーション - hituziのブログ 無料体験コース コミュニケーションに障害はありえない - hituziのブログ 無料体験コース 自分のコミュニケーションを観察する - hituziのブログ 無料体験コース 自閉症と主体性。 - hituziのブログじゃがー うえの記事の つづきを かきます。 ときに、「わたしは障害者と接したことが あんまりなくて、どんなふうに接したらいいのか わからない」という声を きくことが あります。たいせつなことだと感じると同時に、不思議な発想だとも感じます。 『認知症と診断されたあなたへ』医学書院 - hituziのブログじゃがー うえの記事で紹介した ことばに「人は病い一般を生きるわけではありません」というのが あります(『認知症と診断されたあなたへ』25ページ)。 これは、とっても たいせつな視点です。これは つまり、「一般的な

    コミュニケーションに正解は ありえない。だから、 - hituziのブログじゃがー
    hituzinosanpo
    hituzinosanpo 2009/01/03
    社会的排除を といなおしましょう。そして、自分のコミュニケーションを といなおしてみましょう。