オーベルジーヌ実食レポ 食べ物の鼻塩塩(未だに通じるのかな) オーベルジーヌというカレーをご存知だろうか 都内にあるデリバリー専門のカレー屋で、 ロケ弁などで大人気の本格欧風カレーが楽しめるらしい いいな〜 いいな〜オブザイヤー 都内の奴らはこんな良いモン食ってんのか 許せねえよ………
29歳の独身女性です。1つ年下の弟に結婚を考えている女性がいるのですが、彼女の父親が多額の借金を抱え、10年近く失踪していることがわかりました。(彼女のご両親は既に離婚していますが、姓は父親の姓のままになっているとのこと) 彼女やその母親の話ではどうも要領を得ないというか、辻褄の合わない部分が多く、家族・両親誰も居場所を知らないそうなので、うちの両親が 民間調査所に調査を依頼し、幸い所在はわかりました。「職権消除」で住民票が消失しており、現在はどなたかの家に住まわせてもらっている状態だです。所在を探し当てるだけでも大変だったそうなので、現在も負債が残っているのかどうかはまだ不明です。 当然ながら両親はこの結婚に猛反対しています。彼女の容姿や学歴、職業等を理由に反対しているのであれば、私も親を諌めるのですが、彼女の背景を考えると両親の反対もやむなしと思いますし、何より弟が「どうしてわかってく
1 :1 ◆K7MhN7lAwc []:2007/12/24(月) 02:57:12 ID:qi5r14ns スレタイどおりです。私は親におしゃれを禁止されて育ちました。 買い物に行かせてもらえるのは年に一回程度。 両親ともセンスがないので子供の私に着せる服のコーディネートは メチャクチャ。高校生になり自分でバイトして新しい服を買うと目 ざとくチェックされ「それはどこで買った、いくらしたんだ。高い 服は買うな。無駄遣いはするな。金は貯金しろ。」と毎回言われ ました。24歳になるまで親元にいましたが、その間服は自由に買う ことができませんでした。 もし親の言うことを聞かずに服を買って怒らせると飼っている犬が 蹴飛ばされたり叩かれたりといじめられるので逆らうことはできま せんでした。24で家を出ていま31歳(♀です)。 数年前に犬が寿命で死んだので両親とは絶縁しました。 毒親に育てられてその後
毒になる親という本を読んで、その存在を知りました。 それ以来、どうにかいい状況になるように、その方法(感情のやりとりをしないなど)で対応しています。 が、完璧には行かず、どうしてもその泥沼にひきずりこまれたり、気持ちが回復するまでに時間がかかったりしながら生きてます。 本当に疲れます。 毒になる親を持った方、どうしてますか? うまく、やっていますか? うちの親は典型的な、子どもの正常な自己確立や自我の確立を阻む親です。 いったい何が目的なのか・・。 親自身もそうやって育てられたようなので無意識にやっているようですが、何をやってもほめられても認められても人一倍自信が持てません。 ようやく自分で自分を認められても、親に会うと逆戻り。 気持ちが回復するまで2~3日。 その繰り返しで。 皆さんはどのように戦ってますか? 教えてください。
GoTheDistanceではほとんど結婚・恋愛ネタは書かないんだけど、まぁたまには。失敗事例を共有することはいいことなので。 離婚して1年して思うこと この人と僕とは理由は違うけど、まぁ同じく離婚経験者として一言申し上げておく。 スキンシップがなくなると、必然的に会話も減り、相手の考えていることがわからなくなった。そうして3年くらいかけて、ゆっくりとゆっくりと他人に戻っていった。 離婚して1年して思うこと すごくわかる。特に家庭内や異性におけるコミュニケーションは言葉よりもスキンシップの方が大切です。スキンシップの減少⇒会話の減少⇒共有できる時間の減少⇒相互理解の減少⇒別れというコースをこの人も辿っただろうし、僕も辿った。肌と肌が触れ合うことではじめて伝わってくる情というものがあって、それは決して言葉では埋められないもの。スキンシップがめんどくさくなったら、もう惚れていないんだよ。僕はセ
http://anond.hatelabo.jp/20080419003357 あんまりにもシチュエーションがそっくりなので笑ってしまった。 ただし、わたしは二股をされた側。 彼とは1年ほど前、北関東の支社から転勤してきたばかりの頃に飲み会で知り合った。 ひどく酔っていたのか、挨拶をかわしてすぐに隣に座ったわたしの手の甲を無邪気な顔をしながらそっとなで、手を握りしめてきた。正直その積極的すぎ&唐突なボディタッチには驚かされたのだけど、彼の見た目がかなり好みだった上に物静かなものごしが気に入ったので、そのまま飲み会が終わるまでずっとテーブルの下でいちゃいちゃと手を握り合ったり、ひざに触れたりし合った。飲み会が終わった後はみんなが見ている前で手をつないで、「あ、お前らなんで手ぇつないでんの!?」などとはやし立てられながら駅まで帰った。 翌週、「二人きりで飲みに行かない?」というお誘いがあった。
