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2019年1月30日のブックマーク (2件)

  • 追悼・橋本治 - 内田樹の研究室

    治さんが亡くなった。 今日(2019年1月29日)の15時9分だと伺った。 私にとっては20代からのひさしい「アイドル」だった。最初に読んだのは『桃尻娘』で、「こんなに自由に書くことができるのか」と驚嘆して、それからむさぼるように、橋さんのあらゆるを読み漁った。 何年か前についに念願かなってお会いすることができて、『橋治と内田樹』という対談を出すという幸運に恵まれた。 その後、『私家版・ユダヤ文化論』で小林秀雄賞を受賞したときには、橋さんが選考委員を代表して、「授賞の理由」を語ってくれた。 20代からのあこがれの人が、僕の作品を解説してくれたのである。 謝辞のためにマイクの前に立ったときに「いま、橋治さんが、授賞の理由についてお話ししてくださいましたけれど、これはアマチュアバンドが自費出版で出したCDが音楽賞をもらったときにジョン・レノンがその曲のコード進行について解説して

    ichbin
    ichbin 2019/01/30
    「自分の知らないことを自分自身に向かって説明することに長けた書き手」
  • 橋本治さんの訃報に寄せて - 偉愚庵亭憮録

    治さんが亡くなりました。 https://this.kiji.is/462906163407635553 悲しい知らせです。 橋治さんは、ごく若かった時期から、ずっと変わらずに敬愛してきた文筆家でした。 追悼と感謝の意味をこめて、2015年の10月に書いた原稿をハードディスクから召喚してみなさんのお目にかけることにします。 内容は、橋治さんが書き下ろした新作義太夫(「源氏物語 玉鬘」旅路の段より長谷寺の段)をご紹介するための文章で、2015年10月11日「花やぐらの会」《鶴沢寛也(女流義太夫三味線)さん主催の女流義太夫のイベント(@紀尾井小ホール)》のパンフレットに掲載されたものです。 芝居を観るのはうじうじした人間で、自分は、竹を割ったような性格なのだから、そういうものとは無縁なのだと、ごく若い頃から、ずっと、そう思っていた。 当は違う。私は、雨が降ると、いつまでも窓の外を眺め

    橋本治さんの訃報に寄せて - 偉愚庵亭憮録
    ichbin
    ichbin 2019/01/30
    「うじうじしない人間は、人間じゃないぞ」。