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2024年1月14日のブックマーク (1件)

  • 大手拓次 - Wikipedia

    群馬県碓氷郡西上磯部村(現・安中市)、磯部温泉温泉旅館・蓬莱館[1]の家に生まれる。同県の安中中学校、高崎中学校、早稲田大学第三高等予科を経て、1907年9月、早稲田大学文学学術院英文科に入学。この頃より詩を発表しはじめた。1912年卒業。卒論は「私の象徴詩論」。 卒業後しばらくは、詩作のほかこれといった仕事をせず、貧窮に甘んじていたが、1916年にライオン歯磨舗に就職。以後、生涯をサラリーマンと詩人の二重生活に捧げた。ライオン歯磨広告部に所属していた1922年11月に、ライオン児童歯科院(大手の勤務先と同じビルにあった)にのちの女優山安英が入社して、大手は日記に山への思慕やそれを託した詩を書き綴ったが、内向的だった彼は山になかなか積極的に話しかけず、1923年に入って多少会話を交わしたりするようになったものの、同年4月に山退職し、以後日記に山に関する記述は途絶えた[2]。

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