私は結婚式をあげなかった。理由は別にしたくなかったのと金がなかったのから。だと思ってたんだけど、今日読んだ結婚式のブログに「お父さんと一緒に中庭に出てテントの入口まで歩く」とあってあれ、もしかしてホントの理由ってこれじゃないのか、と思った。 うちは幼い頃親が離婚して、その上父親は養育費等すべてバックレ。なんとなく、男に養われ愛され大切にされ守られるということを当然のこととして受け取ってきた女の子とは、違って、どこか自分を大切にできないし、いまも男が怖い。高収入の男をゲットして専業主婦なんて夢にも思い描けなかった。奢ってもらう事なんて一度もなかった。高価なプレゼントも貰ったことはない。夫は低収入だしフリーの仕事だけど、幸運にも私を大事にしてくれる。2人で稼いでやっと生活を営んでいる。それはとても幸せなのに、たまに、こういう機会があると不安とか後悔がドバっと湧き出してくる。義母は昔、離婚しそう
更新終了。筆者が救急医療の最前線に従事してた当時、その現場で感じたことを綴っています。記事はこのまま残しておきます。 ↓ポチッとランキングにご協力を m(_ _)m 前エントリーで、病気・死は悪か?という問いかけをしました。 ハッスル様、HDs様、じゅん様、 フィッシュ様のコメントを拝見させていただきましたが、それぞれに貴重なご意見だと思いました。その中で、一点引用をさせていただきます。 フィッシュ様のコメントより 生きること、病むこと、老いること、そして死ぬことはどういうことなのか考えを深めていくことで、必要な医療とは何かの答えがみえてくるのでしょうか。得てして、人は、自分が不治の病にかかったとわかったときに初めて、このことを考える人が多いのではないでしょうか? そして、このときに、多くの人は痛みを感じます。 医師は、その痛みを感じている患者と接する以上、それにどんなものがあるのか知って
anond.hatelabo.jp/20070920144403 昨年の春に勤めていた会社を自己都合により退社しました。 まぁ簡単に言うと、単に事務所の女の先輩が苦手で息苦しかったので辞めました。 大学を卒業してから初めて勤めた会社だったので、絶対に3年は勤めようと思い、 就職してから、去年の3月までは勤めましたよ。5月からの中途入社でしたが。 あ、丸3年じゃないですね。 私は事務所のお局が本当に苦手で、昼休みにロッカールームで一緒に過ごすのでさえ、息苦しさを感じ、 ご飯を食べ終わった後は駐車場の車の中で息を潜めながら、AMラジオを聴いているか、 近所のコンビニや書店で暇を潰していました。 うら若き22ー25歳の女性が、身を隠すようにしてお昼休みが終わるのを待っている訳です。 都会の…東京とかの女性社員なんかは、お昼は会社の近くにあるパスタ屋さんに行って 合コンの話や趣味の話で盛り上がるの
長文です<m(__)m>ガス抜きで書く。 たまにたまってくるから。 27歳位の頃に子宮筋腫になった。 劇団の団長なんかをやっていた頃で、粘膜下筋腫でほぼ毎日大量出血。 何度か行った婦人科では「異常ありません」で放置していたら 極度の貧血に。具合が悪いなんて誰にも言えないし、食べても食べても 太れなかった。ひと月の内、出血がないのが一週間位になったので あまりにおかしいと当時の師匠に相談したら、病院を紹介され、筋腫発見! 「中から見てなかったでしょう?」だって。 そう・・腹の上からしかエコーかけてくれなかった。二か所の病院行ったのに。 ま、急にでっかくなったのかもしれないし、これは手術でとれたからOK。 ・・・・・あれで懲りたはずだった。 無理をしてはならんのだなあと。 なのに・・・ 30代でまたなってしまった。今度は多発性筋腫。 粘膜下筋腫を発症した時のような外科的処置は難しい。 だって、
体に寿命があるように、心にも寿命がある。 心の寿命が切れた人が自殺するのさ。 だから、咎めちゃいけないような気がするのよ。 本当は、死んでほしくないんだけど。 自殺なんてしてほしくないんだけど。 それも天寿なんだと思うと、複雑な気分になる。 心の延命治療をしてください。
まず何らかのきっかけやお互いの好奇心でセックスをして、そこで情が湧いて恋心のようなものが芽生えるということが大概のわたくしの恋愛パターン。いわゆる「カラダから始まる恋」ってヤツでしょうか。だから「この人のこと、好きだなぁ」と思い始める時には既にセックスはしているのであった。 カラダから始まる恋は最初から触れ合うことに距離がないから躊躇うこともなく手が伸びる、口が近づく、肌の感触を知っている。 だから、そういうパターンじゃない恋に落ちた時に、とてもとてももどかしい。触れたことのない人に触れたいと思って、そのきっかけを探すことがどうにもこうにも難しい。そう思うと「カラダから始まる恋」というヤツはもしかしてすごく楽なんじゃねぇか。もしかしたら私しゃ、随分と楽なとこに逃げ込んでいたのかしら。 好きなのに、触れたことが無くて、とても触れたいと思って切々となることがもどかしい。目の前にいるのに、私はあ
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