歴史とホロコーストに関するinvictusのブックマーク (13)

  • 日本の歴史的犯罪を否認しようとして、ホロコースト否認にまで手を広げた一例 - 法華狼の日記

    当時に同盟をむすんでいた大日帝国とナチスドイツ。一方の問題を否認する者が、もう一方の問題も否認する態度は、ある種の一貫性があるとはいえる。一貫して愚かだ。 News U.S. ※中山議員の件を在日が必死に否定しようと「ホロコースト」を持ち出したら、 逆にホロコーストが捏造である事を指摘されてしまった件 2ちゃんねるまとめブログだが、冒頭に上記の要約がコメントされている。自身の立ち位置を明確にしていることだけは誉めてもいいかもしれない。そう立ち位置を選んだ責任もしっかりとっていただきたいものだが。 それでは実際の書き込みを見ていこう。 350 :名無しさん@13周年 [sage] :2013/03/18(月) 02:02:03.88 id:bzadlSEr0 頭の悪いやつだな。 「ホロコーストはなかった」並に、 世界的に非常識なことを言ったから、 叩かれているだけなのに、 それを陰謀だとは

    日本の歴史的犯罪を否認しようとして、ホロコースト否認にまで手を広げた一例 - 法華狼の日記
  • ピオ12世、「尊者」に - Apeman’s diary

    における「靖国神社」とある意味で似た問題がヨーロッパにもある、ということ。 asahi.com 2010年1月6日 「ローマ法王、政治は苦手? 「尊者」認定でユダヤ人反発」(魚拓1ページ目、2ページ目) (……) ローマ法王庁(バチカン)は昨年12月19日、前法王ヨハネ・パウロ2世と第2次大戦中の法王ピオ12世を「尊者」とすることを決めた。今後「福者」を経て、カトリック最高の崇敬対象である「聖人」に列する手続きを開始したことを意味している。 ピオ12世(在位1939〜58年)は、ナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺(ホロコースト)を明確に批判せず黙認したとされていることから、各国のユダヤ系団体が一斉に反発。独ユダヤ人協会は「(尊者決定は)現段階では早すぎる」との声明を発表。「ベネディクト16世に失望した」(米ユダヤ委員会)、「バチカンと仏のユダヤ人社会の関係に打撃を与えた」(仏ユダヤ人団体

    ピオ12世、「尊者」に - Apeman’s diary
  • 「ロビイング」が問題なのか? - Apeman’s diary

    asahi.com 2009年3月30日 「報ステの古舘氏発言などに倫理違反勧告 土地改良区報道」 報ステと野中広務の戦いでは、ネット国士様はどちらに支援するのか…というのはさておき、いわゆる「差別利権」とは誰の問題なのだろうか? 部落解放同盟であれ朝鮮総連であれ、これらの団体が利益を代表している*1集団は日社会において人口比から考えればどマイナーもいいところのマイノリティである。それらの集団に属する人々が有権者として行使できる影響力は来微々たるものでしかない(有権者としての権利を持たない人々も多い)。元来「差別」対策として始まった各種事業のなかに「利権」化しているものがあることは(上記報道とは無関係に、一般論として言えば)確かだろうが、しかしその「利権」なるものは有権者の共謀なり黙認なり無関心抜きでは存続し得ないものだ。 過去の差別への補償としての支出であれアファーマティヴ・アクショ

    「ロビイング」が問題なのか? - Apeman’s diary
  • 「ホロコースト産業」の何が問題か - 過ぎ去ろうとしない過去

    「ホロコースト産業」については以下のリンクに要約がある。 http://hexagon.inri.client.jp/floorA6F_hb/a6fhb811.html http://eba-www.yokohama-cu.ac.jp/~kogiseminagamine/20061004NGFinkelstein.htm また、今回この文章を書くにあたって以下のなどを参照した。 「シリーズ・ドイツ現代史」は値段・分量ともに手ごろで、また質の高い議論がなされていると思うので、機会があったらぜひ参照してほしい。 さて、題の批判にはいるが、このの問題をここの資料まで検証して指摘していくのはキリがないし、質的だとは思えない。よって、いくつか確実に問題点を指摘できることをいくつか取り上げた。したがって、取り上げていない論点に関してぼくが承服しているというわけではない。 ■ユダヤ人請求会議は、

