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ブックマーク / note.com/tanahashi (24)

  • サピエンス異変/ヴァイバー・クリガン=リード|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi

    「誰でも知っているとおり、長く働いたからといって仕事がはかどるとはかぎらない」。 この科学技術全盛ともいえる21世紀に、僕らはいまだ科学的にみたら不合理だらけな仕事や生活をし、社会や環境のデザインをしてしまっている。 そんな考えが、最近僕自身のなかで徐々に否定しがたく明らかになってきて唖然としている。 自分たちがこれからも健やかに生きる環境というものを、最近の科学の研究結果を参照して考えてみた場合そう思うのだ。 僕らは健やかに生きる環境というものをもっと科学的にみてデザインし直さないといけないと。 サバンナに生まれた種にとってのブラックな労働環境例えば、この『サピエンス異変』。 このでは、腰痛や2型糖尿病のような現代人だけがかかる病気の要因を作っているのが、何百万年も前にサバンナに生まれ、狩猟のために歩き回る生活に適応するよう進化した人間の身体が、1日15時間を超える時間をじっと座ってい

    サピエンス異変/ヴァイバー・クリガン=リード|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi
    honeybe
    honeybe 2019/02/25
  • 地球外生命と人類の未来/アダム・フランク|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi

    「先進技術を発展させた文明は、平均してどの程度長く存続できるのか?」 この問いは、1961年にアメリカの天文学者フランク・ドレイクによって考案された、この銀河系に存在し、地球に生きる僕たち人類とコンタクトできる可能性をもった地球外文明の数を推定するための方程式における、7つあるパラメーターのうち、最後の1つだ。 他の6つは、 1.この銀河系で1年間に誕生する恒星の数 2. ひとつの恒星が惑星系を持つ割合 3. ひとつの恒星系がもつ惑星のうち、生命の存在が可能となる状態の惑星の平均数 4. 生命の存在が可能となる状態の惑星で、実際に生命が発生する割合 5. 発生した生命が知的レベルにまで進化する割合 6. 知的なレベルになった生命体が星間通信を行う割合 となっている。 この6つのパラメーターに、さらに、そうした生物が現在もなお存続している割合として、先の7項目を掛け合わせれば、自然と地球外生

    地球外生命と人類の未来/アダム・フランク|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi
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    honeybe 2019/02/12
  • 科学を人類学的思考の俎上にのせて|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi

    「人類学者には西洋を民族誌学的に研究することは不可能である」と書く、ブルーノ・ラトゥールの『虚構の「近代」』が、なかなか面白い。 「自分たちから見た異文化に対しては問題なく遂行できる研究でも、西洋文化(「自然-文化」と呼ぶべきか)に対してはなかなか遂行できない」というラトゥールは、自分たち西洋人が生み出した人類学という人間の文化・社会がどんな基盤の下に成立しているかを分析する方法が自分たちの外の異文化には適用できても、自分たち自身の文化にはうまく適用できずにいることを指摘する。 自然-文化その要因としてラトゥールがあげるのが、西洋近代が絶対的なルールのように囚われている決して交わることのない「自然-文化」という二元論的なものの存在だ。"文化人類学"として、そもそも文化の軸から異文化における自然と文化の混淆をみる既存の人類学では、以下の図の上半分に示されたように、人間の文化と異なるものとして

    科学を人類学的思考の俎上にのせて|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi
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    honeybe 2019/02/11
  • 作ることはゴールではない|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi

    今朝通勤途中に歩いていて、ふと思った。日のビジネスの現場には、最終的に何かを作りだすことがゴールであるかのような幻想があるのではないだろうか?と。 ものづくりへの過度な期待も、クリエイティブということばの独特な捉えられ方も、デザインやアートの持ち上げられ方も、何か具体的なモノ(非物理的なデジタルなものも含め)をアウトプットすることそのものがゴールであるように捉えてしまう、間違った考えが常態化してしまっているからではないだろうか。 だから、とにかく作ろうとしてしまう。何を作りましょうか?といきなりくる。 いったい、何のために? そう、問うてもまともな答えは返ってはこない。作ること自体が目的になってしまっているのだから。 来なら、何のために?が定められていないまま、好き勝手につくったものが何かのゴールであるはずはない。 何かができたとしても、まだ何もはじめられていないし、スタート地点にさえ

