慰安婦について「強制連行」という言葉を使うのは、誤解のもとだ。強制連行という言葉は、朴慶植『朝鮮人強制連行の記録』(1965)で初めて使われた造語で、公式の用語ではない。戦時に政府が労働者を動員する方法は募集か徴用であり、後者は拒否すると罰則があったので、これを強制連行と呼んだものと思われるが、これは朝鮮人に限った話ではない。 戦時中は、国家総動員法にもとづいて国民徴用令が出され、616万人が軍需工場などに徴用されたが、厚生省によれば、そのうち朝鮮人はわずか245人(終戦時)だった。これは戦時労務動員計画で「半島人の徴用は避けること」という方針が出され、官斡旋による募集という形式がとられたことによる。これは朝鮮人ブローカーが募集して国内の炭鉱などに連れて行くのだが、その募集や輸送は政府が管理していた。 ただ募集は誇大広告が多く、特に炭鉱では労働条件が悪いために脱走する労働者が絶えなかった。