日本史の教科書に地図があって「誰それの支配領域」みたいに色分けされていると、その範囲はその誰それが独占的に支配する領地なんだ、と思いがちですけど。実際には、時代が古いほどそうではなく、どの地域にもいろんな勢力が入れ子のように影響力を及ぼしていたんです。 全国に散らばった大貴族や大寺社の荘園というのは、鎌倉時代、室町時代になっても存続し続けており、守護とか地頭とかいった現地の武士たちの影響、圧迫を受けたり妥協したりしながら、シマのように存在し続けていたのです。 そうした状況が整理されてある意味スッキリしてきたのは、戦国時代になってからです。「戦国大名」というのは、武力を背景に、自分の領国を「一円支配」する者、つまり自国の中に京都の紐付きの飛び地が存在することは基本的に認めない、すべてを自分の支配下に置いて、統一した分国法、度量衡で統治する、という体制を作ります。つまり、事実上の独立国のように