    作ることはゴールではない|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi
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    honeybe 2018/07/06
  • 思考の土台|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi

    21世紀になっても人びとの、わからないことへの対処はとにかくオカルト的になりがちだ。 いま読んでるカルロ・ギンズブルグの『闇の歴史』というに14世紀のフランスにおいて、ハンセン病患者とユダヤ人が共謀して、貯水槽や井戸や泉に毒物を散布したという嫌疑がかけられ、罪に問われた件が話題にされている。とにかく、歴史的には、嫌疑をかける側の証言ばかりが残ることになるわけだから、当の事の次第を読み解くのがむずかしく、その事自体が歴史の真実を隠し、それゆえに冷静なはずの歴史家までもがオカルト的な思い込みで真実を捻じ曲げてしまう。 その状況を打破しようというのが、書の試みと言っていいが、その中で、ギンズブルグはこんなことを書いている。 こうした話のすべてに、キリスト教世界の境界外にのしかかる、未知の脅威に満ちた世界がかき立てる恐怖がかい間見られる。不安をかき立てたり、理解し難い出来事はすべて、不信仰者

    思考の土台|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi
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    honeybe 2018/06/11
  • 古くなったしくみに惑わされない|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi

    昨日「中国にボロ負けして400年の衰退へ向かう日い止める術はもう無い」なんて記事を読んだせいもあるかもしれない。あるいは、最近の仕事で未来の社会を考えるために、これから人びとの暮らしや仕事がどう変化するか、社会の状況がどう変わり、それに応じて社会のしくみや人びとの意識、文化や倫理観がどう変わっていくかなどといった事柄を言葉にすることばかりやっているからだろうか。はたまた、単に風邪をひいて、すこし頭がぼんやりしているせいもあるだろう。 『ゲーテとの対話』のなかに、ゲーテのこんな言葉を読んだとき、感じるものがあったのは。 これから何年か先に、どんなことが起こるか、予言などできるものではない。だが、そう簡単に平和はこないと思う。世の中というものは、謙虚になれるような代物ではない。お偉方は、権力の濫用をしないではおれないし、大衆は漸進的改良を期待しつつ、ほどほどの状態に満足することができない

    古くなったしくみに惑わされない|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi
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    honeybe 2018/03/22
  • 正しさを前提としない|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi

    世の中には2つのタイプがいる。 正しさを前提として議論をする人と、決まった正しさなどはないからその前提で議論の中で何を選択するかを決めようとする人と。 僕は明らかに後者だ。 正しさというものを前提にしようと思うことはほとんどない。何かを決めなくてはいけないのだとしたら、その取り決めに影響がある人、責任を持つ人で話し合って決めればよいと思ってるし、話し合って決めるしかないと思ってる。その話し合いにおいて基準になるような正しさなんてないと思っている。 それは多神教の国の人だからとか言ってみたいが、残念ながら多神教の国にも何か明らかな正しさがあると仮定して自分の議論の正しさを主張する人がいる。神以外に正しさを求めているとしたら、一体なににその根拠を認めているのだろうか?と不思議に思う。 ルールは正しくなさだけを明示するもちろん、僕も社会にはいろんなルールが存在していて、そのルールにおいて正しくな

    正しさを前提としない|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi
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    honeybe 2018/03/15
  • チームビルディング|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi

    仕事をする上でチーム作りって大事だなと、あらためて今日思った。 人ってそもそもモチベーション次第で仕事のパフォーマンスはがらりと変わるけど、じゃあ、そのパフォーマンスを高く保つキーは何かというと、チームの関係性だとか、雰囲気なんだと思う。 互いに、いい仕事をし合って全体のクオリティを上げるには、互いが信頼し合って、言うべきことをちゃんと言えたり、それぞれが積極的に自分の仕事を作り、互いに刺激になるような提案をし合う環境をいかに作るかだと思う。 人間関係のストレスのない環境をつくるいろんなチームの作り方があると思うけど、僕はとにかく楽しく、なんでも面白がって仕事をし合える関係性でいられるチームが好きだ。いい時はほめて、ダメだったら違うって、そんなに気を遣わず言える関係性。上下関係とかもほとんど気にならないようにしたいし、誰が言ったことなのかとではなく、当に良いアイデアを採用していける状態を

