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2021年10月28日のブックマーク (5件)

  • 【後編】開発内製化の5年の軌跡。「消耗戦の悪魔のループ」をどう乗り越えたのか - エス・エム・エス エンジニア テックブログ

    エンジニア組織の内製化を進めるには、事業構造、事業戦略、企業文化、人材などの所与の条件を踏まえて、最適な方法を実践することが求められる非常に難易度の高い取り組みです。エス・エム・エスは2015年よりエンジニア組織の内製化に取り組んできました。そのプロセスとそこで得られた反省や学びを技術責任者の田辺に聞いたインタビューの後編です。 tech.bm-sms.co.jp 前編では、2015年の入社から1年半くらいの間にやったことを話しました。リサーチから始めて会社の特性を理解しにいくということと、小さく始めて検証をするというスタートをきり、小さな新規サービスの立ち上げに上流からかかわって、アジャイルな開発がうまくいったということでした。 エス・エム・エスは当時40近い数のサービスを展開していたのですが、最初の1年半で内製化を進める主要なサービスと注力をせず終了するサービスや CMS 化で開発能力

    【後編】開発内製化の5年の軌跡。「消耗戦の悪魔のループ」をどう乗り越えたのか - エス・エム・エス エンジニア テックブログ
  • 数学における「自明」の意味|さのたけと

    一昨日、数学における「自明」の意味について ツイート したところ一定の反響がありました。 数学の教科書において「自明」「明らか」といった言葉は頻出でありながら、文でその意味がちゃんと説明されることは稀で、結果としてそれらの言葉を 誤解 している人や、それらの言葉が使われることに 圧力・反感 を感じる人も一定の割合でいるようです。 この記事では、その言葉の意味を説明すると共に、なぜそれらの言葉が数学において必要であるのかを解説してみたいと思います。 背景三日前、 数学系 YouTuber の数学野郎さんが 「ひろゆきに影響された数学系YouTuber」という(とても面白い)動画を公開していました。 彼はその中で「√2 が無理数であることを証明するには、まず √2 が実数であることを示さなければならない」と主張していました。それに対して「√2 が実数であることは自明であって欲しい」とコメント

    数学における「自明」の意味|さのたけと
  • 選挙に行かなきゃ変わらないのはわかってる、けどもう疲れた。

    anond:20211018110917 凄い。 この記事で書かれてることは、正しい/正しくないで言えば正しくないことだらけだ。 なのに自分には最初から最後まで妙に共感してしまうことばかりなんだ。 例えばクラスで数チームに分かれて毎日リレー勝負をさせてみたとする。 チーム分けで何故か足が遅い者が多くなってしまったBチームは何回走っても最下位だ。 Bチームに対し周囲は「毎日走り込めばいつか勝てるようになるよ」等と言う。 それは決して間違いではないのだが、当のBチームは走り込むうちに 「そもそも最初からここまで負け濃厚の勝負にどうしてそこまで頑張らなきゃならないんだ」なんて思う。 性根が腐りきってて負け癖がついてる自分なんかは 「もう毎日負けるのは別にいいから、リレーに使う時間を最小限にして他の楽しい事しよう」なんて思ってしまう。 厳密には全然違うことだとわかってはいるが、選挙に行かない若者の

    選挙に行かなきゃ変わらないのはわかってる、けどもう疲れた。
  • 中国と日本で「人」の字が違う?

    変なモノ好きで、比較文化にこだわる2人組(1号&2号)旅行ライターユニット。中国の面白可笑しいものばかりを集めてにした「 中国の変-現代中国路上考現学 」(バジリコ刊)が発売中。 前の記事:外国でよくみるすみっこたち > 個人サイト 旅ライターユニット、ライスマウンテンのページ ホが木になる謎を探る 関心を持ったのは、「人」の字と関係ないところがきっかけだった。 日にある中国料理屋などで、よくホの字が木になっているのだ。 ツボと書きたかったのだが、ツ木゜になっている。 ずっと疑問に思っていたのだが、ある日たまたま中国フォントを見たときに、あるフォントで木の字が「ホ」と表示されていることに気づいた。 つまりホが木になったという僕の解釈は違っていて、中国人にとってはホという形もまた木なので、単に書き手が区別していないというのが真相ではないかと思った。 「ホ」もまた「木」なのだ。 人の字が

    中国と日本で「人」の字が違う?
  • iPhoneがなぜ日本人に受け入れられたか

    最近増田でホットなAndroidiPhoneの罵り合い。楽しいですね。 なんとなくこの業界に関わってきたので、どうして日でこんなにiPhoneが支持されるようになったのか、ちょっと書いてみたいと思う。ちなみに俺は今は亡きS社(今は完全に消滅して、かつての社は市役所になっている)でPHS(みんな覚えてる?)の開発に携わったのが最初。その後は出向で三浦半島の先の方で怒りのデスロードみたいな経験をしたり転職して某関西のメーカーでAndroidやったり。当時一緒にやってた人たちの一部は京セラに行ったけど、大体はどこに行ったか知らない。とにかく日の一大産業であった携帯電話や基地局の生産や開発に一通り関わってきて、その衰退とともに生きてきました。 で、よく知られているように日の携帯電話は1999年のiモードの導入から劇的に進歩し、ネットが見れるだけでなく、カメラも付きラジオも聞け非接触決済も

    iPhoneがなぜ日本人に受け入れられたか