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1と本に関するiruremeのブックマーク (21)

  • 『大江健三郎同時代論集』全10巻|研究余録 ~全集目次総覧~

    『大江健三郎同時代論集』全10巻(岩波書店、1980.11~1981.8) 第1巻 1980.11.25 出発点‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 5 I 戦後世代のイメージ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 8 II 強権に確執をかもす志‥‥‥‥‥‥‥‥‥40 ぼく自身のなかの戦争‥‥‥‥‥‥‥‥‥46 戦後世代と憲法‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥60 憲法についての個人的な体験(講演)‥‥67 III 私小説について‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥90 戦後文学をどう受けとめたか‥‥‥‥‥ 101 反逆的なモラリスト=ノーマン・メイラー‥‥ 112 飢えて死ぬ子供の前で文学は有効か?‥ 124 IV われらの性の世界‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 140 『われらの時代』とぼく自身‥‥‥‥‥ 152 現代文学と性‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 157 V 独立十年の縮図―内灘‥‥‥‥‥‥‥‥ 168 失業に悩む旧軍港―呉‥‥‥‥‥‥‥‥

  • http://homepage2.nifty.com/te2/w/w49.htm

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    irureme 2011/09/18
    イズレイル・ホロヴィッツ(Israel Horovitz) 「インド人はブロンクスへ行きたがっている」The Indian Wants the Bronx 松沢八百・訳『現代アメリカ戯曲選集〔2〕』竹内書店(1971/09/30)
  • 三浦つとむ - Wikipedia

    三浦 つとむ (みうら つとむ、1911年 (明治44年) 2月15日 - 1989年 (平成元年) 10月27日)は、日の哲学者、言語学者、マルクス主義者。弁証法を武器とし、在野の理論家として、認識論、言語論、芸術論、組織論、人生論など、幅広い分野において、活発な研究を続けた。 経歴[編集] 名、三浦二郎。東京都生まれ。 フリードリヒ・エンゲルス及びヨセフ・ディーツゲンを師と仰ぎ、製版の仕事をしながら独学した[注 1]。謎解きによって具体的な問題を論理的に扱う思惟活動の訓練を行う中で、弁証法が優れた武器であることを学ぶ[注 2]。それまで誰もできなかった日軍の用いた日語の暗号電報の盗読に成功したハーバート・オズボーン・ヤードリーの手記『アメリカン・ブラック・チェンバー』を青年期に読み、日語の文法に理論的な関心を持った[1]。 1946年、民主主義科学者協会が結成され会員になった

  • 『三島由紀夫評論全集』全4巻|研究余録 ~全集目次総覧~

    『三島由紀夫評論全集』全4巻(新潮社、1989.7) 第1巻 1989.7.5 第一部(作家論・作品論) 林房雄 林房雄論…………………………………21 跋(「林房雄論」)……………………65 胸のすく林房雄氏の文芸時評…………66 無題(林房雄著「大東亜戦争肯定論」推薦文)……67 「壮年」完成の喜び―林房雄氏の「文明開化」……67 芥川龍之介 芥川龍之介について……………………68 解説(芥川龍之介著「南京の基督」)……70 安部公房 無題(安部公房著「砂の女」推薦文)……74 “仮面の男”を主題に―安部公房著「他人の顔」……75 無題(安部公房「友達」について)…76 無題(安部公房著「燃えつきた地図」推薦文)……77 石原慎太郎 石原慎太郎氏……………………………77 無題(石原慎太郎著「殺人教室」推薦文)……78 石原慎太郎氏の諸作品…………………79 一つの代表的青春(「石原慎

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    irureme 2011/08/18
    第一巻 ノーマン・メイラー 米国版千夜一夜―N・メーラー作山西英一訳「鹿の園」…… 382 アメリカ版大私小説―N・メイラー作山西英一訳「ぼく自身のための広告」…… 384
  • 世界でいちばんコワイ話 / 世界でいちばん孤独な話 薔薇の埋葬 / 薔薇の天使 /竹内健怪奇幻想シリーズ | 食と暮らしの古本屋*eclipse plus

