少しだけ気になったので考えてみる。 「大きな物語が失われたために人々は生きる意味を見出しにくくなってしまった」というストーリーにはもっと率直な疑問を感じる。つまり、「大きな物語のおかげで生きる意味が保証されていた」という状況がそもそもうまくぼくにはイメージできないのだ。たとえば、「大きな物語」として「冷戦構造」が挙げられることがある。そのとき「資本主義vs共産主義」のような大きな対立構造が各種の思想や制度を布置づけていた、という話を否定しようとは思わない。しかし、市井のある人物が「冷戦構造のおかげで生きる意味がみつかりました!」と述べているような状況は、ぼくにはまったく想像することができないのだ。 もちろん、政治的な人間であればその種の運動に「アンガージュマン」することで「生きる意味」を 見出すことができたかもしれない。しかし、それは、一部の人間にとってだけのことだったのではないのか?そし