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2019年2月20日のブックマーク (3件)

  • 安楽死が楽な死だってなんでわかるの?

    だれか経験したことある人いる? 追記 知らないうちに伸びてた この日記はもう自分の手の届かないところまで行ってしまった ですので、もう大喜利でも八つ当たりでもバカにでもなんでもしてください はてブのコメントザーッと読んでたらなんだか々としてきました 皆さんの元にも安らかな死が訪れますように。

    安楽死が楽な死だってなんでわかるの?
    ichbin
    ichbin 2019/02/20
    苦悶死が苦しい死となぜ分かるかといえば、見た目で推測しているだけだから実際は違うかもしれない。安楽死もそれと同じでありうる。
  • 「何ものにもなれなかった」と嘆く中高年に「真剣に何かになろうとしたか」「なにもせず何かになるのは図々しくないか」とオーバーキルする方法の勧めに賛否

    フミコ・フミオ @Delete_All 原則、ヤクルトスワローズが勝ってから負けるまで限定でつぶやく希望と絶望のアカウント。2021年12/16『神・文章術』発売。amazon.co.jp/dp/4046055456/アイコンはでんでん様(www11.big.or.jp/~denden/)より。 delete-all.hatenablog.com フミコ・フミオ @Delete_All 「何ものにもなれなかった」と人生を評価する中高年の人に、「真剣に何かになろうとしたのですか?」と質問すると重い沈黙が訪れるのでオススメいたします。「なにもせずに何かになろうとするのは少々図々しくはありませんか」と続けると、さらに効果的。 2019-02-19 18:24:44

    「何ものにもなれなかった」と嘆く中高年に「真剣に何かになろうとしたか」「なにもせず何かになるのは図々しくないか」とオーバーキルする方法の勧めに賛否
    ichbin
    ichbin 2019/02/20
    生まれつき何者かであってしまった人が「何者でもないもの」になるのは更に至難(自分のことでない)。
  • 誰が「自分」をゆるすのか|ニー仏

    声をかけてもらって、なんとなく話をしていたらそういう流れになったので、真っ昼間のニートタイムに、さむさんとツイキャスをしてしまった。話題はいろいろだが、とくに印象に残っているのはキリスト教に関する話。キリスト教には日人にとって厳しいところが様々にあるけれども、「原罪」という概念はやはりスゴイのではないか。全てとは言わないが、それでも一定の数の人たちは、自身の存在に不確かさというか、ある種の「うしろめたさ」、あるいは根拠の欠如感を抱えていて、それに「原罪」という名前を人類一律の罪として与えた上で、神様がそれを赦してしまうというシステムの凄みというもの。そして、それを必要としている人は、現代日においてもおそらくは少なくないだろうとか、そんな話。 (※録画はおそらく、来月の「おまけ」に入ります) 「自分で自分を肯定する」とか、「自分で自分をゆるす」とか、そういう話はどこでも普通に語られている

    誰が「自分」をゆるすのか|ニー仏
    ichbin
    ichbin 2019/02/20
    自分で自分を肯定しようとしても、実態としては他人の価値観を援用して肯定しているにすぎないのではと心配になることは多い。他人の価値観に乗るとまずいと思う時に「人でないもの」からの肯定が視野に入ってくる。