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2010年3月29日のブックマーク (8件)

  • 「化鳥・きぬぎぬ川」解説 (ですぺら掲示板2.0)

    明治六年(一八七三年)十一月四日、金沢の浅野川の左岸、下新町(現在の尾張町)二十三番地に生れた泉鏡花は、三百篇にのぼる小説・戯曲などを書き残して、昭和十四年九月六十六歳で世を去った。 名を泉鏡太郎といい、鏡花は号、すなわちペンネームであった。当時は名のほかに風流な別名をつけるのが好まれ、文筆家や画家はこぞって雅号を用いている。例えば鴎外こと林太郎、漱石こと金之助といった類である。 この鏡花との筆名は、明治二十四年の末、尾崎紅葉に弟子入りしたときに、師から与えられたものであり、中国の詩論にある「鏡花水月」にちなんでいる。「鏡花水月」は「鏡中花影」ともいい、鏡に映った花と水に映った月の意で、目には見えても手に取ることの叶わないものの譬えである。 「芸術は予が最良の仕事也」と信じ、「作物其物の中に人を遊離させたい」と願い、この感知はできても説明のできない幻に、言葉によって肉薄しようとしたのが

  • 「消え去ったアルベルチーヌ」 (ですぺら掲示板2.0)

    先週の金曜日、駒井さんが来店。高遠弘美さんのプルースト「消え去ったアルベルチーヌ」の談議に終始した。のっけから細かいはなしで恐縮だが、グラッセ版をテキストに用いたため、著作権を取得しての翻訳となった。こういう場合はフランス側と翻訳者とのあいだで印税は折半となる。にもかかわらず、翻訳者に支払われる印税は八パーセント。フランス側へ支払われる印税は光文社持ちとなった。この一点をもってしても、彼の書にかかわる姿勢のおよそが察知される。 駒井さんは云う。ウーロン茶やトロピカルなど、酎ハイが持て囃される世の中にあって、かような生一こそが私の造りたかった書物である。また、当企画を通すにいかばかりの苦労があったか、最終校では丸二日の徹夜を余儀なくされた等々、はなしは深更を通り過ぎて朝明けにおよんだ。 彼が手掛ける「光文社古典新訳文庫」は売れている。ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」は通算で八十万

    inmymemory
    inmymemory 2010/03/29
    "プルーストの文体は流麗である。さればこそ、文体に酔うことが可能な作品なのである。にもかかわらず、酔わせるプルーストはどこにもなかった"
  • 「長い季節」について (ですぺら掲示板2.0)

    inmymemory
    inmymemory 2010/03/29
    "書くという行為は「なぜ書かねばならないのか」ということを書き綴る、もしくは「なぜ書かねばならないのか」ということに躪り寄るためのいとなみだと思っている"
  • 読書 (ですぺら掲示板2.0)

    inmymemory
    inmymemory 2010/03/29
    "日夏耿之介から薄田泣菫、松永延造から野村隈畔、鈴木善太郎から山田一夫、そして野溝七生子などはかつては振り向く人などいなかった" "読書とはその物語であって、夢見だと思っている"
  • 鈴木創士訳「花のノートルダム」 (ですぺら掲示板2.0)

    ですぺら掲示板1.0の終了直前、2006年末のことだが、エスさんとの遣り取りが続いた。エスとは鈴木創士さんである。平井呈一や齋藤磯雄の雅文について書きたくないことにまで触れてしまったが、あれはわたしの音である。鈴木創士さんのようにですぺらを地で行くひとを相手にいい加減な問答は許されない。わたしにしては珍しく気合いの入った遣り取りだった。 その鈴木創士さんがジャン・ジュネの「花のノートルダム」を翻訳なさった。河出文庫で去年の末に上梓されている。数年前から翻訳なさっていると宇野さんから聞かされていたが、上梓をわたしは知らなかった。突然が送られてきたのである、そして愕いた。 のっけから引用とは芸のないはなしだが、訳者あとがきが素晴らしい。「花のノートルダム」についての若干の指摘という箇所には、「過剰で幾何学的なカテドラルはまるで数学のように冷厳そのものであり、ふんだんに盛り込まれたキリスト教

  • 「花のノートルダム」再読 (ですぺら掲示板2.0)

    君が風邪を引くとトドインフレだと云われた。通常、トドといえば成長したボラのことである。わたしの場合は海馬であって、鯔ではない。そしてインフルではなく、インフレだそうである。巷では海馬が風邪を引くと洛陽の紙価が下落するらしい、意は価値基準の崩壊にあるようだが。もっとも、現行のインフルエンザは年齢制限があるらしく、六十歳を過ぎると掛からないようである。 それやこれやで、ここ二箇月ほどひどく落ち込んでいた。日々死ぬことばかりを考えていた。「散骨」や「虚しさ」にはそう云った心情が表されている。昨日、鈴木創士さんの「花のノートルダム」を読んでいて少し元気が出てきた。孤絶が売りの小説を読んで元気もないものだが、ドストエフスキーやベールィ、ゴンブロヴィッチやベケットなどを読むとこころの病のようなものが恢復する。他人も同じなのだと気づかされるからであろう。 考えてみれば書物の効用はそこにこそある。言い換え

  • もっとも遠くへ行くためのブックリスト - 鏡を刻む影

    遠くへ歩いてゆくために。 山尾悠子『山尾悠子作品集成』(国書刊行会)より「夢の棲む街」「遠近法」 筒井康隆『旅のラゴス』(新潮文庫) 荒巻義雄『時の葦舟』(講談社文庫) 室生犀星+なかやまあきこ『蜜のあわれ』(小学館) 高橋源一郎『さようなら、ギャングたち』(講談社文芸文庫) 尾崎翠『尾崎翠集成』(ちくま文庫)より「第七官界彷徨」 藤枝静男『田紳有楽・空気頭』(講談社文芸文庫)より「田紳有楽」 澁澤龍彦『高丘親王航海記』(文春文庫) 夢野久作『ドグラ・マグラ』(角川文庫) 木地雅映子『氷の海のガレオン』(講談社) アンナ・カヴァン『氷』(バジリコ) 西崎憲編『輝く草地』(筑摩書房)よりアンナ・カヴァン「輝く草地」 サミュエル・R・ディレーニ『エンパイア・スター』(サンリオSF文庫) ロバート・シルヴァーバーグ『夜の翼』(ハヤカワ文庫SF) カート・ヴォネガット・ジュニア『スローターハウス5

  • 海外文学リンク集 青山南氏監修 : すばる文学カフェ

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    inmymemory 2010/03/29
    青山南氏監修