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    honeybe 2018/03/10
  • 読みやすさについて誤解されていること|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi

    考える力には、言葉を操る力が不可欠だ。 で、その言葉を操る力には2つの側面がある。 文章という形や口頭での話言葉の形で自分の考えや主張をひとまとまりの言葉として組み立てる力がひとつ。 もうひとつは、文章を読んだり話を聞きとったりする力だ。 関連するところもあるが、それぞれ独立してもいる。読んだり聞いたりの方は、自分の文脈とは異なる、相手の文脈を予測する力が必要だから。 この他人の文脈を読みとるのが苦手で、聞く力、読む力に欠ける人は少なくない。 でも、これは経験なので、卵が先か鶏が先かのところはある。苦労してでも相手が何を言おうとしてるかを考えつつ、話を聞いたり文章を読んだりするしかない。 その中で他人の文脈のパターンが引き出しに増えるから、聞く力、読む力がついてくる。 そのつもりで努力が続けられるかどうかだ。 文章からはじめてみるさて、しゃべったり話を聞いたりも大事なんだけど、考える力をつ

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    honeybe 2018/03/07
  • 新しいものは専門分野の外からやってくる|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi

    ジャンルを超える。 新しいものが、ジャンルの超越から生まれてくることは多い。 だから、いかに複数のジャンルをまたいだ/結びつけた形で発想するか、活動を行うかを考えることが大事。けれど、フィルターバブルに自分からはまりにいってしまうというか、つい自分がいるひとつの狭い領域にしか興味を示さず、すべてをその世界の論理、常識で考えてしまう人は少なくない。 それをやってしまうと、非常識でエモーションをかきたてるようなアイデアが生まることはほぼ期待できなくなる。いや、そういうアイデアの兆しをとことん潰す方向で、すべての思考や行動を行なってしまう。 いわゆる異業種から学ぶとかいう無難な話ではなく、異なる業種、異なる職域、異なる研究領域に飛び込んでみたら何が起こるかというリスクを伴うアクションが必要だ。 残念ながら、未知に対して必要以上に臆したり、失敗を過度に怖れることが許されるような余裕はもはや誰ももて

    新しいものは専門分野の外からやってくる|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi
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    honeybe 2018/03/02
  • 情報に包まれる|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi

    今日、ふと思った。 映しだされた情報を見るか、情報を身体に浴びるのか。そんな2つの情報への接し方がある、と。 前者はこちらが見ているのだが、後者はあちらから見られているという感覚。あるいは前者は情報を得るためフォーカスしてるのだが、後者はぼんやりと情報に包まれているような感覚。 マクルーハンが『グーテンベルクの銀河系』で、活版印刷以前と以降を比べて、光との関係で論じていたことから連想したイメージだ。 視覚とそれ以外の感覚「グーテンベルク以後、視覚があらたに強調されたために、すべてのもののうえに光を要求することとなった」とマクルーハンはいう。 一方で、グーテンベルク以前の中世人なら「瞑想によって聖なる光を見るのではなく、それを浴びるのだ、という風に考えたであろう」と書く。 この対比。これは視覚情報と聴覚情報の違いだと想像するとイメージがわくはず。目は情報をこちらから拾いに行くが、耳は向こうか

    情報に包まれる|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi
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    honeybe 2018/02/28
  • 生きたInformation Architecture|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi

    昨日は、World IA Day 2018 Tokyoでの「曖昧さと不確実性」というタイトルでの講演だった。はじめて逐次通訳が入る形での講演だったが、話の仕方や時間コントロールがむずかしかった。 イベント自体のテーマが「IAの倫理と哲学」だったので、「情報はそもそも曖昧で不確実なものである」ことを伝えたいとして話をした。 背景としては「常識だと思っていたものが大きく変化する時代」において、「どうデザインするか? 何をデザインするか? 以上に、何故デザインをするのか?が問われている」と考えていることを話した。それゆえ、既存の枠組みから情報をいったん解放し、「変身=隠喩」的に異なるもの同士をつなぎあわせ、新しい思考を生みだしていくことが必要であり、「隠喩を生むノイズ」をどうプロジェクトに取り入れ、「共創の場で異なる視点を取り込む」ような仕掛けを設計しておくかを大事にしているということを伝えた。