    「ホロコースト産業」の何が問題か - 過ぎ去ろうとしない過去
  • 「ホロコースト」は使ってはならないか?あるいは日曜歴史家 - 過ぎ去ろうとしない過去

    「ホロコースト」と無冠詞でいえばふつうナチス・ドイツによるユダヤ人の大量虐殺のことを指し、シンティ・ロマの人々や障害者の虐殺については一般的にはこれを含めない*1。「ホロコースト/Holocaust」という言葉はそもそも、「完全に焼く」という意味のギリシア語「holokaustos」から来ており、旧約聖書に出てくる5つの犠牲の内のひとつ、つまり獣を丸焼きにして神に捧げるという宗教的な意味を持っている言葉である。ナチスのジェノサイドによって犠牲になったユダヤ人たちは収容所の焼却炉で最終的に焼かれたことから連想された言葉だが、それが一気に広まったのは1978年に放映されたアメリカのドラマ「ホロコースト」である。 このドラマは、多くの実証的な研究を下敷きにしつつも、あるドイツ人とユダヤ人二つの家族がナチズムの時代にどのような運命をたどったかという、より物語性を重視したフィクションである。とはいえ

    「ホロコースト」は使ってはならないか?あるいは日曜歴史家 - 過ぎ去ろうとしない過去
  • ホロコースト否定論者の司教 - Apeman’s diary

    ざっと見た限り日語での報道はこれくらいだった。 CNN.co.jp 2009.01.27 「ローマ法王、ホロコースト否定の司教破門を撤回」 エルサレム(CNN) ローマ法王ベネディクト16世は24日、ナチスドイツ時代のユダヤ人大量虐殺(ホロコースト)を否定する発言をした英国人のリチャード・ウィリアムソン司教らの破門を撤回すると発表した。イスラエルのユダヤ人当局者は、これに強い不快感を示している。 破門を撤回されたのは、聖ピオ十世会所属のウィリアムソン司教ら4人。同司教は先日スウェーデンのテレビ局に対し、ナチスドイツの収容所で死亡したユダヤ人は20─30万人にのぼるものの、ガス室で死んだ者はいないなどと主張した。 (…) 聖ピオ十世会は1960年代のバチカン改革に反対したルフェーブル大司教によって設立され、非認可の儀式で4人を聖職に任命。この結果88年、当時のローマ法王ヨハネ・パウロ2世が

    ホロコースト否定論者の司教 - Apeman’s diary
  • ホロコーストへのタグ貼り - 地下生活者の手遊び

    2008-08-13にも見られるんだけれども、ホロコーストとかアウシュビッツとかって、あまりにも特別視されすぎていにゃーだろうか?*1 [絶対性][神聖性][唯一性]とかいった「タグ」がホロコースト言説に貼り付けられ、そのようなものとしてデータベース化されているのだけれど、ホントにそうなのかにゃ? 例えば、欧州では『ホロコースト産業』についてという告発が行われていますにゃ。引用すると そして、フィンケルシュタインは、ノーベル平和賞受賞者のユダヤ人作家エリ・ヴィーゼルの名前を出して次のように批判している。 「ホロコーストの唯一性という主張から、ザ・ホロコーストは合理的には理解不能だという主張までは、ほんの一跳びだ。ザ・ホロコーストが歴史に前例のないものなら、それは歴史を越えたものであり、したがって歴史によって把握できないものである。まさにザ・ホロコーストは、説明不能であるが故に唯一無二であり

    ホロコーストへのタグ貼り - 地下生活者の手遊び
  • J・ハーバーマス,E・ノルテ 他 - 過ぎ去ろうとしない過去―ナチズムとドイツ歴史家論争 - はてなダイアリー

