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仏教に関するichbinのブックマーク (5)

  • 似ている?それとも違う?「仏教と哲学」に学ぶ5冊! | 彼岸寺

    今回のテーマは「仏教と哲学」です。昨今、お寺を会場にした哲学の勉強会やトークイベントが、しばしば開催されているようです。おそらく、仏教と哲学の近さが意識されているからでしょう。 どう近いのでしょうか? 人間や世界の質について、じっくりと考える点で近いのです。もっとも、哲学の目的が、その考えを徹底して突き詰めていく点にあるのに対し、仏教の場合は、あくまでもその考えが「覚り」や「救い」の役に立つか、といった点にあるのは、大きな違いかとも思います。 とはいえ、人類がこの地球上で行っている実に多様な営みのなかでは、両者はまるで「家族」のように類似した活動であると言えます。そして、その類似性について自覚的な人たちの書くは、仏教がこれまで蓄積してきた、「じっくり考える」テクニックの現代的な可能性を、鮮やかに示してくれています。そうしたを、いくつかご紹介させていただきます。 ①『超越と実存: 「無

    似ている?それとも違う?「仏教と哲学」に学ぶ5冊! | 彼岸寺
  • 宗教性捨てた瞑想 「悟り」忘れた自我の道具に - 社説:中外日報

    2017年10月18日付 中外日報(社説) 「マインドフルネス」が流行っている。これは要するに坐禅から宗教性を取り除いた瞑想で、精神安定上効果があるという。 宗教的な生き方から宗教性を除去して一般化した例は過去にもある。セーレン・キルケゴールは市民的文化となっていた当時のキリスト教を批判して、キリスト者は単独者として自覚的に信仰へと決断し、真理の証人として苦難を負って生きるものだと主張した。市民的一般性に埋没しない自覚的な主体性を説いたわけである。 20世紀になって「単独者の主体的決断」はいわゆる実存主義の源流の一つとなり、「汝自身であれ」という合言葉を生んだ。やがて実存主義はキリスト教性を失って哲学的となり、さらに無神論的にもなって、普遍的人間性を選び取る方向と「例外者」となる方向とに分かれ、さらに一般化して生き方の指針にもなった。 戦後の日でも「主体性」「自分を見つけよ」「自分自身と

    宗教性捨てた瞑想 「悟り」忘れた自我の道具に - 社説:中外日報
    ichbin
    ichbin 2017/10/21
    硬派な社説や。#マインドフルネス
  • Bad Karma: Community Objects to “Opportunism” of Buddhism on the Blockchain

  • 番外:「揺らぎ」の要 - 恐山あれこれ日記

    このところ騒動になっているエキセントリックな幼稚園の一件で、急に脚光を浴びることになったのが「教育勅語」です。あれを園児が「合唱」する様子は、確かに見ていてあまり気持ちの良いものではありませんでした。 しかし、「合唱」はともかく、「教育勅語」の何がいけないのかと言われれば、必ずしも即答できないでしょう。 だから、これを「経典」や「聖書」なみに神聖視する方々は、いつの時代にも通じる「イイこと」がたくさん書いてある「立派な文書」と主張するわけです。 実際「イイこと」が書いてあります。「父母ニ孝二兄弟二友二」から「国憲ヲ重シ国法二遵ヒ」辺りまでは、「何が悪い」と言われれば反論が難しいでしょう。 私が思うに、問題は「イイこと」にあるのではなく、「イイこと」が埋め込まれている文脈にあります。この「イイこと」は「皇祖皇宗」と「国体」に規定され、そこに正当性の根拠を持つのです。 つまり、ここで書かれてい

    番外:「揺らぎ」の要 - 恐山あれこれ日記
    ichbin
    ichbin 2017/03/16
    #教育勅語 #森友学園
  • 『春と修羅』から見えてくるシン・ゴジラの核心

    日経ビジネスオンラインでは、各界のキーパーソンや人気連載陣に「シン・ゴジラ」を読み解いてもらうキャンペーン「「シン・ゴジラ」、私はこう読む」を展開しています。※この記事には映画「シン・ゴジラ」の内容に関する記述が含まれています。 そのシーンを振り返ろう。東京湾を無人で漂流するプレジャーボートに海上保安庁の職員が乗り込んでいく。その職員が撮影しているビデオカメラの映像が映し出されているという体裁だ(上図)。船の名は「GLORY MARU」。揃えて置かれたが残されており、テーブルの上には折鶴と詩集『春と修羅』が置かれている。船内の様子を映した数秒後、撮影している職員の悲鳴と衝撃とともに映像は途切れる――。 映像を途切れさせた衝撃は、ゴジラ出現のそれであること。そして、消えた船の主が、ゴジラ誕生に深い関わりがある元城南大学統合生物学教授の牧悟郎氏であること。物語が進行していく中で、この冒頭の映

    『春と修羅』から見えてくるシン・ゴジラの核心
    ichbin
    ichbin 2016/09/08
    この論考でシン・ゴジラと仏教が接続された。「自分」と世界の現象性を語るのは、賢治の文脈なら明らかに仏教と関係する。
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