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    honeybe 2018/02/25
  • 思考にはノイズを取り入れて|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi

    ノイズって大事だ。 穏やかすぎる均質な状況からは、クリエイティブなものは生まれてこないんだなと感じる。思考を刺激する異質なものの存在は思考の枠組みを柔軟なものにするためには必要だ。 もちろん、ノイズだらけで、どこにも主旋律的なものが存在しない状況では話にならない。でも、次にどんなものが飛びだしてくるかわからない緊迫感は、創造的なアウトプットが必要なプロジェクトには欠かせない。 プロジェクトには波風が必要だ。 あまりに似たもの同士、適度に利口な人が集まると、逆にプロジェクトは停滞するのでは?と思っている。 多様性のある人たちの交わらない見方を取り入れるだから、僕は、外の人を巻き込むかたちのプロジェクトデザインが好きだ。 ある程度、多様性をもった人たちが参加する共創的な取り組みに価値があるのも、ノイズを混ぜることができるという観点からだと思っている。ノイズは思考の可能性を広げてくれる。 多様性

    思考にはノイズを取り入れて|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi
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    honeybe 2018/02/21
  • 自然対人工の単純でない構図|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi

    自然と人間。ジョルジュ・バタイユが人間を自然を否定する動物だと言っていることは昨日書いた。 そして、いわゆる祝祭が、動物であることを否定した人間が、動物であったことを確認するかのような機能を持っていたことを紹介した。 ロザリー・L・コリーは『シェイクスピアの生ける芸術』で、シェイクスピアが書いた牧歌形式の演劇をいくつか紹介しているが、この牧歌型の劇の形式こそ、祝祭による自然、動物への一時的回帰を思わせる劇の型を持っているという点で、それ以降、祝祭というものが社会からすこしずつ排除されていくことになる最後の時代を生きたシェイクスピアが繰り返しその形式を使ったことは大きな意味を持っているように思う。 コリーはシェイクスピアの牧歌型の劇のひとつ、『お気に召すまま』を通じて、標準的な牧歌形式がどのような型を持つかを次のように紹介している。 このロマンティック・コメディの大枠の構造は、まさに標準的な

    自然対人工の単純でない構図|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi
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    honeybe 2018/02/15
  • 見ることの創造性|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi

    自分で何か視覚的なものをデザインしたり、ディレクションしたりする際に、自分自身に見る目がなければ、当然ながら、つくるもののクオリティーは上がらない。 利休の観察力はあまたの茶人の歴史でも群を抜いている。岡倉天心や幸田露伴ならいざしれず、とても利休にはかなう者はいない。あの造形力は観察の賜物である。器物を見る目はむろんのこと、きっと人の器量を見る目も鋭すぎるほどだった。と、松岡正剛さんは『日数寄』で書いているが、まさに千利休が茶の達人だったのも器をはじめとする茶道具の目利きができただけでなく、茶会においてどうたち振る舞うとよいかだったり、そもそも茶会には欠かせない人というものを見る目があったからなんだろう。 数多くの器の型の切抜きをつくり、見たものを自分の中で整理することを怠らなかったのだろう。見たものの意味がディテールや要素間の関係性なども含めて理解できていなければ、それを自分の創作にな

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    honeybe 2018/02/10
  • メディア論とプロジェクトのデザイン|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi

    計画でも、デザインでもいいのだけど、外の現実を内なる思いに沿うよう変えようと考えるなら、その前提として、外と内との間に何らかの照応が必要になるはずである。 例えば、名前だとか、重さや長さあるいは性別や年齢のような対象となるものの属性データだとか、対象となるものの写真とか、対象に関する調査資料とか。これらは外にあるものを内側で把握するために必要なものだ。 一方で、実際に計画だとかデザインだとかを考えようとすれば、例えば、建築なら平面図や断面図、アクソメなどを使って内なるイメージを外へ投射するための方法として使うし、スケッチだとかモックアップといったもので、内なる考えをどう外に実装しようとしているかのイメージを検証したりもする。 そもそも遠近法だとか、1つ前の「文書に書きだしながらプランを練る」で話題にしたプロジェクトマネジメント計画書なども含めて、内なる考えを外で実現しようとする際に媒介とな