    竹内健 *著 宇野亜喜良 *表紙・イラストレーション 新書館 1968初版・1973.13刷 / 17×16 / 217p ソフトカバー [ 商品番号 N゜ef3-21 ] sorry... sold out この「竹内健怪奇幻想シリーズ」に、寺山修司氏は次のような文章を寄せています。 “かつて若いフランス文学者として嘱望されていたぼくらの友人竹内健が、ときどき「小さな物語」を書いていることは、前から知っていた。それは、どれもこれも不思議な話ばかりで、木に人間の赤ちゃんが実ったり、少年が少女のからだに貝殻を移植したり、おばあさんの眼球をくり抜いて矢車草をさしたりするものであった。 生まれてはじめて化粧する日の少女の胸のときめきのように、生まれてはじめて竹内健の物語を読む少女は不思議なめまいを感じることであろう。それはまるで「夢の中の散歩」であり、思い出へ帰ってゆく一道である。” この

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    irureme 2011/08/14
  • Utrecht[ユトレヒト] | 人物リスト

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    irureme 2011/08/14
    Saul Steinberg (ソウル・スタインバーグ)
  • ソール・スタインバーグ - Wikipedia

    この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "ソール・スタインバーグ" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2020年7月) ソール・スタインバーグ(Saul Steinberg, 1914年6月15日 - 1999年5月12日)は、ルーマニア生まれのアメリカ合衆国の漫画家でイラストレーター。日ではスタインベルグとも表記。 その知的で洗練されたスタイルで一コマ漫画の世界に革命を起こす。主に『ニューヨーカー』誌で活躍した。 略歴[編集] ルーマニアのルムニク・サラト Râmnicu Sărat (ブザウ県)でユダヤ人の家庭に生まれ、ブカレスト大学で1年だけ哲学を学んだ後、イ

    ソール・スタインバーグ - Wikipedia
  • ミハイル・イリーン - Wikipedia

    ミハイル・イリーン(Михаил Ильин、ラテン翻字の例:Mikhail Il'in、1896年1月10日/ユリウス暦1895年12月29日 - 1953年11月15日)はソビエト連邦(ウクライナ出身)の作家、児童向けノンフィクション作家である。姓の日語表記はイリン、イリインとも。名のミハイルはMと略されるか、完全に省略されることも多い。 経歴[編集] ユダヤ系で、名はイリヤ・ヤコヴレヴィチ・マルシャーク(Илья Яковлевич Маршак、翻字例:Il'ya Yakovlevich Marshak)である。詩人・児童文学作家のサムイル・マルシャークは彼の兄に当たる。「ミハイル・イリーン」のペンネームを名乗ったのは兄との混同を避けるためだという[1]。妹のエレナ・イリーナも作家である。 1896年にウクライナのエカテリノスラフ県バハムト市(現在のアルチョーモフスク市[2])

  • ロバート・リンドナー(Robert Lindner)

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    irureme 2011/08/14
  • 桑田忠親 - Wikipedia

    桑田 忠親(くわた ただちか、1902年11月21日[1] - 1987年5月5日[1])は、日歴史学者。國學院大學名誉教授。学位は、文学博士(國學院大學・論文博士・1952年)[2]。勲三等瑞宝章受章。 略歴[編集] 東京市麹町区生まれ。國學院大學国文学科に学び、卒業論文「明治時代の小説に表われた自然主義の研究」をまとめ[3]、1926年卒業[4]。東京帝国大学史料編纂所に勤務する。1945年に退官。埼玉県立川越高等女学校教諭[5]を経て、1946年から國學院大學文学部教授。戦国時代史を研究し、千利休などの茶人を研究して、1952年に「茶道の大成」により國學院大學から文学博士の学位を授与[6]される。また戦国時代人の書簡を研究した。1973年定年退職して客員教授となり、1979年名誉教授。1980年勲三等瑞宝章を受章。1983年正月には宮中歌会始召人。1987年、肺炎のため死去[1]

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    irureme 2011/08/01
    戦国武将の手紙
  • 真継伸彦 - Wikipedia

