
2023年10月7日のイスラム組織ハマスの奇襲後、イスラエル軍はパレスチナ自治区ガザへの攻撃を始め、これまでに4万人以上が死亡した。イスラエルが占領するヨルダン川西岸でも、軍は「対テロ作戦」と称してパレスチナ武装勢力を攻撃し市民が巻き添えに。ユダヤ人入植者によるパレスチナ人への暴力も急増している。約2000年前に世界に離散したユダヤ人は欧州で長い間迫害され、ナチス・ドイツのホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)で約600万人が殺害された。差別に苦しんできたユダヤ人が建国したイスラエルがなぜ暴力をいとわない国家になったのか。イスラエルが建国された1948年の政府や軍の公文書を分析したイスラエル人歴史家で、英エクセター大のイラン・パペ教授に話を聞いた。(共同通信ロンドン支局 伊東星華) ▽パレスチナ人が排除される論理。シオニズム運動とはなんですか ―イスラエルは、ユダヤ人の国家建設を目指すシオニズム
ドイツの右派ポピュリスト政党「ドイツのための選択肢(AfD)」の議員たちは、20世紀初頭に興ったバウハウス運動を「禁欲主義とミニマリズムの強調がモダニズムを誤った方向に導いた」と批判。「モダニズムの誤った道」と題する公式な提案書をドイツ議会に提出し、バウハウスの再評価を求めたと中部ドイツ新聞が伝えた。 バウハウス運動は、1919年にドイツ・ワイマールに設立された、工芸・写真・デザインなどを含む芸術・建築の学校「バウハウス」で興った芸術とデザインの運動を指す。ナチスにより1933年に閉校するまで、同校に学ぶ生徒や教師らは、さまざまな分野の境界を取り払ったモダンなデザインの枠組みを確立し、「アート」が必ずしも日常の暮らしに相容れないものではないことを示した。この運動に関わった人物には、パウル・クレー、ワシリー・カンディンスキー、ジョゼフ・アルバースとアニ・アルバース、ラースロー・モホリ=ナジ、
(CNN) 南米ベネズエラの首都カラカスで、ニコラス・マドゥロ大統領の大統領選勝利に抗議した住民の自宅に黒いペンキで「X」の文字が落書きされている。住民は、政権側の民兵組織による脅迫だと訴えている。 故ウゴ・チャベス前大統領の支持基盤だったスラム街「エネロ23区」の住民はXの文字について、民兵組織「コレクティーボ」が7月の大統領選挙の結果に抗議した住民をマークする目的で、スプレーペンキで印を付けたと見ている。 CNNの取材に応じた住民のパブロさんは、「自分の家がある通りでは、約50軒のうち32軒がマークされていた」と語った。 この地区では、7月28日の大統領選挙でニコラス・マドゥロ大統領が勝利を宣言した数日後からXの落書きが始まった。この選挙結果をめぐって野党陣営は不正があったと主張し、他国からも疑問の声が噴出している。 民兵組織のメンバーは、この地区の住民が自宅前に立ってマドゥロ氏の退陣
中国・北京で民主化を求める学生らを軍が武力で鎮圧し、多数の死傷者を出した天安門事件から6月4日で35年となる。 天安門事件 戦車の前に立ちはだかった男性(1989年6月) この記事の画像(15枚) 1989年6月4日、北京の中心部では戦車が走り、日本人が住む住宅にまで銃弾が飛んでくるなど大きな混乱が起きていた。 民主化を求める民衆を軍が武力で鎮圧し多数の死傷者を出した天安門事件が発生した後、外務省は北京に住んでいた約4000人の在留邦人らに退避勧告を出した。 北京市の中心部を走る戦車や軍の車 1989年6月5日 撮影:尾坂氏 しかし、銀行は閉鎖され現金や航空券を持たない人も多く、突然の大事件に北京の日本人たちは翻弄されていた。 天安門事件当時に全日空の北京市店に勤務していた尾坂雅康氏 当時、全日空の北京支店で営業責任者として勤務していた尾坂雅康さんは天安門事件の直後、超法規的措置を断行し、
はじめに 「方言禁止記者会見」のCMを見たのは定食屋のテレビで、知り合いと「イヤイヤこの企画はマズいだろうよ」という話をしていた。翌日になって果たしてどんな番組なのかを判断するためにTVerで視聴すると、案の定マズい内容であった(なにがマズいかは後述)。しかしTwitterなどで調べても誰も言及していないどころか、「沖縄弁が出ちゃう二階堂ふみ可愛い」といった意見がちらほら見えたため、引用RTという形で「植民地主義的でエグい」と投稿すると、思ったより拡散されて番組が炎上したというのが今回の経緯である。 私はこの番組自体をキャンセルしたいわけではないし、ポリコレ的配慮がなっていないと言いたいわけでもない(植民地主義とは「ポリコレ」以前の問題なので)。また番組の批判者を見ていても少し疑問に思うところもある。そういった疑問や懸念について、本稿では現在の「普通の日本人」による沖縄差別あるいは植民地主
