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2013年1月14日のブックマーク (4件)

  • ウォルター・ペイター - Wikipedia

    ウォルター・ホレイシオ・ペイター(Walter Horatio Pater, 1839年8月4日 - 1894年7月30日)は、イギリス・ヴィクトリア朝時代の文人(文学者・評論家・批評家・随筆家・小説家)。主な著作に『ルネサンス』、『享楽主義者マリウス』、『想像の肖像』、『鑑賞批評集』、『プラトンとプラトニズム』などがある。 ペイター家の起源は、17世紀にイギリスへ渡ってきたオランダ系の一族に遡るとされる。ロンドン東部のステップニーにおいて開業外科医であった父リチャードと母マリアの間に4人兄妹の3番目として生まれる。 生後まもなく、一家はミドルセックス州のエンフィールドに引越すが、そこでの幼少期の様子は短篇小説「家の中の子供」にも垣間見られる。1842年に父のリチャードが亡くなる。さらに、ペイターがカンタベリーのキングズ・スクールへ通うため家族でケント州へ移った翌年の1854年に、母マリア

    ウォルター・ペイター - Wikipedia
  • アーサー・シモンズ - Wikipedia

    アーサー・シモンズ、1906年 アーサー・ウィリアム・シモンズ(Arthur William Symons, 1865年2月28日 - 1945年1月22日)は英国の詩人、文芸批評家、雑誌編集者である。 生涯と作品[編集] 英国のウェールズ南西部、ミルフォード・ヘイブンに生まれる。メソジスト教会の巡回牧師であった父親の職業柄、幼少時より英国内を転居し続ける生活を送る。17歳でロバート・ブラウニング作品批評をWesleyan-Methodist Magazineに発表、ブラウニング協会の会員となる。このブラウニング批評に注目した協会創設者Frederick. J. Furnivallの推薦により、1884年には19歳にしてシェイクスピア作品集(the Shakespeare Quatros Facsiimiles Series)の序文執筆を依頼される。以降、精力的に批評および翻訳作品を発表し

    アーサー・シモンズ - Wikipedia
  • 西脇順三郎 - Wikipedia

    西脇 順三郎(にしわき じゅんざぶろう、1894年(明治27年)1月20日 - 1982年(昭和57年)6月5日)は、日の詩人(近代詩)、英文学者、文学博士。第二次世界大戦前のモダニズム、ダダイスム、シュルレアリスム運動の中心人物。また、生涯に多くの水彩画並びに油彩等の絵画作品を残した。出生地である新潟県小千谷市の名誉市民。生前、ノーベル文学賞の候補に挙がっていたものの、受賞を逸している[1][2]。 1922年、渡英して西欧の超現実主義的感覚を身につけた。帰国後、日の超現実主義運動に参加して、詩集『Ambarvalia』(1933年)を刊行。ほかに『旅人かへらず』(1947年)、『近代の寓話』(1953年)など。 新潟県北魚沼郡小千谷町(現在の小千谷市)に小千谷銀行頭主・西脇寛蔵の二男として生まれた。西脇家は元禄時代より縮問屋を代々営んでいた。8月に日清戦争が始まった。 1900年(

    西脇順三郎 - Wikipedia
  • 谷崎潤一郎と西脇順三郎、ノーベル賞候補に4回 : 文化 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    作家の谷崎潤一郎、詩人の西脇順三郎の2人が、少なくとも1958年から62年の間に4回にわたってノーベル文学賞の候補になっていたことが、同賞を選考するスウェーデン・アカデミーへの情報公開請求で分かった。 特に60年には谷崎は最終候補の5人に残っており、68年に川端康成が日人初の同賞受賞を成し遂げる以前に、大きなチャンスがあったことが明らかになった。 選考資料は50年後に公開される決まりで、読売新聞が、1958~62年の資料を請求。62年分は今年に入って初めて開示された。 同賞は当時、各国のペンクラブや既受賞作家などの推薦で40~60人前後の候補を決め、その後、最終候補にまで絞り込んでいった。資料が開示された5年間のうち、谷崎と西脇は58年と60~62年の4回、川端も61、62年の2回、この候補に入った。日米の作家、研究者が推薦書を寄せていた。