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ブックマーク / koheko.hatenadiary.org (2)

  • 大学に関する神話はそろそろ本気で検証したほうがいい - 諏訪耕平の研究メモ

    の小中高ってのはトコロテン式で、学んだことが身に付こうが身に付くまいが次の段階に押し出されるシステムだ。学習内容は積み上げ式だから、当然「落ちこぼれ」が発生する。ある段階で何らかの理由によりつまづいたら、よっぽど幸運にすばらしい教師に巡り合う場合を除いて、その後ずっと落ちこぼれ続ける。積み上がらない。 この方に同意。ここでの議論をややこしくしているのは2点。1,大学は研究機関であるという神話。2,自己責任論。1,この手の話をしていると必ず「大学は自分で勉強するところであって勉強を教えてもらうところじゃない」とか,「大学は研究機関で,教育機関ではない」とか言い出す人がいる。それは神話。大学は自分から勉強するところでもあり,教えてもらうところでもある。また,研究機関でもあり,教育機関でもある。先生がいて生徒がいるのだから,ほっといても大丈夫な生徒はほっといて,ほっとけない生徒は構ってやれば

    大学に関する神話はそろそろ本気で検証したほうがいい - 諏訪耕平の研究メモ
    htktyo
    htktyo 2011/02/21
  • 「できない」人の指導が受けたい - 諏訪耕平の研究メモ

    例えばある集団を改善したいとして,そのとき意見を聞くべきなのはその集団に不満を持っている人だと思うわけですよ。そういう人はその集団の欠点がよく見えている。でもその集団にもっとも不満を感じている人って恐らくその集団から排除されてしまった人だったりするので,そういう人に意見を聞こうとしても,「もう私には関係のない話ですので」となりがち。実際僕は経験があります。結果,それほどその集団に不満を感じていない人たちの意見をもとにその集団を改善しようみたいな話になっていくので,改善は不完全燃焼で終わったりするのだろうと思うのですね。 最近僕の研究分野で「当事者性」についての議論をよく見かけます。一番ホットなのはアクションリサーチですよね。アクションリサーチって要するに現場を改善していくプロセス全体を研究としてみなそうみたいな取り組みで,これを推進しているwhiteheadという人はpractitione

    「できない」人の指導が受けたい - 諏訪耕平の研究メモ
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