DeNAのwelq騒動で唯一得をしたのは会社を売却した村田マリだ。税金の安いシンガポールに移住し、いざ問題が起きても体調不良を理由に表舞台には顔を出さない。 DeNAの守安功社長と南場智子会長は謝罪会見で真摯に対応した。しかし、事業責任者である村田マリ氏が出てこないのはおかしい。 村田マリ氏は買収を機にDeNAの執行役員に就任し、あわせてDeNAのキュレーションメディアを統括する立場として「メディア統括部長 兼 Palette事業推進統括部長」という肩書を名乗っている。事業の実態に最も詳しい村田マリ氏が会見に姿を表さなかったのはおかしくはないだろうか。 守安社長は第三者を入れた調査委員会を設置し、不祥事が起きた原因を調べると話した。そんなことをしなくても村田マリ氏に説明させれば一発で分かったのに…。そもそもDeNAにiemoとMERYを買収するよう持ちかけ、Paletteの構想を推し進める
アーネンエルベのエンブレム アーネンエルベ(Ahnenerbe、「祖先の遺産」の意)は、ナチス・ドイツに存在した公的研究機関。アーリア人種の人種学や歴史学の研究を行うことを目的として、親衛隊全国指導者であったハインリヒ・ヒムラーらによって1935年に設立された。先史時代や神話時代の「北方人種」が世界を支配していたことを証明するための様々な研究活動を行っていた。 先史時代についての講義を行うアレクサンダー・ラングスドルフ(de)教授(後ろ)とLSSAH隊員 1929年にヒムラーはまだ規模が小さかった親衛隊の全国指導者に任じられた。彼の下で親衛隊は規模を急拡大させ、1929年には300人だった隊員数は1931年には1万人を超えた。 ある程度規模が育ってきたことで、ヒムラーは親衛隊員をもっと厳しく選抜して長身・金髪・碧眼の北方人種によるエリート集団にすることを目指すようになった。そのため1931
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