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2023年5月11日のブックマーク (1件)

  • 二条良基 - Wikipedia

    二条良基邸・二条殿址・京都市中京区両替町通御池上る東側 二条良基邸・二条殿御池址・京都市中京区室町通押小路下る東側 二条 良基(にじょう よしもと)は、南北朝時代の公卿、歌人であり連歌の大成者である。従一位。摂政、関白、太政大臣。二条家5代当主。最初の関白は在任13年間の長期にわたり、死の間際まで通算5度(数え方によっては4度[注釈 1])にわたって北朝4代の天皇の摂政・関白を務めた。 生涯[編集] 関白就任まで[編集] 嘉暦2年(1327年)、8歳で元服して正五位下侍従となり、わずか2年で従三位権中納言に昇進する。ところが13歳の時、元弘の乱が発生して後醍醐天皇は隠岐島に配流され、内覧であった父・道平は倒幕への関与が疑われて幽閉され、良基も権中納言兼左近衛中将の地位を追われた。このため、二条家は鎌倉幕府より断絶を命じられる[1]状況に追い込まれたが、翌年に鎌倉幕府が滅亡、京都に復帰して

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    inmymemory
    inmymemory 2023/05/11
    連歌・歌論は、夢窓疎石の禅庭・枯山水、世阿弥の猿楽と共に、日本における美の基準(わび・さび・幽玄)を形成