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ブックマーク / magazine-k.jp (4)

  • カネよりも自分が大事なんて言わせない

    芳明の『カネと文学――日近代文学の経済史』(新潮選書)は、経済=市場の観点、具体的に言えば原稿料の増減や出版景気の変化などを例にして、日近代文学者とカネの関係を歴史的に辿ることで、教科書的な文学史からは見えなかった、生々しい文学者像を新たに浮かび上がらせている。 大正期のベストセラー作家であった有島武郎が晩年に個人雑誌を立ち上げ、その直後に美人記者と情死したのは、文学作品と恋愛というどちらも神聖な対象を商業のルールで汚すことを拒否した潔癖思想の現れではなかったのか。従来、純文学と通俗小説の綜合の試みと理解されていた横光利一の「純粋小説論」は、原稿料減少の苦境な時代にあって文学で飯をうためのライフスタイル転換の試みだったのではないか。経済や市場という新しい視角を介入させることで、既知の文学史の風景が一転する。 カネなんて要らない? 『カネと文学』は今年(2013年)の3月に刊行され

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    htktyo 2013/06/18
  • 在野研究の仕方――「しか(た)ない」?

    在野研究者を名乗り始めてから二年が過ぎた。「在野」というのは大学機関に属していないというくらいの意味合いであるが、大学院博士前期課程(修士課程)を修了以後、私は近代文学を専門とする自分の研究成果はweb上、つまり電子書籍販売サイト「パブー」(図版上)やインディペンデント批評サイト「En-Soph」(図版下)で全て公開してきた。 このことを人に説明すると決まっていつも「どうして大学に所属しないんですか?」と尋ねられる。実のところ、私はずっとその問いに答えあぐねていた。自分自身にとってその一連の行為が不自然とは感じられなかったから、そして、どうして自分が不自然と感じられないのかについて言語化することができなかったからだ。しかし、今回、二年間の研究成果を一冊のとしてまとめるなかで、自らを振り返り、それに付随して次第に在野で生きようと思った過去の自分を昔よりもずっと客観視できるように思えてきた。

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    htktyo 2013/04/04
  • 第3回 本で埋め尽くされた書斎をどうするか

    をテーマにしたエッセイや随筆、棚を紹介するを漁ってみると、僕が知らないだけで、実は「床抜け」はそんなに珍しいことではなく、起こりうるということを思い知った。それどころか床が抜けなくても、が大量にあるというだけで十分大変だということも、嫌というほどに理解した。 との格闘 その中から故・草森紳一のケースを紹介してみたい。著書の『随筆 が崩れる』(文春新書)には次のようなことが書いてあった。 ドドッと、の崩れる音がする。首をすくめると、またドドッと崩れる音。一ヶ所が崩れると、あちこち連鎖反応してぶつかり合い、積んであるが四散する。と、またドドッ。耳を塞ぎたくなる。あいつら、俺をあざ笑っているな、と思う。こいつは、また元へ戻すのに骨だぞ、と顔をしかめ、首をふる。 これは草森さんが風呂に入ろうとしての山が崩れ、浴室に閉じ込められたときの様子である。彼の住む2DKの空間の中でまったく

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    htktyo 2012/07/12
  • TIBF2009 大谷和利氏講演録

    テクノロジーライターの大谷和利です。早速プレゼンテーションを始めていきたいとおもいます。 ここにLIFEという字が出ております。人生ということですね。むかし僕が「地獄の黙示録」という映画を見たときに非常に面白い言葉があったのです。それは何かというと、「人生の中に何かが隠されている。それは、もしもという言葉である」というフレーズでした。まさに人生というのはもしも何があったら、その連続だとおもいます。 それと同じようにiPhoneというのは、電話であってインターネットデバイスですが、これを見つめていたときにiPhoneというのは「i(アイ)」「hon()」、自分のではないかとおもいつきました。実際に今日のテーマとしてはそのiPhoneが、「i(アイ)」「hon()」になっていくというようなお話をしたいとおもいます。まさに電子書籍のパラダイムシフトということがいえるでしょう。 私はテクノロ

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    htktyo 2009/10/21
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