    この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "真継伸彦" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2016年8月) 真継伸彦(まつぎ のぶひこ、戸籍上は旧字の「眞繼」。1932年3月18日 - 2016年8月22日[1])は、日の作家。元姫路獨協大学教授。京都市生まれ。 人と作品[編集] 京都大学文学部独文科卒業後の1954年に上京し、創元社の校正アルバイトに就き、1955年に専修大学図書館に就職。同人誌「半世界」に「杉克己の死」の一部を発表。 一向一揆を題材にした小説を構想し、執筆に専念するために退職、1961年から青山学院大学ドイツ語非常勤講師となる。1963年、盗賊か

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    irureme 2011/07/05
    『林檎の下の顔』(長編小説)1974 筑摩書房
  • Coliwiki - coliwiki

    Coliwikiについて † #amazon(4054015492) コリン・ウィルソンについてのPukiWikiです。CWに関心がある方、読んだことがある方ならば、誰でも参加可能です。特に、他の人があまり触れていないような話題があったら、ぜひ紹介してください。現在のところ、書き込みについて特に制限はしておりません。CWの著作を中心にまとめていき、各種の関連情報を収集することを、Coliwikiの目的としています。CWは非常に幅広い形で著作活動を行っており、彼のを開くことで、さまざまな知識を得ることができます。Coliwikiを発展させることで、CWとその関連書の読書案内、さまざまな情報源となればいいと考えています。編集方法については、ヘルプやPukiWiki公式サイトを参考にしてください。(2004.12.20.) PukiWikiという形式から、複数の参加者による書き込みを想定してい

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    irureme 2011/07/01
    コリン・ウィルソンの著作活動を整理するColiwiki
  • ユージン・オニール(Eugene O'Neill)

  • 荒地出版社(Arechi ShuppanSha)/現代アメリカ文学全集 全20巻 1957-1959年

  • カースン・マッカラーズ(Carson McCullers)

    『話しかける彼等』 Tr:中川のぶ(Nobu Nakagawa) Pb:四季書房(Shiki Shobo) 1940/12 『針のない時計』 Tr:佐伯彰一(Shoichi Saeki)/田辺五十鈴(Isuzu Tanebe) Pb:講談社文庫(KodanSha bunko) 1971 Tr:佐伯彰一(Shoichi Saeki)/田辺五十鈴(Isuzu Tanebe) Pb:講談社(KodanSha)/Novels of Today 1971 『愛すれど心さびしく』 Tr:山恭子 Pb:秋元書房(Akimoto Shobo) 1969 『心は孤独な狩人』 Tr:河野一郎(Ichiro Kohno) Pb:新潮文庫(Shincho bunko) 1972 『夏の黄昏』 The Member of the Wedding Tr:加島祥造(Shozo Kajima) Pb:福武文庫(Fuku

  • 「心は孤独な狩人」 カーソン・マッカラーズ

    「心は孤独な狩人」 カーソン・マッカラーズ (アメリカ) <新潮社 文庫> 【復刊ドットコム】 アメリカ南部の田舎町で、肩を寄せ合って暮らす唖のアントナポーロスとシンガー。やがて、 アントナポーロスが精神に異常をきたし、シンガーの一人暮らしが始まると、シンガーを自分の好むタイプ にあてはめて、話を聞いてもらおうとする人々が集まりだした。音楽家をめざす少女ミック、共産主義に目 ざめかけた酔っぱらい男ジェイク、黒人の地位の向上を願う黒人のコープランド医師、パブを営む感受性の 鋭い男ビフ。だが、シンガーを理解しようとするものはなく、シンガーの心は常にアントナポーロスの上にあった。 ※何度も翻訳された作品です。私たちは古い全集に収められたものを読みましたが、多少なりとも手に 入りやすいものを、となかでも一番最近出版された新潮社の文庫で表示しました。登場人物の名前等、 若干の違いはあるかもしれま

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    irureme 2011/06/22
  • カーソン・マッカラーズ - Wikipedia

