2010年11月28日 01:19 カテゴリ歴史ネタ人と組織 三国志的人材流動論:その2 Posted by fukuidayo No Comments No Trackbacks Tweet 三国時代の蜀という国は、初期段階こそ、関羽・張飛・趙雲・諸葛亮と人材が豊富だったけれど、建国を支えた人材が倒れていくに従って、慢性的な人材不足に陥るようになる。蜀の末期を支えた姜維や王平といった将軍たちはもともとは魏の将軍で、しかもさしたる地位を与えられていなかった。蜀で高い地位を与えられてはじめて輝くようになった人材だ。 建国初期の蜀を支えた人材は荊州という、当時の政治の中心地から南に下った地方で得られた。 ここには、多くの知識人が中央の戦乱から逃れてやってきていた。いわゆる清流派と言われる人材達だ。 中央で、曹操が「唯才」というスローガンを掲げて、能力のあるものを抜擢し、それまで大切にされてきた