提訴後の記者会見で、第一尚氏から続く家譜(家系図)を示す原告の亀谷正子さん(中央)ら=京都市中京区で2018年12月4日午後4時0分、澤木政輝撮影 「私の命があるのは先祖がいたお陰。その遺骨を返してほしい。研究材料に使われるのは許せない」 2021年10月29日、京都地裁の大法廷に、沖縄から足を運んだ亀谷(かめや)正子さん(77)の切実な声が響いた。 亀谷さんが返還を願う遺骨。それは約90年前まで、沖縄県今帰仁(なきじん)村の「百按司(むむじゃな)墓」で弔われていた。現在は京都大の総合博物館(京都市左京区)にある。 1929年、京都帝国大(現・京大)医学部の助教授だった金関(かなせき)丈夫氏(故人)は沖縄の各地で、墓から遺骨を持ち出した。金関氏の専門は解剖学だが、後に「弥生人の渡来説」で名を成す人類学者としての顔も持ち、人骨の研究に使うためだった。彼は著書「琉球民俗誌」などで、骨収集の経緯
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