    カーソン・マッカラーズ (1959年、カール・ヴァン・ヴェクテン撮影) カーソン・マッカラーズ(Carson McCullers、名:Lula Carson Smith、1917年2月19日 - 1967年9月29日)は、アメリカの作家。エッセイや詩だけでなく、小説、短編、戯曲を書いた。処女小説『心は孤独な狩人』(原題:The Heart is a Lonely Hunter)ではアメリカ南部を舞台に、社会に順応できない人間や排除された人間の魂の孤独を探究した。他の小説も同様のテーマを扱い、南部に舞台を置いている。 幼年期[編集] ルーラ・カーソン・スミスは、1917年ジョージア州コロンブスの中産階級の家に誕生した。彼女の母は、大農園所有者で南部同盟の英雄の孫娘である。父はフランスユグノーの血すじの時計職人で宝石商だった。彼女は5歳からピアノのレッスンを受け、15歳のときに父からタイプラ

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  • 都市論[都市下層]

    [都市下層] ◇星野朗・野中乾 19730320 『バタヤ社会の研究』 蒼海出版 一 東京の貧民街の変遷 (一)江戸時代 (二)明治時代 (三)大正から昭和へ (四)戦争中から戦後へ (五)高度経済成長政策以降 (六)貧民街の立地条件 (七)バタヤの呼称について 二 木町のバタヤ街―その変遷 (一)東京全体からみて ①戦前 ②昭和15年の歎願書 ③戦後 (二)木町の今昔 ①足立区南部のむかし ②変貌のはじまり ③貧民街の誘致 ④戦時中の木町 ⑤戦後の変化 ⑥昭和35年以降 三 バタヤの経済 (一)資源回収業 ①仕切屋と拾い屋 ②納人と再製工場 (二)拾い屋の生活 ①仕切場・車・部屋 ②拾い屋の労働と収入 (三)仕切り屋のもうけ (四)拾い屋の生活意識1 (五)拾い屋の生活意識2 (六)足立市場と清和会 四 周辺の関連する諸産業 (一)紙漉業 ①紙漉業の起源 ②紙漉業の発展 ③第二次大

  • 芳賀善次郎『新宿の今昔』を読む(6)戦後の新宿 : lifelog files

    2010年07月16日15:52 カテゴリ芳賀善次郎『新宿の今昔』を読むBOOK 芳賀善次郎『新宿の今昔』を読む(6)戦後の新宿 戦後の新宿 「八月十五日の終戦とともに、蜜に集まるアリの大群のように、新宿駅の周囲には駅に出入りする客を相手に、おびただしい露店と闇市が出現した。そしてこれらは統制物資を不法に売買する者がほとんどだった。」(P.269) 「煙草専売局跡(現、西口広場)、東口駅前、南口の甲州街道などに店を出し、それらの店は「組」に所属していた。そして尾津組、安田組、和田組などが入り乱れ、その縄張り争いがもとで流血騒ぎを起こすことがしばしばであった。そのため、淀橋署長が仲裁に入り、尾津組は東口、安田組は西口、和田組は南口と一応縄張りをきめられた。」(同) どの屋台にも申し訳程度に車輪が着いているが、移動する気配は無い。 「バラックはバラックでも、銀座は銀座、新宿は新宿だけの、泥くさ

    芳賀善次郎『新宿の今昔』を読む(6)戦後の新宿 : lifelog files
  • 長距離ランナーの孤独 - Wikipedia

    『長距離ランナーの孤独』(ちょうきょりランナーのこどく、The Loneliness of the Long Distance Runner)は1962年制作のイギリス映画。アラン・シリトーが1958年に出版した小説「長距離走者の孤独」の映画化。 主演のトム・コートネイが、1962年、英国アカデミー賞最優秀新人賞を受賞。 キャスト[編集] トム・コートネイ:コリン・スミス マイケル・レッドグレイヴ:感化院長 ジェームズ・ボーラム:マイク(コリンの不良仲間) エイヴィス・バネイジ:スミス夫人(コリンの母親) トプシー・ジェーン:オードリー(コリンンの恋人) ダーヴィス・ウォード:刑事 ピーター・マッデン ジェームズ・フォックス:ガンソープ(ランレー校のスターランナー) アレック・マッコーエン:ブラウン(感化院の新入の職員でカウンセラー) ストーリー[編集] 貧しい家庭で育ったコリンは、窃盗で

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    irureme 2008/06/01
    映画日本公開1964年6月12日