【読売新聞】 戦争の記憶を伝える資料を、誰が、どう守っていくのか。松山市で毎夏「平和展」を開いてきた「松山市平和資料館をつくる市民の会」が、収集した戦争関連資料約500点の収蔵場所の確保に苦慮している。会員の高齢化も進み、重い資料を
文章を書く時に時々AIを使う。Wikipedia で調べてもいいのだけれど、限定的な問いについてはWikipedia を上からスクロールするより、AIに訊く方が早い。 先日、原稿を書いている時に、「無知とは、知識が欠如している状態ではなく、ジャンクな知識が脳を満たしているせいで、新しい情報が入力されなくなっている状態のことだ」というロラン・バルトの言葉を引用したくなった。どこかで読んだはずなのだけれど、出典が思い出せない。本棚を探してみたが、書架はほぼカオス化しており、バルトの本が埋まっているあたりは足の踏み場もない。 面倒になって、AIに「バルトがそんなことを書いているはずだけれど、出典を教えて」と訊いてみた。AIはしばらく思考した後に、「内田樹の書物にその引用なるものが出て来ているが、出典は不明。詳細を知りたければ、内田樹の本を読め」という答えが戻ってきた。なんと。本が見つからないので
高橋真梨子の〈仕事〉論について ― 歌手は気持ちを込めて歌ってはいけない(解説Podcast付き) 2026年8月11日 13:12 TV・芸能・スポーツ ,日常 高橋真梨子が『桃色吐息』(1984)について、年齢を重ねる毎に解釈が変わるのではと大泉洋に問われ、一息おいて「いえ、変わらない。同じように歌うことにおいて、人々に色々な思いを持ってもらうことが大切」と。歌は、歌手の思い入れを表現してはいけない、と。歌手は歌の伝達役でしかない。この「でしかない」は欠如や限定ではなく、彼女にとって一つの豊かさなのだ。 彼女は、自分を女手一つで育てた母との思い出の歌(「フレンズ」)を歌うときでも決して泣かない。自分の思い入れを入れたらプロ(仕事)ではないと。歌の意味が伝わらないと。 〈作品〉が同じでありつづけることこそ、人々の色々な想いを受け入れることができる。歌は表現なのではなくて、仕事だ、と。大し
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