紛糾し続ける広島の新スタジアム建設問題。そのバックボーンにはいったい何があるのだろうか。 『サッカーキング』では、今回の新スタジアム建設問題に関する歴史的な背景を知ることで理解を深め、今後の方向性を明確にしていくために、広島在住でサンフレッチェ広島オフィシャルマガジン『紫熊倶楽部』で編集長を務める中野和也氏に、「広島スタジアム問題のなぜ」というテーマで全5回の連載企画を依頼することにした。 =============== 1945年8月6日、広島を破壊した原子爆弾は、その後の復興に向けても様々な影響を与えている。特に爆心地近くの紙屋町界隈には、かつて“原爆スラム”という存在があった。 戦前、この界隈は陸軍の第5師団が置かれるなど、軍都・広島の中核地帯であった。日清戦争当時は広島城に大本営が置かれ、帝国議会が広島で開かれた時期もあるなど、日本の首都機能が広島に集約された時もある。当時は一等地
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