ユリウス2世(ユリウス2せい、Julius Ⅱ、1443年12月5日 - 1513年2月21日)は、16世紀初めのローマ教皇(在位:1503年 - 1513年)。本名はジュリアーノ・デッラ・ローヴェレ(Giuliano della Rovere)。芸術を愛好し、多くの芸術家を支援したことでローマにルネサンス芸術の最盛期をもたらしたが、その治世において教皇領とイタリアから外国の影響を排除しようとした奮闘が、戦争好きの政治屋教皇というレッテルを彼にもたらすことになった。 生涯[編集] 急速な出世[編集] アルビッソラの貧しい家で育ったローヴェレは教皇シクストゥス4世(フランシスコ会 コンベンツァル派)の甥にあたる。その叔父の意向を受けてローヴェレはフランシスコ会(コンベンツァル派)の修道院に学び、自然科学の勉強のためにラペルーズの修道院に送られることになった。しかし、彼はそれを拒否し、フランシ
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