昨晩はちょっとTwitter。実際に自分のつぶやきモードになると、もしかすると誰にも通じてないんじゃないかという感じもする。現実にはたいして面白くもないつぶやきだということだろうし、Twitterというものはそういうもんだというのもあるのだろう。でも、自分が本当に思うことを話したとしても、たぶん、誰も聞いてはくれないんだろうなという思いは子供の頃からずっとある。25歳のころ、その年齢の青年にありがちな失恋や挫折でカウンセリングに通っていたことがある。この話は以前書いたと思う。カウンセリングよりカウンセラーがすべてだった。Wさんというおばさん。今思うと今の私より若い。ふともうお婆ちゃんなんだと思ってじんとくるものがある。彼女は、私の話を一生懸命聞いてくれた。私も一生懸命話した。私はよく曖昧に語ると言われるが、自分では曖昧にも厳格にも語れる。問題は厳格に語ったとき、その概念のマクロ性を追ってく