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連載と漫画家に関するhrbmszのブックマーク (2)

  • 鳥山明さんのいなくなった日3【夏目房之介のマンガ与太話 その30】 | マンバ通信

    鳥山明は、縦の間白(コマとコマの間)より横の間白を広くとり読みやすくする工夫など、先鋭的な作品ではむしろダサく見えてしまう表現上の更新もしている。が、それが典型的に示すように、新しい革新的な表現に注目しがちな批評言説からは注目されにくい作風である。けれど、彼は間違いなくジャンプ最盛期の牽引役で、その後のジャンプ路線のシンボルだった。のちにジャンプを支える『NARUTO』の岸斉史、『ワンピース』の尾田栄一郎ら、多くのジャンプ作家に影響を与えた。いわば読者を育て、そこから作家を生み出したのである。いいかえると、彼はジャンプの基準、範例のようにも見なされ、結果「明朝体」のように感じられるようになったのかもしれない。 鳥山明はとてつもない作業量をこなし、しかも締め切りを守った。その理由が、会社員を経験したので、〈原稿が遅れるといろんな人に迷惑がかかる〉*1と思ったからだという。ただ、絵を描くのが

    鳥山明さんのいなくなった日3【夏目房之介のマンガ与太話 その30】 | マンバ通信
  • 鳥山明さんのいなくなった日【夏目房之介のマンガ与太話 その28】 | マンバ通信

    『DRAGON BALL』 2024年3月8日、NHKBSからの取材依頼メールで、初めて鳥山明さんの訃報を知った。3月1日、68歳での逝去。ショックでしばらく頭が真っ白になった。昨年来戦後漫画の巨星が立て続けに鬼籍に入ったが、彼らについては私も割と冷静だった(みなもと太郎さんを除けば、だが)。私の中で鳥山さんは、いわば巨星たちが築き上げた戦後マンガ出版(紙)の最盛期を象徴する作家であり、しかしそれに相応しい評価がいまだなされていない人だった。お会いしたことはないが、大好きな作家でもあった。言葉もない、というのが正直なところだ。が、そうもいっておれないのが「マンガ批評家」の哀しいところで、何とか自分を奮い立たせて書かせていただく。鳥山明が巨大な存在なのは、日人なら何となく感じ取っていると思うが、誰も具体的にどう巨大なのかを語ってくれないので、聞かれても好きか嫌いかとか、子供の頃読んだとか答

    鳥山明さんのいなくなった日【夏目房之介のマンガ与太話 その28】 | マンバ通信
    hrbmsz
    hrbmsz 2024/03/29
    “誰も具体的にどう巨大なのかを語ってくれないので”
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