ハマスがイスラエルに犯した野蛮な攻撃は、いかなる場合であっても無条件に非難されなければならない。この前提のもと、私たちが緊急にすべきことは、この攻撃を歴史的な流れで理解することだ。 まず、大多数のパレスチナ人の生活が絶対的な絶望に陥っているという事実を理解しなければならない。かつて頻発したパレスチナ人の自殺攻撃を考えてみよう。普通のパレスチナ人が、自分も死ぬことを知っていながらユダヤ人に近づいて刃物で刺した後、自分も周辺の人たちによって殺される。彼らは何らかの組織をバックに持つわけではなく、「パレスチナ解放」のようなスローガンも叫ばなかった。それは、政治的な計画ではなく、ただ完全な絶望状態から出てきた行為だった。 イスラエルでベンヤミン・ネタニヤフが政権を握り、状況はさらに悪化した。彼はヨルダン川西岸地区のパレスチナ領土の合併を主張する極右政党と連立して新政権を構成し、極右的な人物で内閣を
Executive Summary ポランニー『ダホメ王国と奴隷貿易』に描かれている17-19世紀ダホメ王国は、市場システムを持たない。国内ではすべての作物を王様が召し上げ、一大宴会でそれを民草に配り、それ以外のわずかな部分を、王が配るタカラガイで、市場で定額で売買させる。そして外国との取引と、そのための産物生産 (奴隷狩りの戦争) は王様が独占し、民には外国製品は贈り物としてわたすだけ。これは、政府がすべて召し上げ、配給し、それで対応仕切れない部分の調整を市場での取引で行い、外貨取引は政府が全部仕切るという、キューバなどの社会主義経済とほぼ同じ。結局、ある生産力=生産技術の水準により、合理性を持つ経済システム=分配方式は決まってしまうということではないのか? 社会主義とか部族社会とか、イデオロギー関係ないのでは? するとこんどこそ資本主義が変わるとかいう主張もかなり怪しいのではないか。
ソ連に長く支配されてその残虐さや恐怖を体験し、EUとNATO加盟国でありながらもロシアの次のターゲットではないかと指摘されるバルト三国。 なかでもデジタル変革を遂げ、電子国家として知られるエストニアの首相カヤ・カラスが、ウクライナで見られるロシアの残虐行為は、かつてエストニアが経験したものだと、英誌に寄稿した。 ソ連、ロシアが犯してきた残虐行為 私がこの原稿を書いているのは、ウクライナの首都キーウ近郊にあるイルピンやブチャの惨状を見て、世界が目を覚ました頃だ。ロシア軍によって殺害された市民や集団墓地の写真を私たちは目にする。 これらの写真は、ソビエト政権とその秘密警察であった内務人民委員部(NKVD)による殺戮をエストニアの人々に思い起こさせる。その国家によるテロリズムマシンは、まったく同じように市民を殺害したのだ。 ロシアに送還する前に尋問をする浄化キャンプや強制送還について耳にすると、
ウクライナ侵攻が起き、ポーランドやバルト三国など、ロシアと国境を接する国々は警戒を強めている。なかでもベラルーシとも国境を接するリトアニアは、ロシアと関係を強化する中国へも警戒を高め、台湾との関係を深めたことで中国から制裁を受けている。 そのリトアニア首相イングリダ・シモニーテがウクライナ侵攻を受け、英誌「エコノミスト」に寄稿した。 ロシアの脅威から目を逸らしてきた西側諸国 すべては起こるべくして起こったことだった。 1999年のプーチンによるチェチェン紛争は、西側諸国の目を覚ますきっかけとはならなかった。2007年のエストニアへのサイバー攻撃、2008年のグルジア紛争、2014年に始まるウクライナへの軍事侵攻と不当なクリミア併合もそうだった。これらの行動の不当性や責任を、ロシアはすべて否定している。 そして、政権に反対する者、「不都合な」目撃者やジャーナリストは、あからさまに数多く暗殺さ
2月24日、ロシア軍がウクライナを侵攻というニュースに、ロシア全土から悲しみと怒りと自責と謝罪の織り交ざった声が響いた。 2月25日、ロシアで広く尊敬されている作家・文芸批評家のドミートリー・ブィコフがラジオ局〈モスクワのこだま〉の持ち番組で、現在の状況を2時間近くにわたり語った。国を主語にものごとを考えることの危険を訴える、示唆に富んだ内容だった。その一部を、急遽ロシア文学者の奈倉有里さんに翻訳紹介していただいた。ヘッダー画像はウクライナ出身の画家アルヒープ・クインジによる作品「朝のドニエプル川」。(編集部) 1.形而上学的な憎悪にかられている今日の放送をしないで済むのなら、高い代償を払ってでもそうしたかった。自分の母親が亡くなった日と同じくらいの悲しみを抱え、それでも今日、逃げ出すことはできなかった。私たちが生きているあいだに、またもや戦争が起きた。 ロシアがどうやってこの戦争から抜け
“移民者”ラッパーMOMENT JOON、突然の引退宣言! その背後にある葛藤とは?──初書籍『日本移民日記』刊行記念インタビュー【前篇】 昨年11月、初の書籍を岩波書店から上梓したMOMENT JOON。12月8日に東京・渋谷でワンマンライブを行った彼は、そこで突然、引退を宣言した。その翌日、ライターの磯部涼がことの真相に迫った。その前篇。
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