2009年10月21日のブックマーク (3件)

  • 「知の権力」について - モジモジ君のブログ。みたいな。

    「知の権力」ですか。> http://d.hatena.ne.jp/mojimoji/20091008/p1#c1255838841 > id:kurahitoさんのコメント 追記:TBを受けて、末尾に。 「知の権力」というのは、いかにも形容矛盾な感じがしますね。「知」が「知」と呼びうるものであるならば、「右」ならば「右」としか言えず、「右」とも「左」とも言える恣意性の働く余地はないからです。たとえば、「共に生きる」ならば「分ける義務」が論理必然的に出てきます。「共に生きる」と「分ける義務の否認」は、どうやっても両立しえないし、両立するとしたら、それは「知」と呼びうるものではないでしょう。 一般に「知の権力」と呼んで批判されるのは、たとえば、「共に生きる」と「分ける義務の否認」を「知」として流通させることのできる権威であり、権威を支える制度です。重度障害者の「分配せよ」に対して「財源がない

    「知の権力」について - モジモジ君のブログ。みたいな。
    inukorori
    inukorori 2009/10/21
    "従うまい、と堅く心に誓"ってるわけじゃないんだよね。従うか従うまいか決める以前に、なにに従わせようとしているのかはっきりさせたいだけ。教育評価の歴史における方向目標への批判がとりあえず念頭にはある。
  • 暴力も責任も地続きなので線引きしましょう - 地下生活者の手遊び

    前回エントリへのトラバなどへの応答。 逐語的にではなく、ざっくりと。 「よい暴力」と「すべての暴力に反対」 http://d.hatena.ne.jp/harutabe/20091017/1255761383 「尊厳」と「自由」で矛盾してるよ - 地を這う難破船 正当防衛のことを考えてみる。 ほとんどのヒトは正当防衛という行為を否定できないだろうし、僕もそうだ。 ここで、正当防衛を否定しないとして、正当防衛を暴力と呼ぶのか呼ばないのかが対立点になりうることを確認する。 「あらゆる暴力に反対する」というヒトタチは、たぶん正当防衛を暴力であるとは呼ばないだろう。しかし、正当防衛といえども物理的強制力を用いて他者の身体を傷つけたり、ことによると生命を奪うこともありえるわけで、これはやはり暴力であるとみなすこともできよう。正当防衛を暴力の一種と考えるのであれば、「やむをえない暴力」あるいは「よい暴

    暴力も責任も地続きなので線引きしましょう - 地下生活者の手遊び
    inukorori
    inukorori 2009/10/21
    "「判断の結果」が〜"以下は話がズレてるんじゃないかな。新興宗教の教祖が全体への権力持ってるとは限らないんよ。思想統制という語は公によるというニュアンスが強くて微妙だけど/ともあれこういう意見を待ってた。
  • 構造的暴力と個人の責任 - モジモジ君のブログ。みたいな。

    http://d.hatena.ne.jp/sionsuzukaze/20091017/1255715610 僕のコメント http://d.hatena.ne.jp/sionsuzukaze/20091017/1255715610#c1255740544 それへのレス http://d.hatena.ne.jp/sionsuzukaze/20091017/1255715610#c1255859662 以上のやり取りに対して。 構造的暴力が個々人に起因するか。起因するかしないかは事実の話であり、その起因のありようを把握できるかどうかは認識の話であり、そこに責任を問うかどうかは規範の話ですし、責任を問うとしてその問い方は技術的な話であって認識の話などとも関連します。いずれにせよ、ごちゃまぜにしないでください。 実際問題として、「その起因のありようを把握」すること=認識が著しく困難だから、強制

    構造的暴力と個人の責任 - モジモジ君のブログ。みたいな。
    inukorori
    inukorori 2009/10/21
    うーん。本当に宗教だなぁ。仏様を信じないとこれだぞよ、と地獄絵図を見せてくる和尚の図。あなたの責任がどうやって果たされているのか提示できないのは、あなたが本当に苦しんでいて、解決法を知りたいがため?