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    honeybe 2018/02/04
  • 文書に書きだしながらプランを練る|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi

    恥ずかしいので、あんまりおおっぴらには言いたくないのだけど、プロジェクトの最初にプロジェクトのマネジメント計画を文書として書きだす作業は好きだ。 恥ずかしいのは、いちおPMBOKの体系を意識して書いているものの我流だから。ただ、PMBOKの正しい使い方ができているかという点では不安だが、プロジェクトを成功に向けて導くという意味での最初の計画としての文書としては、いろいろ目が行き届いているし、プロジェクトの流れの中でデザイン(広義の意味)がどう組みあがっていくかを示せていて割と書けてると思うので恥ずかしさはない。 どうしたら、プロジェクトを期待するゴールに導けるか、それにはどういう方法をどういう手順で進めるか。それぞれのタイミングで何をポイントにすればクオリティが上がりそうか。必要なものは何で、必要な役割は何か、とか。あとは最初の時点で見えていない部分は、どうやって見える化し、計画へと組みこ

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    honeybe 2018/02/03
  • デザインの誕生|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi

    designという語が英語として登場してくるのは、16世紀後半から17世紀初頭にかけてのことだと言う。 いずれにしろOEDによると、英語としてのdesignが出てくるのは1593年が最初です。「絵」の用法では1638年が最初。要するにその界隈ですね。そしてぴったりその時期の1607年、「ディゼーニョ・インテルノ disegno interno」という言葉が、マニエリストのフェデリコ・ツッカーリ(1542-1609)の「絵画、彫刻、建築のイデア」というエッセーの中に登場しました。今まで長い間、ヨーロッパのデザインは基的に外界にあるものをたくみに写す技術、ミメーシスの技法でやってきた。ところが1607年の時点で、英語にすると「インナー・デザイン」、この講義だったら「インテリア・デザイン」としかいいようのないイタリア語のディゼーニョ・インテルノ、「内側にあるもののデザイン化」という意味が出てき

    デザインの誕生|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi
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    honeybe 2018/02/01
  • デザインと言語化|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi

    何かをちゃんとデザインしようとすれば、様々なことを言語化することを想像以上にはるかに多く強く求められる。 いま誰を対象として考えているのか、問題をどのように捉えているのか、何を問題の原因と捉え、どのようにそれを解決しようと考えているのか。それはいったい、どのような価値がある何をデザインしようとしているのか。 これらを言語化するのは誰か説明するためというより、自分の想像力をより明瞭にするためだ。複数人でデザインに関わっているなら、チームとしてのイメージをクリアにするためである。 もちろん、デザインには言語化するよりもそれ以外の方法を取った方がいい部分はたくさんある。ただ、そうしたものを除いても、デザインの過程においては言語によって明らかにすべきことは想像をはるかに超えてたくさんある。 わかるということは、次に何のアクションをすればよいかがわかること例えば、自分が何のためにデザインしようとして

    デザインと言語化|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi
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    honeybe 2018/01/31
  • プライバシーと空間の変容|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi

    日常の生活のなかでの体験を今よりすこし良くしようとすることは、同時に何かこれまでの常識的な生活のあり方を変えるということでもある。この必ずしも受け入れやすくはない変化を受容しなければ、良い方向への変化も受容することはできない。 いまで言えば、仮想通貨に関することでも、モバイルでの個人間取引に関しても、はたまた音声UIに関しても、何か新しいメリットを受容しようとすれば、これまで当たり前に思ってきたことを諦めたり、捉え直したりすることは免れえない。変化はポジティブな方向にのみ起こるのではなく、ネガティブな方向にも同時に作用する。 マクルーハンが遺作の『メディアの法則』で示した、新たなメディアが登場する際に起こる変化の4つ組「テトラッド」(「を強化する」、「を反転させる」、「を回復する」、「を衰退させる」)は、まさにこのポジティブ/ネガティブな両側の変化が同時に生じることを示す指針のようなものだ

    プライバシーと空間の変容|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi
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    honeybe 2018/01/28