    J・ハーバーマス,E・ノルテ 他 - 過ぎ去ろうとしない過去―ナチズムとドイツ歴史家論争 - はてなダイアリー
    invictus
    invictus 2007/09/03
    在庫無いしー。
  • ■別所HomePage■

    invictus
    invictus 2007/09/03
    ノルテ「過ぎ去ろうとしない過去」pdfファイル
  • 歴史の公的使用について

    歴史の公的使用について ドイツ連邦共和国の公式の自己理解が壊れつつある ユルゲン・ハーバーマス Piper社[編](1995)『過ぎ去ろうとしない過去:ナチズムとドイツ歴史家論争』(徳永恂/清水多吉/三島憲一/他訳)人文書院、p.195-211。 『ツァイト』紙の最近号に載ったエルンスト・ノルテの静かな記事を読んだ読者で、『フランクフルター・アルゲマイネ』紙での感情的な議論をフォローしていない人は、歴史上の細かいことが争われているのではなかろうかといった印象を抱くに違いない。しかし、実際に問われているのは、現代史の記述に生じた修正主義を政治の場で実現すること、つまり〔一九八二年の〕政権交替によって、自分たちを転換政府と称する政治家たちが一生懸命せかしていることである。それゆえハンス・モムゼンは、この論争を、「歴史的―政治的思考の組み替え」というコンテクストに置いて論じている。雑誌『メルクー

    invictus
    invictus 2007/09/03
     byハーバーマス
  • 過ぎ去ろうとしない過去 - 「歴史家論争」について

    ずいぶん昔に長文を書いたのだが、アップするのを忘れていた。 「歴史家論争」は、ドイツ人の「国民の物語」を巡る問題と直結している。その発端は、1986年にフランクフルトで行われる予定になっていたエルンスト・ノルテの公演内容の講演と、同年に発表されたアンドレアス・ヒルグルーバーの著書『ふたつの没落』に対する、ユルゲン・ハーバーマスの批判であった。 ノルテは、ユダヤ人の大量虐殺という「過去」は、ドイツ人にとって永遠に消えないスティグマとして刻印付けられており、そのことが過去の歴史に対する冷静な検証をかえって行うことを妨げていると述べる。ドイツ人が、「最終的解決」の問題にあまりにも注意を向け続けているあまり、ナチ時代に行われた他の諸問題、あるいは現代なお行われている他の虐殺の問題が、なおざりにされている、と。 このような動きに対して、ハーバーマスは「国民意識の再生」に対するドイツ国民のコンセンサス

    過ぎ去ろうとしない過去 - 「歴史家論争」について
  • 戦後ドイツにおける「過去の克服」と極右勢力

    戦後ドイツにおける「過去の克服」と極右勢力 卒業研究要旨 ドイツは戦後、ナチス期を反省するものとして、ナチスの蛮行によって被害を受けた人びとへの補償やナチス戦犯の追及などを行ってきた。「過去の克服」とはそのような諸形態を貫く道義的精神的姿勢を意味する。しかしドイツの戦後を振り返ると、「過去の克服」をめぐって複雑な心理の葛藤があったことがみえてくる。ナチスの過去を反省し、そこから教訓を学んでいかねばならないとする一方で、その忘却や歴史修正の試みがあったのも事実である。論では戦後ドイツの「過去の克服」とそれを押し返す逆流としての極右勢力の今日までの行跡をたどり、この2つの潮流がどのように対峙してきたのかを検討する。まず第1章で「過去の克服」の具体的内容を整理する。次に第2章で戦後極右勢力の歴史を概観し、その特徴を把握する。第3章ではドイツ(旧西ドイツ)社会のさまざまな場面で表出してきた「

  • 『アウシュヴィッツの<回教徒>』

    当初立ててなんどか更新したエントリはこちら。また書の問題提起をふまえて戦争責任否定論について書いたエントリがたまたま著者の柿昭人さんの目にとまって、コメントを頂戴するという予想外のことも起こった。 提起されている問題の重要性に関する限り、疑いの余地のないである。60年以上前の出来事についての記憶(に基づく言説)が分析対象ではあるものの、著者が問題視する「仕方がなかった」という思考法はこれまでも決して絶えることなく繰り返されてきたし、むしろいま現在においてこそその問題性が露になっているのだとさえ考えたくなる。  誰かを「生きるに値しない命」であると断定し、その「算術」を練り上げることに腐心してきた近代の歴史。そして、その恐るべき指標として現代社会において密かに学習すらされ、反復されるナチズムという出来事。ナチズムは暴力によって打倒されただけであり、決して「論証=説得」によって打ち倒され

  • 1